第7話 お義兄さん、いってらっしゃい
二段弁当を開けると、一段目には鶏つくね、さばの竜田揚げ、ひじきの煮物などといったおかず。
二段目には白米が敷き詰められてその真ん中には梅干し、周りには黒ごまがまぶされていた。
「今日のもとても美味しそうだ」
昨日の記憶がよみがって思わずだ液があふれる。
それでは鶏つくねから。小さい串にささっているのがそれらしくて気分が上がる。
マナーもあるが、こういうのは串にささったまま食べるのが粋だろう。
「ふわふわの食感に肉の旨みがぎゅっと詰まってて、甘辛いタレとマッチして美味しい。それにこの小ネギと白ごまが良いアクセントになっている」
それから白米をかき込む。
「この味付け、白米が進むな。本当に美味しい」
「卵黄つけたらもっと美味しくなるよ」
「つくねに卵黄は最高の組み合わせだもんな」
俺は卵黄を絡めたてりてりと輝くつくねを想像する。
甘辛いタレに卵黄のまろやかかさが加わるなんて、考えただけで美味しそうだ
「お弁当だから卵黄別添えは難しいけどね」
「そう、だな。それは残念だ……」
結婚式の準備や仕事に追われていたせいで、俺の家の冷蔵庫には卵はないため、残念ながらそれをすることはできない。
「だったら、うちに食べにくればいいのに」
「え? それはいくらなんでも厚かましすぎる。お弁当作ってもらってるだけで満足だ」
「ふうん」
そこから
なにやら変な感じになってしまったが気を取り直して、次はさばの竜田揚げを食べる。
「さくさくとした衣にふっくらとしたさばに、しっかりと下味がついてて美味しい」
これまた白米が進むやつだ。
「大根おろしにポン酢をかけるのも美味しいよね」
「……それもありだな」
おろしポン酢でさっぱりと食べるのも美味しいだろうな。
さくさくとした衣も好きだがくたっとなった衣もそれもまたいいものだ。
「これもお弁当だから難しいけどね」
「たしかに……」
お弁当にトッピングを求めても無理な話だ。
ああ、思いついたとしてもそれができないのがもどかしい。
「だったら、うちに食べにくればいいよね」
卵黄の絡んだつくねや、おろしポン酢のかかった竜田揚げはとても魅力的だ。
だが、どこの世界にそれを求めて元婚約者の家に行くやつがいるというのか。
「いや、さすがに悪いから遠慮しておくよ」
「ふうん」
それからまたも
しばらくしてなにかを思いついたようにハッとした表情をする。
「そうだ、お義兄さん。写真撮っていい?」
「え? 写真?」
「うん、お母さんが写真撮ってきてって言ってたんだよね」
「いや、それは――」
「
「撮っていいぞ」
断ろうとしたのだが、そんな決意は呆気なく揺らいでしまった。
こんな美少女にしゅんとした表情をされて断れる男がいるのだろうか。
写真の一枚や二枚でこの顔が晴れるなら安いものだ。
「ところで
「ん? 写真撮ろうとしてるんだけど?」
「こんなにくっつく必要あるのか」
「なにいってるの。自撮りなんだから当たり前だよ」
返してもらったスウェットと同じ、甘く優しい匂いがする。
あれ、てっきり俺の食べてるところのピンの写真を撮ると思ってたのだが。
「じゃあ撮るね」
「あ、うん」
とても自然に写真を撮るものだから抵抗することなくあっという間だった。
写真なんて撮りなれてないから、自分がどんな顔をしているか分からない。
俺の顔に価値なんてないから気にする必要はないのだが、一応きく。
「変な顔してないよな?」
「変……」
やっぱりか。
「だったら消して撮り直そう」
「ううん、消さない」
どうしてだ。
まあ俺の顔が変だからってもう一度写真を撮るのは面倒か……。
そんなことがありながらもお弁当を食べ終えるのだった。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
寧々ちゃんが満足そうな表情を浮かべていた。
こいつやっと食べ終わったって思ってるんだろうな、お義母さんからのお願いでおっさんが食べているところみなくてはいけないのだから当然だ。
「お義兄さん今日はどうだった?」
「もちろん美味しかったよ。それに昨日はあれからまた寝ちゃって朝までなにも食べてなかったから助かった」
「え? あれからなにも?」
信じられないといわんばかりに目を見張る
「うーん、でも大丈夫。仕事が忙しくて一日食べてないことなんてしょっちゅうだからさ」
「それ、全然大丈夫じゃないんだけど」
むむ、っと眉間にしわを寄せてにらんでくる。
社会人なのに食事管理もできなてないと思われてるんだろうか。
それはごもっともではあるからなにも言えない。
「そうだ、お義母さんにもうお弁当は作らなくていいって言ってて欲しいんだけどお願いできるかな?」
「え、なんで? 迷惑だった?」
「迷惑というか、お義母さんに俺の弁当を作ってもらうのが申し訳ないんだ」
「そっか。でもさっきの話をお義母さんが聞いて作らなくなると思う?」
一日食べてないことが頻繁にあるなんて普通の人が聞けば心配するだろう。
ましてやあの
「思わない、な。だから黙っててくれると嬉しい」
「だめ。私、お義兄さんの様子を報告しないといけないから」
口もとをきゅっと結んで、なにかを決意したかのように
やってしまった。
「一日食べてないのにコーヒーだけで済まそうとしてたことも、ね」
「ええと、これは社会人のガソリンというか、眠気覚ましにもってこいなんだ」
「……寧々も飲んでいい?」
眠気覚ましということに興味を示したのだろうか。
俺にお弁当を渡すために朝早くから来てくれてるから、眠いのかもしれない。
このままではいろいろと責められそうだから話に乗ることにした。
「ああ、いいぞ。今から用意する」
「大丈夫、そんな一杯も飲めないから。それでいいよ」
それ、といって指さしたのは、俺が飲んでいた、今ではすっかり冷めてしまっているコーヒーだった。
そして寧々ちゃんはカバンからティッシュを取り出して唇にくわえる。
「ごめんなさい、見せるのはマナー良くないんだけど」
「いや、そんなことは……」
リップの色がカップに移らないようにしてくれたんだろうか、普段あまり見ることのない女性の仕草にどきっとする。
寧々ちゃんはカップに手をかけて一口すすった。
「……たしかに目が覚めるね」
ひとこと言ったあと、にが、と寧々ちゃんは舌を小さく出しながら目を細める。
苦さで目が覚めるわけじゃないんだが。子どもにとってブラックコーヒーは美味しいものではないのだろう。
「じゃあ私、行かなくちゃ」
時計に目をやるとそろそろいい時間だった。
「俺もだ」
立ち上がってお弁当とカップを洗ってから、ジャケットを羽織りカバンを持って家を出た。
途中、私が洗う、と寧々ちゃんから申し出があったがそれは丁重に断った。
それからマンションのエントランスを出たところに二人立っていた。
「
「うん、わかった」
「じゃあ、俺こっちだから」
「お義兄さん」
「ん?」
「行ってらっしゃい」
朝日が
なんだか良いものをみれた気がする。
毎朝、忌々しいと思っていた太陽に感謝する日が来るとは。
「うん、行ってきます」
その笑顔が眩しくて俺は目を逸らして行こうとしたが、呼び止められる。
「お義兄さん。言い忘れてたけど、スーツ似合っててかっこいいね」
「……ありがとう」
お返しになにか言おうとしたが「制服似合ってるね」はさすがに変態だと思ったので、
「寧々ちゃんも、行ってらっしゃい」
こんな普通の言葉を返すことしかできなかった。
「行ってきます」
そういいつつも寧々ちゃんはその場を離れない。
このままじっとしているわけにもいかないので俺は歩きだす。
曲がり角を曲がるときに少し気になって振り返ると、寧々ちゃんはまだその場所にいてこちらをみていた。
俺が振り返ったのに気づいて、にこっとはにかんで小さく手を振って見送ってくれた。
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