第13話:Long After Midnight

 雨がしのつくウスウストノス・カンエツエクスプレス=関越自動車道を、芽里が運転するGTRがエスサァリイ・トウキョウ目指して走っている。助手席にはジェーン・ランダルが座っていた。


 ジェーンは〝ドライバー〟が動き出したと聞いて、アポハイ・タカサキ・インターで網を張っていたのだ。


 停車するGTRを見て、『しめた!』と思ったのも束の間、〝ソーサラー〟が転げるように車から降りてくるやいなや道端で蹲ってしまう。その様子があまりに訝しかったので、腰のグリズリーを抜いて物陰に隠れて近付いていくと、〝ソーサラー〟の銀の髪がだんだんと黒くなり、肌の色が明るくなっていくにつれ、見知った顔が現れた。


「芽里?」


 見上げた顔は、まさしくよく知った芽里の顔だった。

 

 ◇


 今はまるで抜け殻になったような顔でGTRを運転する芽里に、ジェーンは銃を突きつけることもなく、車窓を流れる雨をただぼんやりと見つめているだけだ。


 〝ドライバー〟の行方を聞いても、あそこで何をしていたかを聞いても、芽里は何もしゃべろうとせず、泣きじゃくったままだった。そして今はジェーンに言われるままにエスサァリイ・トウキョウに向けて、GTRを走らせている。


 旧関越自動車道に接続する、旧練馬料金所前に設置されたバリケードが目に入ると、芽里は無表情のままGTRの速度を落とし始め、バリケードの前に停車した。バリケードを守っている、レインコートを着たオークの一人が小走りに雨の中を近付いてくるのを見て、ジェーンはレバーを操作してサイドウィンドウを開けると、IDを渡す。


「ジェーン・ランダルだ。〝ロードランナー〟一味の一人を捕まえて連行中だ、バリケードを開けてくれ」

「しばらくお待ちください」


 オークはそう言ってIDを受け取ると、詰め所の方へ戻っていく。


『やれやれ、相変わらずのお役所仕事か……』


 いつも時間を取られる人相照会作業を見ながら、ジェーンはまだ芽里に聞いていない……だがどうしても聞いておきたい質問を口にした。


「……芽里、なぜ君は〝ロードランナー〟などやっているんだ? 学校の君の成績なら、もっとまともな道を得られるはずだ! いったいなぜだ?」


 ジェーンの叫びに似た問いは、『カキッ』という金属音に遮られた。ジェーンは反射的に腰に手を伸ばしグリズリーを抜こうとするが、頭に突きつけられた.44マグナムの銃口の冷たい感触に手を停める。


 オークは手を伸ばしてジェーンの腰からグリズリーを抜き取った。前を見ると、ゲートの守備隊全員がジェーンに銃を向けている。


『しまった……自分も待ち伏せされていたのか……』


 思わぬ展開に体を固くしているジェーンの耳に、ある人物の声が響く。


「つまらないことを聞くのね、ジェーン? やりがいがあって、なおかつ楽しいなら、『やる』に決まってるじゃない?」


 フリフリが付いたかわいいピンクの傘をさした、制服姿のミストラルがオークの後ろに立っていた。


  ◇


 雨も止んだウストニュウェル・ニシアライの最下層エリア、古めかしい工場の荷捌き場にGTRは入って行く。


 停車したGTRから芽里とミストラルが降りてきてトランクを開くと、さらにトランク型のミミックのカギを解いてフタを開いた。ミストラルの配下の魔物たちがミミックの中に手を突っ込んだが、「うわ! なんだこれ?」と悲鳴を上げる。手下たちがおずおずと猿ぐつわと手錠を掛けられたジェーンを引っ張り上げると、ジェーンの体はミミックのよだれでべとべとになっていた。


「あらあら、大変」

「スカハコ! 魔力の高いジェーンさんを食べようとしたね!」

「スイマセン、アネサン。ヒッシニガマンシタンデス!」

「芽里、洗って差し上げて?」

「はい。嵐の神よ、その力を示せ! ストゥルム!」


 芽里が呪文を唱えると、小さな嵐がジェーンの体を包み、水と風がミミックの涎を吹き飛ばした上に乾かした。サッパリしたところで、猿ぐつわを取られたジェーンはミストラルを睨みつけて尋ねる。


「こんなところに連れてきて、私をどうするつもりだ?」

「そんな怖い顔で睨まないでちょうだい? 〝レザボア・ドッグス〟のミスター・ブロンドじゃあるまいし、椅子に縛り付けて耳をカミソリで落としたりしないから」

「ヒッ!」

「まあ、ついていらっしゃいな」


 そう言ってミストラルは歩き始めた。手下に銃を突き付けられたジェーンと、芽里がそれに続く。


 ジェーンを連れたミストラルと芽里は、工場の中の一室を開いた。完全防音のその部屋の中で、ジェーンの身長の倍もあるような機械が、ゴンゴンと甲高い音を立てて稼働している。機械の中から皮をむかれた白く美しい米が下に落ちてきて、多くのデミヒューマンがその精米された米を袋に入れて外に運んでいた。


「こんなところに、なぜ精米機があるんだ?」

「うふふふふふ」


 ミストラルは笑ってジェーンの質問をはぐらかす。


 建物の中を歩きながら、窓から見える風景にジェーンは驚きを隠せなかった。崩れた家や建物にうずくまるようにして、多くのモンスターやデミヒューマン・人間が住んでいる。


 ワインディングロードのある辺りも、けっして裕福な地域ではない……どちらかと言えば貧しい地域だ。しかしこの辺りの雰囲気はそれどころではない、まさに貧民街というにふさわしい地域だった。ジェーンの動揺を、ミストラルは感じ取ったようだ。


「ジェーン、そんなにじろじろ見るものではなくてよ?」

「……申し訳ない。こんな地域があるとは、ついぞ……いや、話には聞いていたが、実際に目の当たりにするのは初めてなので……」

「希望の光が差さぬ、絶望すらない街……名高い〝ミュウドゥ・アビスム=深淵の影〟にようこそ、ジェーン」


 そう言って、ミストラルは扉を開いて外に出る。そこの景色を見て、ジェーンはさらに驚いた。


 そこは市場だった。多くの露店が並び肉や魚や野菜や果物などを売っており、人間・亜人・モンスターを問わず多くの住民達が商品を購入している様子が見える。商品の値段を確認したジェーンが驚きの声を上げる。


「安い! 市街のスーパーマーケットや大手の販売店の、半額以下ではないか!」


 その盛況ぶりにただ驚いていたジェーンだったが、やがてそのカラクリに気付いた。


「闇流通……ミストラル、君は表のビジネスだけでなく、闇流通にまで絡んでいるのか!」


「ふふふ」


 悪びれる様子もなく微笑むミストラルの態度に、ジェーンは怒りで顔が真っ赤になる。


「違法だ! 違法ではないか! なぜだ? なぜ法を犯してまでこんな商売をしているのだ!」

「……買えないからですよ」


 ジェーンの後ろで、芽里がボソッとつぶやく。


「正規の関税のかかった食べ物なんか、あたし達が口にすることなんか出来ません。高くってとても買えないからです」

「…………」

「この辺の人たちは、相次ぐ地域紛争や民族・種族独立戦争で傷付いた人たちや難民や移民です。職はおろか、表で働くことすら出来ない……そんな人たちのために、ミストラルさんはこの闇マーケットを運営しているんです。〝ドライバー〟はそういう人たちのために、危険を冒して〝ロードランナー〟をやっているんです」


 そう言われてジェーンがマーケットの様子をもう一度まじまじと見つめると、住民の多くが体の一部を欠損しているのが判る。


「芽里……君は……」

「ええ、この町の出身です……。あたしは親の顔も覚えていません……物心つく前に売られてましたから……。それでワケの判らない実験で、ワケの判らないものと融合させられて……」


 悲しそうに呟く芽里の体から、黒い霧が立ちのぼる。


「〝ドライバー〟と出会ってなければ、あたしだってどうなっていたか判りません。もしかすると、この世界を喰いつくしていたかもしれないんです!」


 感情を高ぶらせるに連れて、芽里の体から出る黒い霧は量を増やしていく。その光景にジェーンは本能的な恐怖を覚え、思わず後ずさる。


「でも……でも……〝ドライバー〟は……〝ドライバー〟は……もう……もう……墓場に行っちゃって……あたしは……あたしはこんな世界を……許サ……ユルサ……ルサ……ルるルるルるルるルる……」


 まるで芽里の感情に同調するかのように黒い霧が膨らんでいく。その光景に恐怖したジェーンはピクリとも動けない。


「芽里、落ち着け!」


 先ほどまでの可愛い声とは別の、威厳ある声がミストラルの口から出る。


「ミ、ミストラルさん?」


 芽里はハッとして、自分を取り戻す。


「芽里、〝ドライバー〟は捕まってはしまったけれども、死んだわけではなくてよ」

「〝ドライバー〟が捕まっただと? あの抜け目のない、悪賢さが服を着て歩いているような男が?」

「その意見には激しく同意するわ、ジェーン」

「え? だってあのオバサンが『〝人生の墓場〟行き』だって……」


 ミストラルがすっと手を挙げて、なにやら呪文を唱えると、空中に文面が浮かんだ。


「なんですか? それ?」

「〝ワィンディングロード〟に届いた招待状よ……ふざけた話だわ」


 芽里もジェーンも全く話が解らない。


「アイリーンっていう女と会った?」

「ええ、会いましたケド……それが?」

「これはそのアイリーンって女と、〝ドライバー〟の結婚式の招待状よ」

「「け、結婚式!?」」


 芽里とジェーンは同時に叫んでいた。ミストラルの話が全く分からない。


「〝人生の墓場〟って言うのはね、芽里。〝ドライバー〟とアイリーンとかいう女の間では、『結婚して家庭に入る』ことを云うらしいの」


「「はぁぁぁ?」」


 芽里とジェーンがまたまた同時に疑問を投げかける。


「そんなの、死語ですよ死語! そんな言葉使われて、解るモンですか!」

「もちろんだ芽里、私も言われるまで全く想像も出来なかったぞ!」


 芽里とジェーンは顔を見合わせて、意味不明な言葉に対する怒りをあらわにする。


「『ついては結婚祝いとして〝ドライバー〟の半身のGTRと、今回運んだ米を返せ』ですって。何を言っているのかしら? この女は?」

「そこに書いてある通りだろう」


ジェーンが腹立たしげに言う。


「あなたも何を言っているの、ジェーン? あなた、トランクに入れられてたでしょう? どこにお米があったかしら?」


 ジェーンはハッとした。〝ソーサラー〟=芽里の異様な状態に気を取られて、積み荷を確認するのを忘れていたのだ。


「そ、それは……」

「あなたはありもしない積み荷を、〝ドライバー〟に返せと?」

「いやいや、ミストラル! お前、否定しなかっただろう? 闇流通に加担していると!」

「証拠は?」

「うっ!」

「あなた、法の番人のくせに証拠もなしに人を犯罪者呼ばわり? ああ、友達だというのに悲しいわ、ジェーン」

「…………」

「ましてや今回のこの招待状は、営利誘拐のれっきとした証拠よ。まさか、正義の味方が誘拐を見逃すのかしら?」


 ミストラルの理屈は間違いではない。闇流通の証拠は無い……モノの売買はされているが、それが闇流通の物資だという証拠はどこにもない。対して〝ドライバー〟が罪もなく捕らえられていることはいることは明白だ。


「……確かに君の言う事にも一理はある。しかし黒で無いから、白だということではないぞ、ミストラル。エスサァリイ・トウキョウの治安をあずかる者として、犯罪に加担するわけにはいかない!」

「頑固ねぇ、ジェーン」


 思い余ったように、芽里が走りだそうとする。


「どこに行くの? 芽里?」

「……あたしやっぱり、〝ドライバー〟を助けに行きます!」

「やめてちょうだい、〝アイツ〟がまた出てきたのでしょう? あなた、自分がどんな存在なのかを忘れているのではなくて? あなたが一人で帰ってきたのが、その証拠よ。お願いだから止めて、この世界を終りにしてしまうつもり?」

「…………」


 芽里はミストラルの言葉を受けて下を向いた。悔しさに打ち震えて立ちすくむ。


「ミストラル、〝アイツ〟というのは、もしや先ほどのあの黒いガスのようなもののことか?」


 二人の会話を聞いていたジェーンは、芽里に聞こえないように小声でミストラルに問いかける。


「どうしたの? そんなに怯えて?」

「あのガスのようなものには本能的な恐怖を感じた。いったいあれは何なのだ?」

「解らないのよ。マギテラの文献には一切記録がない……もちろん地球にもね。初めて〝ドライバー〟が出会った時には、半径五百メートルを消し去っていたそうよ」

「…………」

「もしも何の制御もなく解放されたりしたら、この世界すら食べ尽しかねない存在……私たちは〝ワールド・イーター〟と呼んでいるわ」

「怖くないのか?!」

「何かよっぽどのことがあって、芽里の意識が完全に無くならない限り、そんな最悪な事態にはならないわよ。ましてや芽里は、かわいいステキな友達じゃない? そんなスゴイ友達が傍にいるなんて、スリルがあってとっても楽しいわ」

「ミストラル、お前イカれてるぞ!」

「かと言って、〝ドライバー〟が居ないままじゃ芽里も不安だろうし、私も寂しいわ……どうしたものかしら……」


 ジェーンの罵倒を無視したまま、ミストラルは人差し指を顎の下に当ててしばらく考えていたが、ぱあっと笑顔を浮かべた。


「そうよ、私が行けばいいんじゃない!」


 ミストラルがそう言った瞬間、体の周りに漆黒の魔力が膨れ上がる。ミストラルの部下たちに動揺が走り、皆が思わず5メートルほどミストラルから飛びずさった。


「ちょっと本気を出して、〝ドライバー〟を連れ戻してくればいいだけでしょ? 簡単だわ。ついでに昔の女とやらに、身の程を教えてきましょうかしら? うふふふふふ」


 凶暴な素顔で微笑むミストラルを、芽里までもが驚愕の表情でたしなめる。


「ミストラルさん! あなたが本気で出て行ったら、ナイラグル・ニイガタ州は地獄になります! あの辺り一帯、草木一本残りません! やめてください!」

「ミ、ミストラル……君は一体……」


 周囲の緊張した雰囲気に、ジェーンは今まで知らなかったミストラルの正体を掴みあぐねる。ミストラルはがっかりしたような顔をして、魔力を収めた。


「はあ……久しぶりに大暴れできると思ったのに、残念だわ……。私もダメ、芽里もダメ……とすると、残るのは……」


 ジェーンは、芽里にミストラル、そしてその場にいる全員の視線が自分に向かっていることに気が付いた。


「え? なにこの視線?」

「ジェーンさん、お願いします! 今、あたしが頼れるのはあなたしかいないんです!」

「いや、ちょっとまて、芽里!」


 芽里は荒んだ街を示して続ける。


「この町を見て、何とも思わないんですか? 確かに関税がないと収入が減って困る州もあるでしょう……でもナイラグル・ニイガタ州の知事は自分のところが米どころなのを良いことに、高い関税を掛けています。それは知事の懐に入って行くんですよ!?」


 ミストラルが左手を大きく振るうと、空中に写真入りの文章が光り輝いて映し出される。ミストラルはジェーンの眼前にそれを突きつける。


「これがナイラグル・ニイガタ州知事の関税の使い方よ」


 映し出された資料を見て、ジェーンは驚いた。私設警察の組織編成に武装強化、農家に対して関税を還元することもせず強制的な税の取り立て、贅沢な知事公邸とやりたい放題の姿がそこにあった。


「……噂には聞いていたが、これほどまでとは……」


 芽里は、怒りにまかせてジェーンに詰め寄る。


「ジェーンさん、正義って何ですか? 金に飽かせて好き勝手やるのと、飢えて困っている人たちに違法でも食べ物を運ぶ……どちらがジェーンさんが信じる正義ですか!?」


 ジェーンは迷っていた。確かに法は守らなければいけない……しかし、それで弱い立場の人々が困っているのは正義と言えるだろうか?


 法に守られながら横暴に振る舞う金の亡者の連中と、違法だと解っていても貧しい人々のために自分の信じる道を貫く者……どちらに正義があるかと問われれば、もちろん後者であろう。


「芽里、君の言う事も解る……しかし、私は法を守る番人なのだ。私が私である限り、法は守られねばならない! 必ずだ!」

「じゃあ、『あなたがあなたでなければ』問題はないのね? ジェーン?」

「ど、どういう意味だ? ミストラル?」

「芽里、やっておしまいなさい」

「はい、ミストラルさん!」


 そう言って芽里は、ジェーンの目の前に来る。


「すぐ済みますから、ジェーンさん」


 そう言うと芽里はジェーンの両腕を、ガシッと掴んだ。異様に強いその力にジェーンはたじろいで、怯えた表情で芽里を見る。


「め、芽里?」


 すると、芽里の体から黒いガス状の物が滲み出て来た。ジェーンは驚いて芽里から離れようとするが、掴まれた腕はどうしても振りほどけない。


 やがて芽里の体は完全に崩れて、体全部がガス状の物質になる。そしてこともあろうか、ガス状の物はジェーンの耳や口、果ては毛穴まで、穴という穴から侵入してくる。その状況に恐怖をおぼえたジェーンは必死に逃げようとするが、もう体の自由が利かない。


「やめろ! やめてくれ、芽里!」

『すぐに終わりますから。ジェーンさん』


 体の中に響く芽里の声を聞きながら、ジェーンは自分の体が乗っ取られていくのを声も発せず受け入れていくしかなかった。

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