注文の多い料理店を大阪弁で読んでみよう

 二人の若い紳士が、すっかりイギリス兵隊みたいな恰好して、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二匹つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを歩いとった。


「ホンマ、ここは鳥も獣も一匹もおらん。なんでも構わへんから、早くタンタアーンと、やって見たいもんや」

「鹿の黄色な横っ腹なんぞに、二、三発お見舞まいしたら、ずいぶん痛快やろうねぇ」


 それはだいぶの山奥やった。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥やった。

 それに、あんまり山が物凄いから、その白熊のような犬が、二匹一緒にめまいを起こして、しばらく吠って、それから泡を吐いて死んでもうた。


「俺はもう戻ろうと思う」

「俺もちょうど寒くはなったし腹は空いてきたし戻るわ」

「ほな、これで切りあげよか。なあに戻りに、昨日の宿屋で、山鳥を買って帰ればええ」

「兎も出てたな。そうすれば結局同じや。ほな、帰ろうやないか」


 ところがどうも困ったことは、どっちへ行けば戻れるのか、いっこうに見当がつかんくなってしもうた。

 風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りよる。


「なんか腹が空いた。さっきから横っ腹が痛くてたまらんわ」

「俺もそうや。もうあんまり歩きたない」

「困ったなあ、何か食うもんないんか」


 その時、ふとうしろを見ると、立派な一軒の西洋造りの家があった。ほんで玄関には


RESTAURANT

西洋料理店

WILDCAT HOUSE

山猫軒


 という札が出とった。


「ちょうどええ。入ろうや」

「せやな」


 玄関は白い瀬戸の煉瓦で組んで、実に立派なもんや。

 そして硝子の開き戸がたって、そこに金文字でこう書いてあった。


「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」


 二人はそこで、ひどくよろこんだ。


「やっぱり世の中はうまくできてんなぁ、今日一日なんぎしたけれど、今度はこんなええこともある」

「ホンマやわ。さっさと入ってなんか食おうや」


 二人は戸を押して、中へ入った。そこはすぐ廊下になっとる。その硝子戸の裏側には、金文字でこうなっとった。


「ことに肥ったお方や若いお方は、大歓迎いたします」


 二人は大歓迎というので、もう大よろこび。


「君、俺らは大歓迎にあたってるらしいで」

「俺らは両方兼ねてるから」

 

 ずんずん廊下を進んで行くと、今度は水色のペンキ塗りの扉があった。


「どうも変な家や。なんでこんなにたくさん戸があるんや」

「これはロシア式や。寒いとこや山の中はみんなこうやで」

 

 そして二人はその扉を開けようとすると、上に黄色な字でこう書いてあった。


「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」


 二人は軽く話しながら、その扉をあけた。するとその裏側に、


「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい」


「なんかまどろっこしいなぁ」

「あれちゃうか。注文が多くて支度が手間取るけど堪忍してくれいうことやろ」

はようどこか室の中に入りたいもんや」


 また扉が一つあった。そしてそのわきに鏡がかかって、その下には長い柄のついたブラシが置いてあった。

 扉には赤い字で、


「お客さまがた、ここで髪をきちんとして、それからはきものの泥を落してください」


 と書いてあった。


「これは尤もや。俺もさっき玄関で、山の中や思うて見くびったんんや」

「作法の厳しい家や。きっとよほど偉い人たちが、たびたび来るんやろなぁ」


 そこで二人は、きれいに髪をけずって、靴の泥を落とした。


 そしたら、ブラシを板の上に置くや否や、そいつがぼうっとかすんで無くなって、風がどうっと室の中に入ってきよった。

 二人はびっくりして、互いによりそって、扉をがたんと開けて、次の室へ入って行った。早く何か暖いもんでも食べて、元気をつけてオカン……おかへんと、もう途方もないことになってまうと、二人とも思った。

 扉の内側に、また変なことが書いてあった。


「鉄砲と弾丸をここへ置いてください」


 見るとすぐ横に黒い台があった。二人は鉄砲をはずし、帯皮を解いて、それを台の上に置いた。

 また黒い扉があった


「どうか帽子と外套と靴をおとり下さい」


「どうや、取るか」

「しゃあない、取ろう。よっぽど偉い人なんや。奥に来てるんは」

 

 二人は帽子とオーバーコートを釘にかけ、靴をぬいでぺたぺたあるいて扉の中に入った。


 扉の裏側には、

「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、

 ことに尖ったものは、みんなここに置いてください」


 扉のすぐ横には黒塗りの立派な金庫も、ちゃんと口を開けて置いてあって、鍵まで添えてあった。


「ははあ、何かの料理に電気を使うんちゃうか。金気のものは危ない。ことに尖ったものは危ないいうことやろ」

「そうやろな。して見ると勘定は帰りにここで払うんやろか」

「どうもそうらしい」

「きっとそうや。知らんけど」


 二人は眼鏡をはずしたり、カフスボタンをとったり、みんな金庫のなかに入れて、ぱちんと錠をかけた。

 少し行くとまーた扉があって、その前に硝子の壺が一つあった。扉にはこう書いてあった。


「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください」

 

 みるとたしかに壺のなかのものは牛乳のクリームやった。


「クリームを塗ってどないすんねん」

「外がめっちゃに寒いやろ。室の中があんまり暖いとひびがきれるから、その予防なんちゃうか。どうも奥には、よほど偉いひとが来とる。こんなとこで、案外俺らは、貴族とちかづきになるかも知れへんぞ」

 

 二人は壺のクリームを、顔に塗って手に塗ってそれから靴下をぬいで足に塗った。それでもまだ残ってたから、それは二人ともめいめいこっそり顔へ塗るふりをしながら食べた。味は知らん。


 それから大急ぎで扉を開けると、その裏側には、


「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか」


 と書いてあって、ちいさなクリームの壺がここにも置いてあった。


「そうそう、俺は耳には塗らんかった。耳にひびを切らすとこやった。ここの主人はえらい用意周到やね」

「ああ、細かいとこまでよう気がつくわ。早く何か食いたいんやけど、どうもこうどこまでも廊下っちゅうんはなぁ……」


 するとすぐその前に次の戸があった。


「料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。すぐたべられます。

 早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてください」

 

 ほんで戸の前には金ピカの香水の瓶が置いてあった。二人はその香水を、頭へ振りかけた。

 ところがその香水は、どうも酢のような匂いがする。


「この香水はへんに酢ぅくさい。どうしたんやろか」

「間違えたんや。下女が風邪でも引いて間違えたんやろ」


 二人は扉を開けて中に入った。


 扉の裏側には、大きな字でこう書いてあった。


「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください」


 立派な青い瀬戸の塩壺は置いてあったけど、今度という今度は二人ともぎょっとしてお互にクリームをたくさん塗った顔を見合わせた。


「どうもおかしいで」

「俺もおかしいと思う」

「沢山の注文っちゅうんは、向こうがこっちへ注文してんねや」

「つまりここは来た人に食べさせるんやなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家っちゅうことか。これは、その、つ、つ、つ、つまり、お、お、俺らが……」


 がたがたがたがた、震えだしてもうものが言われへんかった。


「遁げ……」がたがたしながら一人の紳士はうしろの戸を押そうとしたけど、戸はもう一分も動かへん。

 奥の方にはまだ一枚扉があって、大きなかぎ穴が二つつき、銀いろのフォークとナイフの形が切りだしてあって、


「いや、わざわざご苦労です。大へん結構にできました。さあさあおなかにおはいりください」


 おまけにかぎ穴からはきょろきょろ二つの青い眼玉がこっちを覗いとる。ふたりは泣き出した。

 二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑のようになって、お互いにその顔を見合せ、ぶるぶるふるえ、声もなく泣いた。


「いらっしゃい、いらっしゃい。そんなに泣いたら折角のクリームが流れるやないか。へい、ただいま。じきもってまいります。さあ、早くいらっしゃーい」

「早くいらっしゃい。親方がもうナフキンをかけて、ナイフをもって、舌なめずりして、お客さま方を待っとんで」


 そのときうしろからいきなり「わん、わん、ぐわぁ」という声がして、あの白熊のような犬が二匹、扉をつきやぶって室の中に飛び込んで来た。鍵穴の眼玉はたちまちなくなり、犬どもは唸ってしばらく室の中をくるくる廻っとったけど、また一声

「わん」と高く吠えて、いきなり次の扉に飛びついた。戸はがたりと開いて、犬どもは吸い込まれるように飛んで行った。

 その扉の向こうのまっくらやみのなかで、

「にゃあお、くゎあ、ごろごろ」という声がして、それからがさがさ鳴った。


 室は煙のように消え、二人は寒さにぶるぶるふるえて、草の中に立っとった。

 見ると、上着や靴や財布やネクタイピンは、あっちの枝にぶらさがったり、こっちの根もとにちらばったりしとる。風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴った。

 犬がうなって戻ってきた。

 そしてうしろからは「旦那あ、旦那あ」と叫ぶもんがおる。二人は俄かに元気がついて


「おおい、おおい、ここや、早く来い」と叫んだ。


 簔帽子をかぶった専門の猟師が、草をざわざわ分けてやってきた。

 そこで二人はやっと安心した。


 そんで猟師のもってきた団子を食べて、途中で十円だけ山鳥を買って東京に帰った。

 せやけど、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりに治らんかった。

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