第25話 寧々side④


 

 レトロ喫茶店『下弦かげんの月』

 お昼すぎ、ピークが去ってお客さんがまばらになった店内では落ち着いた時間が流れていた。


 

 玄関にハイヒールがあった時は心臓止まっちゃうかと思った。

 自分でも聞いたことない冷たい声が出てびっくりした。

 


 

 寧々ねねはバイト先の喫茶店で、ホールをぼんやりと見渡しながら今朝のことを振り返っていた。



 

 大人だからそういうこともあるのかなって想像しただけで、とても胸が痛くなって、苦しくなった。

 でもあらたさんをみたら、エプロンをつけたままだったから安心した。



 

 寧々ねねがエプロンにあしらった刺繍ししゅうが引き止めてくれたのかな?

 なんて、そんなわけないよね。

 もとからあらたさんはそんなことをしない誠実な人だから。

 


 

 元上司が家に来たことをほんとになんでもないように話すから、どんどん毒気が抜かれちゃった。

 それはそれで嬉しかったけど、寧々ねねも同じように思われてるのかな……。



 寧々ねねは少し下を向く。

 喫茶店のタイルの小さな染みが視界にうつる。

 

 


 それにしても、寧々ねね以外にあらたさんの料理を食べさせるなんて! もう!

 あらたさんの料理を食べられるのは寧々ねねだけだと思ってたのに!

 


 そのことを思い出して顔をあげた寧々ねねは頬をぷくっと膨らます。

 そんな顔をしたのも束の間つかのま、顔がによによと緩む。



 そのあとすぐに寧々ねねのために作ったなんていわれたら許すしかないよね。

 自分でも驚くほどに単純で、笑っちゃうんだけど。


 

寧々ねねちゃん、さっきから表情豊かだねい!」


 

「あ、店長」



 二十台後半から三十台前半の朗らかな女性が寧々ねねに声をかける。

 青色の襟足の長いウルフヘアにピアス、一見バンドでもしてそうな見た目だが彼女こそ、レトロ喫茶店『下弦の月』の二代目の店長である、月見つきみゆみだ。


 その見た目とは裏腹に父から譲り受けた喫茶店の味を守りつつ、個性的で映えるメニューを展開したり、見た目も自由にして可愛い女の子を採用したりすることでSNSでの人気を獲得するなど戦略的な一面を持つ。

 女性の中でも背の高い彼女はギャルソンスタイルがよく似合い、男性だけでなく女性からの人気もあった。



  

「最近の寧々ねねちゃんはみていて飽きないよお」



「そうですか?」


 

 こてん、と首をかしげる寧々ねね


 

「うん! 自分でも気づいてないのかい?」



「……自覚はちょっとあります」



「だろうねい、もしかしてあらたさん絡みかい?」



 知っている名前を出された寧々ねねは驚愕の顔で固まる。


 

「店長なんで知ってるんですか」



「だってたまに名前呼んでるじゃんかあ」



「え。私、口にでてましたか?」



「うん、ぼーっとしてるなってときにぼそっと言ってるよお? その様子じゃそれには気づいてなかったようだねえ」


 

 にやりと月見つきみ店長は寧々ねねの顔をみつめる。


 

「は、恥ずかしいです……」



 うぅ、と寧々ねねは真っ赤になった顔を白く細い手で隠す。

 その姿はただの恋する乙女だった。

 


「ほんと可愛いねえ寧々ねねちゃんは」


 

 月見つきみ店長は可愛い女の子をながめるのが好きだった。

 可愛い子はそこにいるだけで癒しになり、明日への活力になるのだという。



「そのあらたさんって人、うちに呼びなよ。サービスするよお」


 

「いいんですか?」



 突然の提案に、寧々ねねは聞き返す。



 サービスしてもらえるのは嬉しい。

 そしたらあらたさんの負担にもならないし、気兼ねなく来てもらえるよね。



 寧々ねねは庶民的な金銭感覚と相手を思いやる気持ちを持っていた。

 


「いいよお、寧々ねねちゃんが恋する相手、一目みてみたいしさあ」



「店長ありがとうございます。でも恋する相手ってやめてください、恥ずかしいです……」



「あはは、初心だねえ。可愛いねえ。それに寧々ねねちゃんが働いてるこの格好をみたらどんな男もイチコロさあ」


 

「そう、でしょうか?」


 

「うん! 自信持っていいよお」


 

 それから寧々ねね月見つきみ店長にからかわれつつ、アルバイトを終えるのだった。

 


 

◇ ◆




 バイトを終えて帰宅した寧々ねねは寝支度を済ませてベッドの上に転がっていた。




 今日は新さんの元上司の三好みよしさんに会った。

 今では結衣ゆいさんって呼ばせてもらっている。



 

 その結衣ゆいさんにこれまで先延ばしにしてた問題に質問をされた。

 いつか誰かに言われることだと思っていた、それがあのタイミングだった。

 そこには私を責めるつもりがなくて、ただただあらたさんを心配してる気持ちが伝わってきた。


 


 寧々ねねと同じ想いを持っているのが分かった。

 だからなにひとつ誤魔化さずにきっちりと答えた。



 

 それから、あらたさんがインターホンに出てる間に結衣ゆいさんとした会話を思い出す。



 

あらたくんの顔をみたときに思ってた以上に元気な顔だったのは寧々ねねちゃん、あなたのおかげだったのね』


 

『そうなのでしょうか……』


 

『きっとそうよ。あらたくん料理頑張ってて生き生きしちゃって本当かわいい。私はアメリカにいて駆けつけるのが遅くなったけどあなたが居てくれてよかったわ』


 

――――ありがとうね。

 

 

 そのとき、この人はたとえ自分がそばに居られなかったとしても、好きな相手の幸せを願える、心優しい人なんだろうと思った。

 だから、さり気なくずっとあらたくん呼びをしていたり誉めていたりすることは追及しないであげた。


 

 結衣ゆいさんは続けて、


 

『でも、諦めたわけじゃないから』

 


 と釘を刺してきた。


 


 それからは意気投合して仲良くなった。

 結衣ゆいさんが、じゃじゃーん、って子どもみたいに昨日の夜に撮ったあらたさんとの自撮りをみせてきたときは、ちょっと腹が立った。

 お酒を飲んで赤くなって目がとろんとしてるあらたさんが可愛すぎたからその気持ちは吹き飛んだけど。


 

 寧々ねねも負けじと自撮りだったり色んな服を着てるあらたさんをみせた。

 その写真をみて、かっこ良すぎる、尊い、としきりつぶやいていた結衣ゆいさんの姿は全然デキる女上司じゃなかったのが面白かった。



 そして脱線していってガールズトークになっていったんだけ。

 戻ってきたあらたさんは寧々ねねたちをみてびっくりしてたよね。

 


 そのときの顔が浮かんで、ふふ、っと笑みがこぼれる。



 いつもクールで涼しげな顔なのに、目が点になってて可愛いかった。

 結衣ゆいさんもそう思っていたに違いない。




「それにしても……あらたさん、アメリカにいっちゃうのかな」



 

 ふと、帰る間際に聞いたことが頭をよぎり楽しかった気持ちがしぼんでいく。

 これからのあらたさんの人生に、寧々ねねが口出しできることはなにもない。

 

 

 

 それにあらたさんはもう気づいてるかもしれない。

 寧々ねねが嘘をついているって……。


 

 寧々ねねあらたさんの思う、いい子じゃない。

 ずるくて臆病でどうしようもない。


 

 そんな寧々ねねがこのままあらたさんのそばに居てもいいのかな?




 


 

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