1-2 終わった物語と、始まっていた物語

「う、ううっ……!」


 気づけば真っ暗な自室に閉じこもっていた。

 どこをどうやって帰ってきたかもわからず、どれだけ時間が経ったのかもわからない。ただ頭がジンジンと痛み、目がヒリヒリする。


 フラれて泣いたのは、初めてのことだった。

 これまではそんなヒマがあったら自分を磨く! ……そう言って失恋のショックから目を背けてきた。


 だが、そんな逃げ場もなくなった。

 目を逸らしていた十五回分の悲しみが雪崩のように襲いかかり、遊星はなすすべもなく押し潰されていた。


『会長が落ちるのは時間の問題だよ、このままガンガンいこーぜ!』

『天ノ川のスペックで落ちない女なんていねーって』

『私もそんな風に愛されてみたーい!』

『先生も天ノ川みたいな青春をしてみたかったなあ』


 そんな周りの言葉に乗せられて、いつかは恋人になれると信じていた。


 だが、それは勘違いだった。

 桐子と恋人になれる未来は、最初から存在しなかった。


 それなのに周りに持ち上げられて、自分をデキる男だと勘違いして、天狗てんぐになって……

 身を焼くような恥ずかしさと、失恋の絶望感で遊星の心はぐちゃぐちゃだった。


 無視し続けていたスマホが、また振動する。

 もう夜だろうかと手に取れば、時刻は深夜を示していた。


 重い腰を上げて、メッセージアプリを立ち上げる。そこには桐子からのメッセージが三件。

 遊星は迷った末、なにかに縋るような気持ちで……そのメッセージを開く。


『体育館に行かないで帰ったでしょ、なんで言われた通りにしなかったの?』

『私の役に立ちたいとか言ってたくせに』

『仕事する気がないなら辞めてしまいなさい』


 ……わかっていた。でも期待してしまった。

 桐子が遊星の悲しみに気付き、優しい言葉をかけてくれる可能性を。


 だが現実はこんなものだった。


 遊星が桐子の優しさと呼べるものに触れたのは、一目惚れをしたあの日だけ。

 その一回に夢を見たことが、すべてのあやまちだったのだ。


 生徒会に入ったのも、桐子の役に立って認められたかったから。

 桐子はそんな遊星を上手く使ってきただけ。……ただそれだけの話だった。


 生徒会のグループトークでは、連絡の取れない遊星を心配するリプライが飛んでいた。


 体育館の手伝いを無視したことは、申し訳なく思っている。

 明日だって入学式準備の続きが待っている。だが生徒会に行く気力は残っていなかった。


「もう、どうにでもなれ……」


 生徒会のグループトークに、メッセージを打ち込んでいく。


『一身上の都合により、生徒会を辞めさせていただきます。ご迷惑をかけて申し訳ありません』


 辞める許可をもらってる証拠として、桐子のメッセージ画面も一緒に張りつけておく。


 メッセージを送った後、遊星は生徒会グループを退会した。

 そしてプロフィールの名前を『始業式まで連絡不可』に変更し、スマホの電源を切る。


(……しばらくは、誰とも話したくない)


 生徒会でやりっぱなしの仕事も残っている。

 そんな状態で投げ出せば、仲の良かった役員からも嫌われるかもしれない。


 でも、いまは自分の心を守るのが最優先だと思った。


 それから遊星はまた少しだけ泣き、気付けば沈み込むように眠りについていた。



***



 桐子と出会ったのは入学してすぐのことだ。

 高校生活で足りなかった物の買い足しに繁華街へ出かけると、ガラの悪い男に囲まれる少女を見かけた。


 少女は見るからに困惑していたが、近くを歩く人も見て見ぬフリで通り過ぎてしまう。そのうち調子に乗った男たちは、嫌がる少女を路地裏に連れ込もうとし始めた。


 その時、少女が一歳下の妹と同じ制服を着ていることに気付く。


(あいつら、まだ中学生の女の子相手にっ……!)


 そこで遊星はキレてしまった。


「死ねーーーっ!」


 そう叫んで、男の一人に飛び蹴りを食らわせた。


 突然の闖入者に、男たちは目を白黒させる。

 遊星は少女に「逃げろ!」と告げると、自分はそのまま男たちへ殴りかかった。


 だが鍛えてもない遊星が、年齢も体格も上の相手に勝てるわけがない。

 数十秒で形成は逆転し、たちまちボロ雑巾にされてしまう。


 男たちは先制攻撃をされ、女も逃がされたことでご立腹だった。

 遊星が立てなくなってからも蹴りの雨は止まず、死ぬんじゃないかと思ったその時――救世主が現れた。


 つんざくようなアラーム音と「おまわりさん、こっちです!」と切迫した声。

 男たちは慌てて逃げ出し、遊星もどうやら助かったのだと安堵する。


「君、大丈夫?」


 不安そうな女性の声。

 遊星は口に鉄の味を感じながらも、顔を上げて返事をする。


「なんとか大丈夫です、助けてくれてありがとうございま……っ!?」


 薄暗い路地に後光を受けて現れたのは、同じ高校の制服を着た女子生徒。

 黒曜石のように光沢のある髪をなびかせ、凛然と立ち尽くす姿に遊星は目を奪われる。


「そう、よかった。もうすぐ警察が来るから自分で説明しておいて、私はめんどくさいのイヤだから」


 凛とした佇まいに、竹を割ったような潔さ。

 そのすべてに遊星は心を鷲掴みにされていた。


 ――それが後の生徒会長、鬼弦桐子との出会いだった。


 名乗らずに去った女生徒の名が判明したのは数日後。学校で再会したその日に、遊星はさっそく告白した。


「なに言ってるかわかんない。声小さいし、どもり過ぎ」


 そして桐子のダメ出しと、自分磨きの日々が始まったのだった。




 ……だが一目惚れをした遊星には、忘れていたことがあった。


 桐子との出会いとは別に、もうひとつの物語が始まっていたことを。

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