第四話「悪友」5/12
初めて『抱ける』と思った男はきっと、初めて『抱きたい』と思った男のことも、いつか食い散らかすような気がしていた。
酒の席というものは、社会人をやる上でとても大事なものだということは理解している。ましてや自分――優利は男で営業職だ。本当は酒なんて飲めないなんて言えないし、せっかく誘ってくれた取引先や先輩にも失礼というものだ。
そう思って最初は無理して参加していたのだが、どうやら自分はそこで『失敗』というものをしたらしい。取引先からクレームが来た、ということはなく、仕事に支障も出なかったのだが、それ以来仕事場の飲み会では酒を注がれなくなったし、接待で飲む係というものは後輩が担当することになった。
酒の席での失敗は、仕事先だけではない。友人達との飲み会でも、自分はアルコール一杯で睡魔に襲われ記憶がなくなる。強面でガタイが良いせいか、初対面ではだいたい酒に強いイメージを持たれるのも問題かもしれない。
そんな酒に弱い自分でも、特に仲良くしている親友とも悪友とも呼べる相手の前では、遠慮せずに好きなだけ――記憶を飛ばさない程度の少量の酒を楽しむことができる。
今はそんな飲みの帰り道。親友とも悪友とも呼べる三歳年下の男、拓真と共に、彼の自宅に向かっている。拓真の愛車に乗せてもらっていて、もちろん運転手である拓真は飲んでいない。酒よりも運転の方が好きな自分達は、飲みと言いながら片方が飲まないということも多かった。
「今日の優利くん、えらいご機嫌やん? なんかええことあったんー?」
視線は前を向いたまま、拓真が口元に笑みを浮かべて言った。呼び捨てで良いといつも言っているのに、彼はずっと優利のことをくん付けで呼ぶ。共通の親友兼悪友であり共通のセフレでもある女友達もそうなので、きっと二人でわざとやっているに違いない。
「うん? わかるか? だって、今夜はこのままお前の家でお泊りやろ?」
わざと大袈裟に笑って言ってやると、拓真もギャハハと品のない笑いを返してくれた。いつものノリだ。素面の彼は異常に勘が鋭いので、どこでカマを掛けられるかわからない。
「せやなー。で? なんか僕に聞きたいことでもあんのー?」
明るい茶髪の下で、色気のある瞳が細められる。
どうやらバレていたらしい。男にしては細身な彼だが、その瞳に宿る迫力にはいつも驚かされる。前方で赤信号が光り、それに合わせて止まった車内は、時まで止まってしまったようにすら感じさせた。
視線はあくまで前を向いたまま、親友兼悪友は、優利の心をどこまでも見抜いていて。
「……俺の弟……昌也がゲイってのはお前も知ってるやろ?」
「昌也くんが優利くんにカミングアウトする前から知ってんで。僕もバイやからよく話は聞いてたし。さすがに手は出してへんから安心して欲しいけどー。話ってそれなん?」
「俺さ、すげーキモイん自分でもわかってるんやけど、弟のこと全部わかってやりたいって思って今まで生きてきたんやわ。歳の離れた弟やし、正直……めっちゃ溺愛してる自覚はあるんやけど」
信号が青に変わり、けたたましい排気音を響かせて車が動き出す。
「ふんふん。つまり優利くんは、『ゲイの弟の気持ち』が知りたいってこと? んで、男とヤってる男なんて僕くらいしか知らんし聞けんから、酒の力に頼って聞こうとしてるってこと? 慣れへん酒の力でー」
「やっぱ悪友やなー。よおわかっとるわほんまに……つか、酒の力うるさいわ」
自分的にはけっこうな問題発言を連発したつもりだったが、想像通りというかなんというか、貞操観念欠如気味のこの悪友であり類友は、ははっと笑って優利の相談に乗ってくれる。ここまで気兼ねなく話せる関係は、本当に数える程しかいない。
「そんなん普通の恋愛と一緒やで? ちょっと入れる穴がちゃうだけで、嫉妬も浮気もあるしなにも特別なことないって。まあ、確かに? 同性とヤれるかってノンケが聞かれたら、“普通”は無理やろけど――」
「――俺、拓真やったら抱ける気がするねんなー」
車の運転がぶれることはなかった。さすがに拓真の顔を見る勇気がなくて、優利も敢えて前だけを向いてそう言ったのだが、こんな反応を返されてしまうのは想定外だった。きっと悪い冗談だと流されるか、お遊びのような感覚で『お試し』でもするかと誘われるか、それか単純に笑われるかと思っていたのに……
「……マジで言ってる? めっちゃ嬉しいから、今更嘘なんて言わんといてや?」
運転席からぐっと拓真の左手が伸ばされて、優利の太股を撫でる。骨ばった男の手だというのにその動きがあまりに艶めかしく、どくりと自分の中でスイッチが入るのを自覚する。
「お前に嘘なんて、俺がつくと思ってんのか?」
――あー、やっぱヤれる。こいつならヤれるな俺。
「優利くんが嘘つくんは女の前だけやもんな」
「ちゃうって。自分のモンにしたい奴にだけや」
ワンルームの玄関の扉を開けた瞬間、どちらともなくキスを交わしていた。扉が自然に閉まるに任せて、そんな些細なことなど気にもせずに、優利は拓真に舌を絡ませる。
じれったそうに靴を脱ぎ散らかして、そのまま靴箱の隣の壁に背を預けた形の拓真は、どんな女よりも甘い声を零していちいち優利を誘惑してくる。本当によくわかっている男だ。
「拓真……えろい。なあ、ほんまに今夜はヤれへんの? やっぱケツって、めっちゃ準備せなあかん?」
「そんな切なそうに言わんといてや。僕かて優利くんと今日ヤれるってわかってたらアホみたいに晩飯食わんし、なんやったら全部準備終わらせて速攻家来い言うてるわ」
その顔が本当に残念そうで、優利は思わず吹き出しそうになってしまう。照れ隠しも兼ねてキスによって乱れた胸元にコツンと俯いて額を当てる――こいつは細身だが筋肉質で、しかも優利よりも少しだけ背が高い――と、「来週末に、しよか。その代わり、今夜はこっちで抜いたげるから」と言って拓真からキスを返された。
「お前はフェラ、上手そうやな」
「優利くんは男の舐めんの初めてやろー? できそうやったら僕のもして欲しー」
「……今夜は忘れられへん夜になるな」
了承の代わりにそう言ってやると、拓真は満面の笑みを浮かべて色気のある腕を絡めて抱き着いてきた。
「んー。優利くん大好きー」
いつも違うセックスの相手を連れ歩いている男の口から流れる愛の言葉は、それでもそれなりに優利の胸に染みるから不思議だ。それは彼の纏う妖艶な気配のせいか、それともその言葉に多少なりとも真実が含まれているからか。
「俺も好きやで。俺だけのモンにしたい。けっこうマジで」
「えー? 束縛しちゃう優利くんは僕の中のイメージと違ーう」
絡めていた手をパッと離して勘弁してと言うように左右に振る拓真だが、ちゃんとその後「でも嬉しい。はやく食べたいし、僕のことも食べて欲しい」と優利の欲しい言葉をくれた。本当によくわかっている。
拓真は壁についている浴室の操作パネルに手を伸ばし、風呂の用意を始めながら言った。
「風呂で洗いながらしよか。ちゃんと綺麗にしとかな、初めては匂いとかやっぱ苦戦するやろし」
その後は結局、のぼせるんじゃないかと思うくらい風呂場で“絞られ”、わりとはっきりした頭でした『初めての奉仕』では、相手への感情のおかげかほとんど嫌悪感もなかった。舐め上げながら見上げた拓真の表情にそそられて、思わず愛の言葉までも囁いてしまった程だ。
「優利くん初めてとは思えんくらい上手かった。やっぱあれ? 自分が気持ちええとこ攻めてる? せやんなー?」
シングルサイズのベッドで風呂場での行為の余韻に浸りながら、まだ水滴の残る身体にせがまれるままに腕枕をしてやっていた優利だったが、悪戯気な拓真の上目遣いに“これ以上”を求める自分を誤魔化す為に立ち上がる。
「そのだらしない顔やめえ。つーか、このまま寝れんねんけど? 歯磨きもしたいしお前の寝間着も着れへんし、ちょっとコンビニ行きたいからお前の下品な車貸せや」
脱ぎ散らかしたままの服を着ながらそう言うと、拓真も立ち上がり下着――風呂あがりに優利がカワイイ柄だと指摘した洗濯後のボクサーパンツだった――を履きながら笑う。
「兄弟揃ってのロータリー信者にはわからんやろなー。僕も買いたいもんあるから、コンビニやなくてあっこ行こうやー」
拓真が言ったのは激安がウリで人気の、深夜も開いている全国チェーンのディスカウントストアのことだ。本当になんでも揃うので、彼の目的の商品がはっきりしない。
「あー? まさか俺の寝間着でも置いときたいんか? 拓真カワイイー」
「冗談やなくてー」
そこまで言って拓真は優利に抱き着いてきた。服はお互い、後は上着を残すのみ。そんな状態でもう一度、愛を確かめるような深いキスを交わす。何も言わなくても、通じ合っていた。拓真が続ける。
「お互いの邪魔にならんように、付き合わん? マジで」
「セフレって意味とは、ちゃうやろ?」
「うん。“女”は作ってええけど、二人でいる時はちゃんと愛する……まあ、けっこう気合い入った浮気相手とか愛人って感じ?」
「……ええな。それ……もしかして、拓真が買いたいんって……」
「束縛大好きな優利くんの為にも、ペアリング欲しいなーって」
通じ合っていることを再確認できた幸せと気恥ずかしさで、ぶはっと噴き出しながら顔を隠すために拓真の頭をぐっと抱き寄せる。
「そんな安モンでええんか? しっかりしたん週末に買いに行ってもええんやで? 俺の大事な彼氏さん?」
「僕らの稼ぎでブランド決めたらかなりのハイブランドなんでー? でも、ええねん。僕が欲しいのはブランドもんの指輪やなくて、優利くんと選んだお揃いの指輪やからさ」
「健気過ぎて泣きそうやわー。じゃ、お互い“女”にバレても言い訳きくデザイン買いに行こかー」
「うっわ台無しー。間違いないけどー」
親友兼悪友兼類友兼……大切な彼氏となった拓真と共に、優利は笑いながら部屋を出たのだった。
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