頁弐拾伍__過去
ドアの向こう側にあった部屋は、およそ……十畳ほどだったはずです。
曖昧なのは、部屋の殆どが本棚と本で埋まっていたからですね。
ドアを開けた瞬間に
そんな部屋の中で一番目立っていたのは、部屋の中心から少し外れた辺り。
壁沿いに置かれた大きな机です。机の上にはごちゃごちゃと古めかしい実験器具がいくつも置いてあり、屋敷のような整然さは微塵もありませんでした。
『ようこそ、客人。ここは──青瑞の真理と、秘密の部屋だ』
「真理と……秘密?」
「それよりも、貴方は何処にいるの? 声ばかりで姿が見えないのだけれど」
『ここだよ』
声は机の上から聞こえてきました。……どうしてだと思いますか?
ラジオ、録音、電話……いいえ。全て外れです。
声の主は、机の上の──フラスコの中にいました。
「────」
僕は──白咲さんですら──フラスコの中を見て絶句しました。
何故なら、そこには人間がいたからです。
膝を抱えて胎児のように丸まった、全裸の小人です。
大きさは……大体、僕の小指くらいでしょうか。
髪の毛一本すら生えておらず、目は閉ざされていました。
斯様な生命体が、液体のないフラスコの中に浮いていたのです。
……ええ、本当に本当の話ですよ。
例え信じがたい事だったとしても、僕の話に間違いや嘘はありません。
白咲さんとの旅路に嘘を混ぜるのは、僕の誇りが許しませんから。
話を戻しまして。
フラスコの中の小人は口も開かずに、例えるならば……脳内に直接声を届けてくるような感覚で、僕達に語りかけてきました。
『やあ。ようやく
「そんな……まさか……!」
僕も大層驚いていましたが……それよりも、白咲さんの方が動揺が目に見えるほどに驚いていました。
「貴方は……ホムンクルスね?」
白咲さんの問いかけに、小人は──ホムンクルスは『そうだよ』と肯定しました。
「あの、白咲さん……『ホムンクルス』とは、一体?」
「本で見た事ないかしら? 古の錬金術師達が、金の錬成や『賢者の石』と同じように夢見た幻想の一つ。出産を経ずに人間を造る……つまり、『人造人間』を意味する言葉よ」
「じ、人造人間ですか!? ……これが?」
『これ、とはずいぶんな物言いだね』
「あっ、すみませんでした……。じゃなくて! 本当に、人間を造るなんて事が……可能なんですか?」
僕の疑問に対し、白咲さんは「そうね」と首肯した上で
「私も、今に至るまでただの夢物語だとばかり思っていたわ。けれど、こうして見た以上は信じざるを得ないでしょう? ……錬金術師なら、眼前にある事実はちゃんと受け入れないと」
と返しました。
『君が物分かりの良い人間で助かった。……ああ。そう言えば、人間はまず自己紹介とやらをするんだったか。私の呼び名は『ホムンクルス』で構わない。青瑞の人々もそう呼んでいたからね。それで、君達の名は?』
促されて自己紹介をすると、ホムンクルスは白咲さんの苗字に興味を示しました。
そう、かの『原初の二色』だからですね。
『白咲……白咲か。
「それについては同感だけれど、私が白咲という名になったのはあくまでも偶然だと言っておくわ。……その知識量、例の伝説も真実であると思っていいのかしら?」
『例の伝説……。ああ、『ホムンクルスは外界の知識の全てを識る』というものか。確かに
抑揚のない声でそう言うと、彼はふわりとこちらに向き直るように回転しました。
ええ、彼です。まあ、あくまでもこれは僕の個人的な呼称ですが。
体型や声、口調からはどちらとも付かない、あるいはそもそも性別という概念すらない存在だったのかもしれませんが……。
それでも、そう呼んだ方が収まりがいい気がしまして。
その彼に、白咲さんは更に質問を重ねました。
「確か、フラスコの中でしか生存できない……だったかしら。貴方もそうなの?」
『そうだね。独りでは移動すらままならぬ身ゆえに、今まで瞑想に耽るしかなかったという訳だ。……
「私もまさか、こんな場所で錬金術の英知の結晶と話せるとは思わなかったわ。……けれど、まずは互いが持っている情報を擦り合わせる事が先かしら。先程の様子からして、貴方は知識そのものを知っていても、現実に起こった出来事をそのまま知っている訳ではないのでしょう?」
『その通り。だが、まずは
そう前置きして、ホムンクルスは真実を──屋敷と一族の過去を語り始めました。
──────
彼が生まれたのは、当時からおよそ百年は昔の事。
フラスコの中に生まれ落ちた時から、彼は世界中の全ての知識を備えた完全な存在だったそうです。
しかし、彼を造った人物──当時の青瑞の当主は、意図して
世間に公表すれば名実共に錬金術師の頂点として称えられるであろう存在を目の前にして、彼らは栄誉よりも秘匿を選びました。
青瑞の一族は元を辿ると魔術師の家系だったらしく、秘匿主義である魔術師の考えが未だに色濃く残っていたが故の選択だろうとの事です。
つまり、森の中に隠されるように建つ洋館や、厳重な仕掛けで隠匿された地下室はその名残だったと言うのです。
一時期は五色の開祖の本家として弟子入りが後を絶たない頃もあったそうですが、十年ほど前に最後の弟子達が独り立ちして以来、そんな情熱がある志願者もめっきりいなくなってしまいました。
それでも青瑞の一族はホムンクルスの存在を秘するために近くの町へ移り住まず、森の中の屋敷で暮らし続けたそうです。
けれども、町から離れた館の住民ですら、例の流行り病から逃れる事は出来ませんでした。命を懸けて町の病院へ急いでも完治はせず、次々と一族の人間は亡くなってしまい……最後に残ったのは、度々話に出てきた彼──青瑞友知さんのみ。
ホムンクルスは彼の事を「変わり者」と称していました。理由は、ホムンクルスを友と扱ったから。
今まで「先祖が成した奇跡の産物」として敬意ある……逆に言えば、距離感のある扱いしかされなかったホムンクルスにとって、友知さんの友好的な反応は理解不能なものだったのです。
友知さんは時折、秘匿するべき彼を地下室から持ち出しました。
そして、まるで外の世界を紹介するように、屋敷の中をゆっくりと歩き回ったそうなのです。
『そんな事をしても、元から全てを識っているのだから意味などないと指摘した事もあった。しかし友知は「『識っている事』と『知る事』はまた違うものさ」、と言うばかりで、真面目に取り合ってはくれなかったよ』
当時の事について、ホムンクルスはそう語りました。
『今なら、彼が言わんとしていた事も分かる。だが……
まだ友知さんの死を知らせていませんでしたが、薄々察していたのでしょう。
懺悔のように呟くと、ホムンクルスは話を続けました。
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