第12話 お義兄さん、ちゃんとみててね?


 寧々ねねちゃんに料理を教えてもらう日。

 近所のスーパーに買い出しにきていた。


 

 俺は買い物カゴ片手に、いつもより視線を上げながら寧々ねねちゃんの後ろをついて歩いてた。

 視界の下の方で、黒檀こくたんのような黒髪とその内側の林檎のように赤い髪がさらりと揺れる。



 いつも利用している場所に寧々ねねちゃんがいるのは不思議な気分だ。

 



 たまねぎの前に差し掛かったところで寧々ねねちゃんは立ち止まる。

 それから両手にひとつずつ手にとって比べているのが視界の端でみえる。

 

 

 「こっちの方が重いから、これにしよ」



 何度か比べたあと、ひとつを俺の持つカゴへ入れた。

 

 

 「人参はこの中なら、軸が細くてつやつやしてるこれだね」


 

 それからも寧々ねねちゃんは野菜をみては厳選していた。

 俺は感心して思わず声をかける。

 

 


 「へえ、野菜ってそんな感じで目利きしていくのか」



 「そうだよ。美味しいものの見分け方があって、それぞれの種類で違うの」



  野菜ひとつにしても選ぶところから、料理はできているのか。

  


 「この前は適当に近くのやつを取っていたから勉強になる。寧々ねねちゃんも料理得意なのか?」



 「え、ううん……。どうしてそう思ったの?」


 

 「なんだか手慣れている感じがした」



 「昨日お母さんに言われたこと覚えてきただけ」



 それにしては迷いなく選んでる感じがしたが、俺の気のせいだろうか。



 「それよりもお義兄さん、今日はなんだが少し上みてない? そんなところに食材ないんだけど」 



 「そ、そうか? 俺は背が高いからな。人よりも視線が高くなってしまうんだ」 



 「だめ、しっかりと下向いて。寧々がどうやって選んでるかちゃんとみて」



 そう言われてもな……。



 今日、俺が視線を下げないようにして、寧々ねねちゃんを視界の端でみているのには理由があった。


 

 それは寧々ねねちゃんの服装にある。

 いつものチョーカーやピアスはそのままに、今日は制服ではなく黒のワンピースを着ていた。

 


 デザインは少し首元が広がっていて鎖骨がみえる。ここまではまだよかった。

 問題は後ろ。ざっくりと開いており大胆に背中が出ているのだ。


 家に迎えにきたときには正面しか見えなかったので分からなかったが、歩きだしたときにそれに気づき、すぐに視線を上げたあと『背中が出すぎてないか?』と聞いたら、



『こ、こんなの普通だよ』



 振り向きもせずに寧々ねねちゃんに、そう返されてしまった。




 おっさんが服装にあれこれいうなんて、うざいと思われたんだろう。

 今どきの高校生のあいだではこれが普通なのかもしれない。



 

 寧々ねねちゃんの背中は余分な脂肪のない背筋が曲線美をえがき、雪のように白い肌はほくろひとつなく美しかった。

 視界にうつったのは一瞬のはずなのに強烈に印象に残った。


 

 

 それから自分の体で寧々ねねちゃんの背中を他の人にみられないように隠しつつ、俺も出来るだけみないようにしていたのだ。



 だから、しっかりと下を向いてと言われたが、そうすると前を歩く寧々ねねちゃんの背中をしっかりとみてしまうことになる。

 

 

 困ったなと思っていると、両頬に冷たい感触がして顔をぐいっと下に向けられる。

 目の前には頬をぷくっと膨らませた寧々ねねちゃんがいた。

  

 

「もう、お義兄さん。寧々ねねをちゃんとみててね?」

 


 教えてもらう立場の俺が、うわの空にみえたから怒っているのだろう。



 

「ご、ごめん。ちゃんとみてるから」



「うん、お願いね?」


 

 寧々ねねちゃんは俺の頬から手を離して、ふふ、と微笑む。

 今日の寧々ねねちゃんはやけに大人っぽい。



「お義兄さん、お肉は豚肉よりも牛肉の方が好きだよね?」



「ああ。牛肉の方が好きだ」


 

「うん、私も好き」




 寧々ねねちゃん牛肉のパックを手にとってカゴに入れる。



 さっきから主語がないような気がする。

 まあ、会話の文脈から伝わるからいいか。


 


寧々ねねちゃんはスムーズにものを買うよな。初めて来たスーパーなのにどこになにがあるかわかってるみたいだ」



 それはね、と寧々ねねちゃんは説明してくれる。


 

「どこのスーパーもお客さんの動きを考えた導線と陳列をセットで考えてるんだよ。入り口から反時計回りで野菜に果物、お肉やお魚、お惣菜でしょ、それからパンに牛乳みたいな感じで」


 ひと息おいて続ける。



「あとは内側あたりには冷凍食品、飲み物やお菓子、保存食品とかね」



 それを知っていたから迷わずにものを買うことができるのか。



「なるほどな。それにそう配置ことで回っているあいだに購買意欲を刺激するんだな」



「さすがお義兄さん。そういうこと」


 

 スムーズに買うのもそうだが、余計なものを買おうとしないのもすごいな。

 高校生の女の子だったらお菓子やジュースもついつい手に取りそうなものなのに。



「買わせるために上手くできてるな。でも、その知識があればマーケティングって分かるから必要なもの以外には目移りしないわけだ」



 何気なくいったのだが、その瞬間に少し空気が変わる。

 


「違うよ。私は最初から絶対に目移りなんてしない、必要なもの以外いらない」



 その瞳には確固たる意思が秘められているようだった。

 突然変わった温度感に俺は戸惑いながらも「そ、そうか」と返す。



 なるほど。寧々ねねちゃんは合理的で無駄なお金を使わない節約上手なんだろう。

 

 


 ◇ ◆ 



 

 必要なものを買い終え、俺たちは家と戻ってきた。

 


「さ、あがって」

 

「ただいま」


「おかえり。ってここは俺の家だからただいまじゃないぞ」


「間違えちゃった。おじゃまします」




 それからシンクに買ってきた食材を並べる。

 俺はシャツの袖をまくって料理を作る体制に入る。




「よし。早速やっていこう」



「お義兄さん、ちょっと待って」



 寧々ちゃんはトタタと玄関に向かって、そこから包み紙を持ってきて俺に手渡してきた。

 


「はい、どうぞ」

 


「これは……」



 包み紙を開けると、エプロンがあった。

 黒の無地、左胸に小さく『I.A』と刺繍がされてあるシンプルなデザイン。



「エプロンあったほうが便利かなって、お母さんが」

 


「便利だろうけれど……。貰っていいのか?」


 

 服が汚れないし、ポケットもあってたしかに便利だ。

 なにより料理をしてる感じがテンションが上がるが、ここまでしてもらっていいんだろうか。


 

「なにも考えず受け取っていいんだよ。それに形から入るっていうでしょ? エプロンつけてたら気分あがるだろうし」


 

 寧々ねねちゃんがにこっと微笑みかけてくる。

 俺の考えが見透かされてるようでドキっとしてしまう。


 

「そうだな、嬉しいよ。ありがとうとお母さんに伝えてて欲しい」



「うん。伝えとくね」



 俺はエプロンを着用しようと広げたそのとき。



「お義兄さん、エプロンのひも結んであげるね?」


 

 寧々ねねちゃんは俺の後ろに回り込み、エプロンの紐を結んでくれた。

 少しばかりの気恥ずかしさを覚えながら俺は感謝を伝えるのだった。


 

「あ、ありがとう」


「どういたしまして。私も一応料理の準備するから、ちょっと待っててね」



 

 寧々ねねちゃんはカバンのポーチからヘアゴムを取り出し、口にくわえた。

 そのまま髪を手で後頭部にひとつにまとめ、口にくわえたヘアゴムを手に持ち替えて、それを結ぶ。

 あっという間にポニーテールに仕上がる。


 

 黒髪とインナーカラーの赤髪とのコントラスト、細く伸びた首筋、耳のピアスのバランスがとても綺麗だった。


 

「えへへ、私のもあるんだ」


 

 次に寧々ねねちゃんがカバンから取り出したのはエプロンだった。

 俺と同じく黒に無地でシンプルなもの、刺繍はなかったが。


 女の子だからかわいいデザインのものを身につけるのではないかと思って少し意外だったが、寧々ねねちゃんは黒が似合うからこれでいいんだろうな。

 


「ねえ、お義兄さん。エプロンのひも結んでくれる?」



「ああ、いいよ」



「ありがと」



 

 さっき自分もしてもらったし当然だな。

 返事をしてから気づく、今日の寧々ねねちゃんの服装に。



 寧々ねねちゃんは背中のざっくりと空いたワンピースを着ている。

 エプロンの紐を結ぶことになると必然的に近い距離でそれを拝むことになる。


 

 引き受けてしまったのだから仕方がない。

 寧々ねねちゃんの後ろにエプロンの紐を両手に持って覚悟を決める。


 

 雪のように白い背中、ポニーテールにしているのでそれが余計に目に入る。

 ただ結ぶだけ、なのにこれほどまでに緊張するとは。


 

 まずは紐をきゅっと結ぶ、寧々ねねちゃんの背筋がぴくりと動く。

 なにも考えるな。結ぶことだけに集中だ。



 あとは輪っかに紐を通して蝶々の形を作れば、

 

 

「あ、お義兄さん……」



 突然、なまめかしい声をあげた寧々ねねちゃんにどきりとする。



「ど、どうした?」


「……強く縛りすぎだよ」

 

「うわ、ごめん!」



 気づかないあいだにぎゅっと強く結んでしまったみたいだ。

 


「優しくして、ね?」



 その言葉に俺はなにも返すことができず、しどろもどろになりながらもなんとか結び終えるのだった。

 


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