第14話 お義兄さん、いっぱい教えてください


 

 ある日の朝。

 俺がお弁当を食べている横で寧々ねねちゃんは勉強をしていた。



「お義兄さん、ちょっといい?」


「どうした、寧々ねねちゃん」



 俺に頼るなんて珍しいな。

 どれどれ、大学受験レベルならまだ忘れていないはずだ。


 

「この不等式を評価するところで詰まってて……」



 すると、思いがけない質問がきた。


 

「えっとだな。これは連続関数で近似してから考えるといい。そうすると一点の値でその周辺の値も評価できるようになるから」

 


「なるほどね。たしかにうまくいきそう」



 俺の回答に満足したようで、力が入っていた目元が緩まっていた。

 しかし、寧々ねねちゃんの質問は続く。

 

 「そもそも連続関数で近似できるとしていいのかなって気になったんだけど、そこって一般に保証されてるの?」



「あー、そこは……」



 そこからさらに説明を加えていく。


 

「そう考えたらよかったんだ。ありがと」

 


「役に立てたならなによりだ」

  


 いつもお世話になっている寧々ねねちゃんの手助けができたようで嬉しい。

 勉強だけはしてきた自信があるからな、こういうときに役立てないと。

 

 それよりも寧々ねねちゃんが勉強している問題って難しすぎないか?

 大学レベルでやるような内容なんだが。



「お義兄さんって、教えるの上手だね」



「そうか? 一応、教員免許なら持っているけど」



「え、そうだったんだ」



 寧々ねねちゃんが意外そうに目をみはる。



「お義兄さんって私と同じ天ヶ峰あまがみね高校出身だよね? ってことはウチの学校に教育実習にきてたの?」



「ああ。もう五年も前のことになるけどな」



 自分でいってそんなにも前になるのかと驚く。

 少し懐かしいな。研究授業までの準備で慌ただしかった記憶が大半だが。



 いや、そういえば、一人だけ熱心に教えをいにきてた生徒がいたな。

 たしか……。



「じゃあお義兄さんって、先生だったんだ」



 寧々ねねちゃんの声で俺の思考は戻る。


 

「先生というほどでもないさ。たった二週間だからな」



「それでも先生は先生だよ」


 

 寧々ねねちゃんはこういうが、本業の人に申し訳ないので先生気取りをするつもりはない。

 だか、学生からすればすごいことのように思えるのも頷ける。

 

 

 事実、高校生のときにみてた教育実習生は大人びてみえたしな。


 


「ねえ、一ノ瀬いちのせ先生」



 

 耳元でささやくように声がする。

 吐息が耳をなでて、背筋がぞわぞわとしびれる。



 

寧々ねねにいっぱい教えてください」


 

 ときどき寧々ねねちゃんは主語が抜けている。

 だから少し勘違いしてしまう。


 

 その考えを振り払い、俺はいう。


 

「こら、大人をからかうんじゃないぞ」

 


「ふふ、怒られちゃった。本当に先生みたい」


 

 寧々ねねちゃんは悪戯いたずらに微笑む。



「あのなあ……」



「じゃあ先生、次はこれ教えて?」



「これはだな……」



 頼られることは嬉しいから、些細なイタズラは水に流してしまう俺だった。 

 


 

 ◇ ◆


 

 あくる日の朝。


 

「ねえ、お義兄さん。あのアニメどこまでみた?」



「『俺義妹』だったよな。もう全部みたぞ」



「え、早いね。二期まであるのに」



「面白かったから一気みしてしまった。それに時間だけはあるからな」


 

 料理が趣味になりつつはあったが、それだけでは長い一日の時間を使い切ることはできない。

 贅沢な悩みではあるが。


 そこで寧々ねねちゃんにおすすめの趣味はないかと聞いたら、アニメをすすめられたのだ。

 


「じゃあ次は『お義兄さんだけど愛さえあれば問題ないよねっ』もいいよ!」



「そ、そうか。みてみるよ」 


 

 珍しく興奮気味に話す寧々ねねちゃんに気圧されつつも頷く。

 アニメに詳しいお友達がいるそうで、その子に色々と教えてもらっているうちに寧々ねねちゃんもハマったそうだ。



 偏見かもしれないが、最近はこんな今っぽい子もアニメをみるようになったのだなと驚いた。

 今っぽいという表現ももう古いか。



「最近だと『でかかわ』もいいなと思うぞ」



「え! お義兄さん『でかかわ』みてるの!?」



「ああ。ストーリーの起伏こそ少ないが、みていて和むんだ」



「ふふ、和むだなんて。かわいいね」



「そうだよな。あのキャラたちが織りなす生活はかわいい」



 こうして朝にアニメの話をしたりするのは楽しい。


 

 俺はこれまで時間がなくてそういった文化に触れてこなかった。

 そもそもアニメは自分とは縁遠いと思っていたのだが、これが意外と面白くて二十台後半にして目覚めつつある。



 趣味はいくつあってもいいし、始めるのは何歳からでも遅くないように感じる。

 家と職場の往復だけではみえなかった世界が広がっていってるように思えた。


 

 話が一段落して、俺はお弁当を食べ終え、寧々ねねちゃんは学校へ行く時間となった。



「お義兄さん、コーヒーちょうだい」


「どうぞ」



 一度飲んで以来、寧々ねねちゃんは俺が飲んでいるコーヒーをひと口ねだる。

 何回か、新しいのを淹れるか聞いたが、多くはいらないらしい。


 

 だから俺は寧々ねねちゃんのためにひと口だけ残すのがお決まりになっていた。



「うぅ、にが……」

 


 飲んだあとに、苦いにが、というのもお決まりだった。


 砂糖やミルクでもいれるか聞いても「そのままで飲むのが、好き」と、じっと目をみつめていわれた。



 それは俺もわかる。

 なんの不純物も入っていない、この味がいいんだよな。

 寧々ねねちゃんも分かってるなと、嬉しくなる。



「そういえばお義兄さん、今日は金曜日だよ」



「ああ、もうそんな曜日か」



 仕事をしてないと曜日感覚が鈍る。



「明日のこと忘れてないよね?」



「もちろんだ」



 明日の土曜日は、寧々ねねちゃんの買い物に付き合うことになっている。

 毎日、お弁当を持ってきてもらったり、たまに料理を教えてもらっているので、そのお返しだ。


 

「ふん、ふふーん。楽しみだなぁ」


 

 鼻歌を歌い左右に揺れて、やけに上機嫌な寧々ねねちゃんだった。

 まあ、お義母さんのお願いでこんなおっさんに毎日お使いを頼まれているんだ、なにか見返りがないとやってられないだろう。


 

 おそらく明日なにを買ってもらうか考えているに違いない。

 しかし、お金持ちのお嬢様がなにを買うか検討もつかないな。


 

 俺は明日のことを考えて、少し気を引き締めるのだった。

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