お菓子が好きだから、自由高校で青春します。
夢色ガラス
イレギュラーな世界
「凛、お菓子が出来たわ」
私、
「…美味しそう」
机に置いてあったのは、カップケーキ。チョコが可愛らしく乗っていて、ふわりと良い匂いが漂っている。お母さんが作るお菓子はとても美味しい。デパート地下で買うような高級品にも、昔から受け継がれてきた老舗の和菓子にも負けない、程良い甘さに程良い食感。匂いだけでもワクワクしてくる。
「ちょっと早いけれどお菓子の時間にしちゃおうか」
お母さんはお菓子を見て頬を緩めた。時計を見るとまだ2時10分。学校に行っていたら5時間目が始まった時間…。私は幸せそうなお母さんの顔を見て、はあっとため息をついた。
高校生になってから、学校に行けなくなった。
学校が嫌いなわけでも、いじめられているわけでもない。中学生の時はクラスの中心にいてリーダーシップをとるようなタイプだった私。高校に入って変わったところといえば…目が悪くなってメガネに変えたことぐらいだ。本当に、なんで行けなくなっちゃったんだろう。
「凛、どっちがいい?」
高校2年生になってからも学校に行けない私に優しくしてくれるお母さん。そんなお母さんのことは好き、だけど…ー。
わざわざワガママ言って学校を休ませてもらっているのに、家にいても気分が悪い。どうしても学校のことが頭から離れない。ケーキに乗ってる甘ったるいクリームみたいな声で話しかけてきた教師のこと。真っ赤な苺みたいに鮮やかな容姿をして、悪口を言いまくる友達のこと。ああ、学校って嫌なものが詰まったパフェみたいだ。見た目は可愛くて見ているだけで幸せな気持ちになれるけれど、現実はそう甘くない。パフェは、全ての材料を上手にすくって上手に食べなきゃいけない。偏ってアイスクリームだけを食べると、後で残ったスポンジは味がなくて美味しくない。友達も同じ。悪口を言いすぎても言わなすぎても、ベタベタしすぎても離れすぎても、良くない。パフェって、人間関係に似ている。
「……」
「凛…また学校のこと考えてるの?高校がすべてじゃないんだから。あそこは凛に合わない高校だっただけよ。家で勉強すればいいんだから、気にすることないわよ」
お母さんがペラペラとしゃべり出す。私は曖昧にうなずくと、お母さんがリビングの机にカップケーキを運んでくれる。私も立ち上がってついていく。
「で、凛はどっちが食べたい?」
「美味しい方」
「どっちも美味しいわよ」
お母さんがクスクスと笑う。私も笑う。安心させるために。学校に行くと自分の生きている意味が分からなくなる、だなんて間違えてお母さんに本音を吐いてしまった私は馬鹿だ。そんなこと言わなければ無理して学校に通い続け、誰にも心配をかけることはなかったのに。
「じゃあ、凛はこっちにしなさい」
お母さんは優しく微笑みながら、ふんわりと膨らんだカップケーキを私に渡す。
「…なんで?」
手のひらに収まる小さなカップケーキを眺める。小さく切ったチョコレートが、ピンク色がかった生クリームの上に乗っている。
「こっちの方がチョコの量が多いから。凛、甘党でしょ?」
私はお母さんの優しい眼差しを見つめながら微笑む。甘党から辛党に変わったのっていつだったっけなぁ、とか考えながら。
「生きているから、お菓子を食べられるのよ。凛と全く同じものが好きな人は誰もいないんだから。お母さんは凛のためにお菓子を作っているのよ」
生きていて良かった、と私に言わせるためのお母さんの努力は計り知れない。でも残念ながら私はお母さんの意図が読めている。これ以上、無駄に自分の価値を下げるのも、無駄に心配をかけるのも嫌だから。
「うん、そうだね」
私の無感情な声を聞きながら、私はお菓子に目を向ける。
お菓子は大好き。お世辞でも嘘でもなく本当に、好き。嫌なことがあっても、お菓子を食べると忘れられる。私が9歳の時に家を出ていったお父さんが大好きだったふわっふわのシフォンケーキは、私が一番好きなお菓子だ。私はお父さんっ子だったし、お父さんと一緒にパティシエールを目指していた過去だってあった。今もお母さんが仕事に行った時は、バレないように隠れてお菓子を研究したり、作ったりしている。お菓子が好き、お菓子作りも好き、お父さんはもっと大好き。私が生きているって実感できるのは、好きなものを感じられる時だけだ。
お母さんの優しさは受け取めきれない。
「我ながら上出来。美味しい」
お母さんが嬉しそうに頬張ったお菓子をボンヤリ見つめる。あぁ、私って生きてる意味あるのかな…?
「せっかくのできたてなんだから熱々のうちに食べましょ?」
困ったように眉を寄せるお母さんの声と、昔放ったお母さんの一言が重なる。あれは、お父さんが家を出ていった日。お父さんがはじめて私の前で、お母さんと喧嘩をした日ー…。
「せっかくのできたてなんだから熱々のうちに食べましょ?」
お母さんが、私にお菓子の本を読み聞かせているお父さんに言った。
「分かった。でも少し待ってくれ。今良い所なんだよ」
お父さんが再び本を開くと、小さい私は目を輝かせた。お菓子を作ったことが一度もない主人公が、パティシエールになっていく過程を描いた本。私はこの本が大好きだった。
「凛もこのお菓子作りたい!食べたい!今から作ろうよパパ!」
お父さんが開いたページには、見ているだけでお腹が空くような可愛らしいクッキーが載っていた。
「だめよ凛、ご飯の前に食べたらお腹いっぱいになっちゃうでしょう?」
お母さんは幼い私にそう言った。昔のお母さんは、とてもしっかりしていて厳しかった。決められた時間に決められたことをする、自分を高めるためには必要以上の努力を怠らない。私は少し、そんな厳しいお母さんが嫌だった。でもお父さんは…。
「せっかく凛ちゃんが好きなことを見つけて、やりたいって言っているんだから、やらせてあげればいいじゃないか。
美鈴っていうのは、お母さんの名前。お父さんとお母さんはフランスでお菓子を作っていた凄腕パティシエだ。今はもうお母さんはパティシエールをやめてしまったけれど、それでも私と一緒にお菓子を作る時のお母さんは幸せそうだ。
私の好きなことをたくさんさせてくれて、私のことを一番自由に解放してくれるのはお父さんだけだった。でも、この日もいつもように性格の合わない夫婦は喧嘩をはじめてしまった。
「確かに昔はたくさん作ったわよ。でも、今からご飯なのよ?」
「前に、凛ちゃんの好きなことを最優先にしようねって言っていたじゃないか」
微妙にすれ違いはじめた話に、お母さんが苛立たしい声でぴしゃりと言い放った。
「それとこれとは話が別よっ!!!」
「…ーん…ーりん…凛?」
お母さんの心配したような声に、現実に引き戻された。お父さんがいなくなってから、お母さんの教育方針にならって生きてきた私。あぁ、久しぶりにお父さんに会いたいなぁ。変に気を遣わなくてもいい、自由人だけれど優しいお父さんに。
~6時半~
「凛!学校の先生からお電話よ!」
一通り勉強が終わって、夕飯前のお昼寝をしていたところに、お母さんの慌てた声が聞こえてきた。確かにりりりりっーという元気な音が聞こえている。
「はーい、今出るー」
大きなあくびをしてから、いそいそと受話器を取りに向かう。そして、寝起きの声になっていないか確かめてから通話ボタンを押した。
「はい、木下です」
『お世話になっておりますぅ。○□高等学校の、安田と申しますぅ。凛さんはいらっしゃいますでしょうかぁ?』
安田先生だ。担任の女の先生だけど、しゃべり方がムカつくので嫌われている先生だ(クラスのグループLINE情報)。まあ確かに、寝起きの耳には心地悪い。
「私が凛です」
『あらあら凛さん、お久しぶりです。お家での学習状況はいかがですかぁ?どんな風に勉強しているのかなぁ?』
「教科書とYouTube見ながら学校の範囲を勉強してます」
『あーら、偉いわねぇ!でもね凛さん、そろそろ学校に来てみない?
柚希…明るい性格をしていて、学級委員も積極的に引き受けるような女子。優しくて勉強もできて社交性で、見本のような高校生だ。私と中学校が同じで、中学時代は私の大親友だった。今は違うけど…ー。
<つづく>
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