file.04 : 猫のマタギネコ
case01 : 小さな出会いは食欲と共に
「行ってきます」
「あぁ、気を付けてな」
朝方、一之瀬君は学院に通学のため学生らしい制服に身を包み、数冊のノートを荷物に嬉しそうな表情を携え、玄関を抜けていった。久しぶりの学院で緊張していたようだが凛も同じクラスだというから大丈夫だろう。
担任の先生も知っているのだから、不安材料はゼロだ。
安心して彼女を見送り、一人リビングで書物開く。読本のジャンルは日によって異なるが、最近はミステリー小説を愛読している。ミステリー、――推理小説は難しいと忌避する人も多いが、実際は想像よりも読みやすい。場面を詳しく伝えるために情景描写が描かれている場合が多く、登場人物の動きを細かに表現することで、読者に怪しさを感じさせる。そのお話の未来を読み解き、登場人物と同様に推理させる。それこそが作者の狙いであるからだ。
そんな風に思えるのは探偵だからだ……と思っただろうか?否定したければ一度読んでみるといい。
勝手な偏見と思い込みで物事を遠ざけようとするのは、人間の悪い癖だ。一度触れ、中身を知り、その上で否定するならばよし。相性や向き不向きは誰にでもある。
面白いと思えたならば、それは人生にまたひとつ、楽しみが増えた素晴らしい出会いだろう。
しかし、忘れてはいけないのは、それがフィクションだという事だ。
実際の探偵は小説のように事件に頻繁に巻き込まれたり、難事件のきっかけに出会ったりなど、そんな都合のいい展開は稀だ。警察に頼めないような事柄や、取り扱ってくれないようなものをお金をもらって解決する。
探偵とは名ばかりの何でも屋だ。
推理小説を素晴らしいと思っても、探偵に夢を持ってはいけない。それだけは忠告しておく。
……読書を始めてから2時間が経過。
俺は時計を確認し、徐ろに外に出る。
日々のルーティンとして、この時間に庭の手入れをするのが日課である。手入れと言いつつ、やる事といえば水やりと雑草抜き。後は虫や病気でダメにならないよう観察をする程度。昨日、一昨日といろいろあって手入れができていなかったので、今日は念入りに行う。
この庭には、薬の材料となる花や草、普通の野菜などかなりの種類が育っている。魔術で自然に育つようになっているが、暇つぶしに始めた水やりや雑草抜きが、いつの間にか習慣となりつつあった。
1時間くらい作業をしていると、太陽の陽気に当てられて少し腹が減ってくる。いつもの事だ。
「今日はラーメンにするか」
俺は自分の気分で昼飯を選ぶ。
よって高確率でラーメンになる。
水道で手を洗い、その足でラーメン屋へと向かった。
家を出て東に真っ直ぐ進む。
この辺りは家ばかりの静かな住宅街なので、塀や柵が続いているため日影が多い。昼間はこうして歩いていても暑すぎるという事は無い。
ふと、目線の高さ近くの塀に視線を移した。
魔力の気配がしたような……。
しかし、そこにいたのは全身真っ黒の猫だった。いわゆる黒猫と言うやつだ。野良猫などこの辺りでは特段珍しくもない。
「気のせいか」
俺は気にせずにラーメン屋へと足を進めた。
暑くないとはいえ、やはり外は嫌いである。
【――ラーメン屋佐藤――】
背後の気配が消えない。
ラーメン屋のある通りまで来たが、背後から薄い気配がずっと続いている。
猫だ。例の黒猫である。
先程出会った猫が、何故だか分らんがずっとついてきて来ていたのだ。
俺はさっと後ろへ振り向き、猫を睨みつけた。すると、予想以上に近い距離で目があった。
しばらく睨み合っていたが、猫がフンと鼻を鳴らし塀の向かい側へと下りてしまったので、俺は気にせず歩き出した。
動物の本能と言うやつだろう。
何となく動くものに惹かれただけだ。
ラーメン屋佐藤に到着し、古く重く、手に馴染んだ引き戸を開けた。
店に入るといつものように大輔さんがカウンターの後ろにいる。
しかし、今日はどこか難しい顔をしている。
何かあったのだろうか。
「こんにちは、難しい表情でどうかしたのか?」
酔っ払いが暴れていても、厄介な客がイチャモンを付けてきても、娘がラーメンを客にぶちまけても、このような難しい表情をしていたことはない。
……あぁ、優香君がイケメンに口説かれていた時だけは、ブチ切れ寸前の顔だったか。
「ん、おっと、いらっしゃい神谷の兄ちゃん。ごめんな……今少し立て込んでいて、少し待っていてくれ」
そう謝罪をして店の奥へと消えていく。
やはり何かあったようだ。
しばらく待っていると大輔さんが戻ってきた。
そして俺の顔を見て一巡二巡思考をめぐらせた後、何かを言いかけて首を振り止まる。
その仕草はあまりに不審である。
「大丈夫か?俺でよければ相談にのるが」
俺が尋ねると、再び悩んだ後思い切って相談してきた。
「悪い、ありがとう。……実は、3日前くらいから頻繁に物や食材がなくなるようになった。常に店にいる俺が気が付かないうちに」
「巧妙な窃盗……ってことか?」
「いや、それが盗まれたのは大した価値のあるもんじゃない。麺や皿、食材とか、金になるようなものは盗まれてねぇ。気がつくと、少しづつ何かが無くなっているような感じだ」
「なるほど……では今日も?」
「今日は鍋なんだ。それも麺を茹でるための大事な器具」
それでさっきから落ち着かない雰囲気だったのか。
……待て、では今日の俺のラーメンは?
「あれがねぇと、美味い麺が出せないんだ」
大問題である。
早急に何とかしなければ、明日から何を食べて生きていけば良いというのか。
「とりあえずカウンターと厨房を見せてもらえるか」
「ああ、手がかりがあればいいんだが……」
俺は大輔さんに続いて奥へと移動する。
一通り眺めた限り、カウンターには特におかしなところはない。そのまま奥へ向かう。
基本的にカウンター後ろの台所で調理している姿を目にしているが、その奥にも立派な厨房が備え付けられている。
大輔さんの話では、事前の仕込みはこっちで行うことが多いとか。お客の俺とは縁のない場所と言うことになる。
つまり、一般人にもそれほど価値のある場所では無い。
「鍋はどこに置いてあったんだ?」
「今日は午後からの開店のために、材料と器具を準備していた。鍋は厨房の机の上に置いてあったんだ。少し目を離したすきになくなっていやがったよ」
厨房に入った大輔さんは、部屋の中央にある机に向かい「ここだ」と場所を示す。
「兄ちゃんが入ってくる10分くらい前までは確かにあったのを覚えている。そこに出したのは俺自身だ。盗られたとすれば、その後だが」
目を離したと言っても、たった10分である。
さらに、厨房には手前のカウンターを通らなければならず、そこにはずっと大輔さんがいたはずだ。
「ちょっといいか」
俺は机の上の辺りに近づく。かすかに魔術の痕跡がある。これは……
「魔術の痕跡……か?」
「魔術?」
俺のつぶやきに、大輔さんが反応する。
「魔術を使ったってのか?そんな気配は感じなかったが」
「収納魔術など、あまり魔力の気配がしない魔術は多く存在する。トラックやプール並の水ならばともかく、鍋程度の大きさなら気配はほとんど感じないし、痕跡もほぼ残らない」
「良く見つけ出したな」
「
「それは心強い」
長いこと事件の調査に関わっていると、こういった魔力の痕跡には敏感になる。痕跡は時間経過で薄くなる影響で、一つの見逃しも致命傷に繋がる。
「問題はどうやってここに侵入したか……だ」
「そうだよなぁ」
俺たちは黙って考え込む。
「そういえば、大輔さんは鍋が無くなった時、どこにいたんだ?」
頭の整理もかねて尋ねてみる。
「いつも通りカウンターにいたさ。皿の確認をしていた、流石に正面ドアから入ってきたら分かるぞ。俺だってもとは魔術師だからな」
苦笑いをしつつ大輔さんは答える。若いころは軍で働いていたこともあったという。それなら魔力の大きな痕跡に気付かないわけがない。
幻惑系魔術という姿を消す魔術もあるが、あれは持続時間が短く、発動と解除の瞬間に大きな魔力の痕跡が残る。空間移動系の魔術も同様だ。
「では、犯人は厨房に直接入ってきたという事になるな」
俺は厨房を見渡す。外と繋がっているのは壁際の机の上に付いた小さな窓だけだ。もちろん人が入れるような大きさではないが。
「少し外を見てきてもいいか」
「ああ、俺はここで待ってるぞ」
大輔さんに断りを入れ、外へと出る。建物の裏手、先程の窓があった位置を調査する。この店は道路の角に当たる位置に建てられているので、ここは道路に面している。
窓から侵入できたとしても、人に見られるリスクが高い。
窓の周辺には籠や箱、後は換気扇か何かのパイプが横に出ているくらいだ。
流石に普通の人間では、ここを魔術なしで通るのは難しそうだ。だが、一つだけ気になることがある。
何故か、都合よく箱が積み重ねられ、窓まで登ることができるようになっているのだ。物が盗まれていると警戒していた大輔さんが、このように置くとは思えない。つまり誰かが意図的に動かしたとことになる。
もう少し調べるため、1番上の箱を持ち上げて見る。
すると、そこには小さな足跡が1つ。かなり真っ黒なので模様が潰れていてなんの動物かまでは分からない。大きさからして犬……あるいは猫、だろうか。
「とりあえず戻るか」
俺は箱を元の位置に置き、厨房に戻った。
厨房に戻ると大輔さんに気がついたことを伝える。
その上で、大体の推測も立てる。
「犯行の経路と、手段は分かった」
唐突だったもので、大輔さんの一瞬動きが停止する。
慌てて意識を戻し、驚いた顔で言葉を返す。
「本当か?この短時間で……探偵ってのはすごいんだな。それで……」
「まだ犯人は不明だ。だいたいの見当はついているが、確証がない以上断言できるものでも無い。後ほど、改めて調査しに来るが、問題ないか?」
「兄ちゃんが調べてくれるなら安心だ。よろしく頼むよ」
快く承諾してくれた大輔さんに、思わず小さな笑みが溢れる。素直に信用されているのが伝わってくる。
「では、今日は一度帰ることにする」
「せっかく来てくれたってのに、ラーメン作ってやれなくてすまねぇな」
準備のための帰宅の旨を伝えると、大輔さんは申し訳なさそうにそう告げる。俺としては、むしろ困っているところに出会えてよかったのだ。
日頃から、美味しい麺をいただいている。それは、お金では感謝しきれない大きなモノだ。
「俺も美味しくラーメンが食べたいからな。鍋が戻ってきたら、一杯作ってもらおう」
「そう言ってもらえると嬉しいぜ」
そんな会話をして、俺は店内を出た。
「では、また……ああそうだ」
俺は足を止め振り返る。
立ち去る前に、伝えておかねばならない。
「大輔さん。今日の夜は、俺がさっき見ていた窓を一晩だけ開けておいて欲しい」
【――神谷探偵事務所――】
途中でコンビニに寄り、昼飯を買った。
道中で手早く済ませ、事務所へと帰宅する。まだ夕方には程遠く、一之瀬君はまだ帰って来ない。
夜に起きるため、仮眠をするべく自室へと向かう。
直ぐに寝れるわけもないので、午前中に読みかけて止まっていた本でも読み、眠くなるのを待つ。
ベットに横になり数分文章に集中していると、次第にゆっくりと睡魔が襲ってくる。
抗うことをせず、そのまま目を閉じる。
夜中まで爆睡しないよう、注意しておかなければ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます