1-4 別々に歩んできた一年

「この辺まで来れば大丈夫か……」


 人目につくことを避けるため、遊星は少女を連れて体育館裏に逃げ込んだ。


 この学校に来て一年経つが、初めて来た場所だ。

 となりの敷地は林なので日当たりも悪くて薄暗い。ジメジメしてコケむしたような匂いがする。


「あ、あの、先輩」

「うん?」

「その、手……」


 気付けば遊星は、しっかりと少女の手を握っていた。


「ああっ、ごめんね!?」

「い、いえ。私のほうこそ、人目のつくところで大声を出してしまい、申し訳ございませんでしたっ」


 少女は顔を赤くして、息を切らしている。

 額にかいた汗が前髪に貼りつく姿が色っぽく、思わず息を呑んでしまう。


(って、見惚れてる場合じゃないだろ)


「……良かったら使って?」


 遊星はポケットから取り出したハンカチを少女に差し出す。

 すると少女は不思議そうにハンカチを眺めた後、自分の汗みずくな姿に気付いてまた慌て始めた。


「わ、わ、ごめんなさいっ! こんな汚い姿で……」

「汚くなんてないよ、それに走らせたのは僕のせいだし」

「先輩は悪くありませんっ! 私が呼び止めてしまったせいで……」

「ほら、風邪ひくといけないから」


 わたわたする少女の手に、ハンカチを握らせる。


「あ、ありがとうございます……」


 少女は上目づかいにハンカチを受け取ると、背を向けて額の汗を拭い始めた。


(このコは一体、誰なんだろう?)


 少女は遊星の名前を知っていた。

 在校生ならまだしも、彼女は新一年生だ。


 さすがに学外までミスター失恋の名が広まってるとは考えられない。というか考えたくない。

 高校に入るまでは交友関係も広くなかったので、昔の知り合いならすぐにピンと来るはずだ。


(とりあえず、ストレートに聞いてみるか)


「……名前、聞いてもいいかな? ごめん、僕は君に会った覚えがないんだ」

「そういえば、まだ名乗ってませんでしたね。私は村咲むらさき陽花ひなといいます」

「村咲、陽花さん……」


 名前に聞き覚えはない、村咲という名字も特徴的だ。

 やはり思い出せないのではなく、知らないのだと思う。


「名乗るのは初めてなので、知らないのも無理はありません」

「……すると、君はどうして僕のことを?」

「私が一方的に知ってただけなんです。一年前の事件で、警察から天ノ川先輩のことをお伺いしたので」

「警察? 一年前?」

「覚えてませんか? 繁華街で男の人に囲まれていた、中学生を助けた時のことを」

「繁華街で、中学生。って……もしかして!?」

「はいっ、あの時に助けてもらったのが私です。あの時はありがとうございましたっ!」


 遊星は驚きで言葉を失う。

 まさか、あの時の少女と同じ高校で再会するなんて。


 事件から数日後。

 陽花は繁華街の交番で助けた人にお礼を言いたいと伝えたところ、遊星の名前と通っている高校を教えてくれたらしい。


「ちゃんと逃げられたんだね、よかった」

「はいっ。今日までお礼が言えず、申し訳ありませんでしたっ!」

「気にしないで。村咲さんが無事でよかったよ」


 申し訳なさなのか、感極まったのか。陽花は目に涙をにじませていた。

 遊星はいじらしくも健気な陽花の様子に、暖かい気持ちに包まれていた。


「でも驚いたよ。あの時の女の子と同じ高校だなんて、すごい偶然だね!」

「……偶然じゃ、ないんです」


 陽花は顔をうつむけると、恥ずかしそうに指をもじもじと擦りあわせる。


「実は私、先輩と同じ学校に通いたくて、この高校に来たんです」

「えっ?」

「そ、そのっ。先輩は、私を助けてくれた……王子様、ですから」


 陽花の言葉はどんどん尻すぼみになり、頬をますます赤らめていく。

 その様子をみて……陽花の言わんとすることを察してしまう。


「や、やっぱり追いかけて入学したなんて言われたら気持ち悪いですよね! ごめんなさいっ、すぐに退学します!」

「いやいやいや! なに言ってんの!」


 遊星のことを追いかけて来たと言われて驚きはしたものの、気持ち悪いとは思わない。

 気になる相手に近づくことが気持ち悪いなら、去年の遊星ほど気持ち悪い生物はいないだろう。


「でも、そっか。もう一年も前になるのか」

「ずっとお礼を伝えられず、申し訳ありませんでした」

「気にしないよ。でもお礼くらいだったら、すぐに言いに来てくれてもよかったのに」

「そ、それは……恥ずかしくて……」

「恥ずかしい、ってなんで?」

「だってブスが押しかけてきたら、イヤじゃないですか!?」

「へ? なに言って……」


 目の前にいる陽花は、ブスとは縁遠い存在だ。

 もし陽花が新しいクラスで自分をブスなどと言ったら、嫌味にしか聞こえずイジメにあうだろう。


「先輩はっ、私の王子様なんです! 絶対に嫌われたくなかったから……いめちぇん、したんです」


 その言葉を聞いて、陽花を思い出せなかった理由がわかった。


 当時と外見が違いすぎるのだ。

 おぼろげな記憶ではあるが、あの時の少女は眼鏡をかけていて、髪も重そうなほどに伸ばしていた。


「この高校にも、実は何度かお伺いしました。そしたら先輩は以前よりカッコよくなってて、怖気づいちゃったんです……」


 おそらく桐子にフラれた後に来たのだろう。


 髪型ダサい。眉毛太い。猫背やめろ。

 ありとあらゆるダメ出しをされ、そのすべてを矯正した。


 だが陽花は遊星ほど思い切りが良くなかった。

 失敗するのが怖くて少しずつ外見を変えていくうちに……秋になってしまったらしい。


「こうなったら先輩のいる学校に進学しよう。そして入学できたら先輩に会ってお礼を言って、自分の気持ちを伝えようと決めていたんです」

「……そっか」


 遊星は思わず、空を見上げてつぶやく。


 あの日から、一年。

 遊星にとって最もせわしなく、濃密な一年だった。


 手に入れたい物は手に入らず、恥ずかしいばかりの一年だった。


 でも後悔はない。

 自分を変えようと本気になり、色々な経験をして成長できたという実感は残っている。


 ここに立っている陽花も同じなのだろう。

 あの日からに自分を変えると決意し、過去の自分を捨てて足を踏み出した。


 陽花とは今日が初対面のようなものだ。

 だが目標のため自分を変えた陽花には、強い親近感のようなものを憶えた。


 そして陽花は……きっと同じ目標を持って遊星の前に現れた。


「先輩には、好きな女性がいると伺ってます」

「……そうだね」


 いまもまだ、吹っ切れたとは断言できない。

 この一年ずっと桐子のことだけを考え続けてきたのだ、そう簡単には割り切れるものではなかった。


「でも私だって先輩に向ける気持ちは同じ。……いえ、それ以上だって自信があります」

「村咲、さん?」


 陽花は小刻みに体を震わせ、目にはうっすら涙を浮かべている。

 だが臆さず、遊星の目をまっすぐに見て、告げた。


「天ノ川先輩っ、出会った日からずっと好きでした。良ければ私とお付き合いしてくださいっ!」


 叫ぶような告白が、辺りに響く。


 感情の高ぶりが限界を迎えたのか、陽花の頬には一筋の涙が伝っていた。


 新しい季節の到来を告げる日差しの下、遊星は告げられた思いを噛みしめる。


 遠くから下校生徒の喧騒が聞こえ、ゆっくりと息をつく。そして――


(……断らないと)


 そう、思った。

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