第3話:ワインディングロード

 エスサァリイ・トウキョウの西のはずれ、ウストニュウェル・ニシアライ。

かつて〝西新井〟と呼ばれたその地域は、隆起した江戸川沿いの川岸の地面によって〝セントラル〟と〝アウターリング〟の間の壁が覆われてしまった為、両エリア間の行き来が容易な地域だ。


 それゆえこの地域では両地域間の闇取引が盛んで、壁の両側の斜面には闇物資を扱う商人が交易所を設けた為に人や物が集まるようになった。そのうち交易所の周りに違法と知りながら家々が立ち始め、この地域はとりわけ活況な地域となっていた。


 融合後の世界においてアナログ式の電話回線や送電線が応急処置的に増やされたため、街中には多くの電柱が立ち並び、いたる所で未だに地面を掘り返し、地下に埋設されたガスや水道のライフラインを融合後の世界に合わせるための工事が行われている。多くのオークやゴブリンやホビットなどの亜人=デミヒューマンが人間たちと共に工事に携わっているのは、見慣れた光景だ。


 デジタルによる情報化に拠って支えられていた銀行や証券会社などの金融機関はオンラインによるマネーゲームが廃れ、街中には再び支店が乱立し、証券会社の株価ボードを多くの人間やデミヒューマンが注視している。現金取引が中心の世界では個人商店が再び増え、かつてのチェーンストアも業態を以前のスーパーマーケットに戻し、依然として流通の一翼を担っていた。


 そんな地球の60年代~70年代の様相を呈した街の一角に、コーヒーショップ〝ワインディングロード〟はある。いまその〝ワインディングロード〟は戦場と化していた。


「イ定食三つ、上がったよ!」

「マスター! 追加で五つ注文入ります!」

「なにぃ! 了解!」


 キッチンでは見た目は五十歳がらみ、口周りは白いひげで覆われた、コックコートを着た桜居剣太郎=通称〝マスター〟と呼ばれる男が炎を上げるキッチンの前で大きなフライパンをブンブンと奮いながら叫んでいる。


「Aダイ(ダイニング)に新規お客様、三名です!」

「リベルタ、大丈夫か!?」

「大丈夫です、お冷持っていきます!」

「マスター、Cダイの代用コーヒー切れちゃいました!」

「セフィーロ、裏のストッカーから急いで持ってきてくれ!」


 このエリアでは珍しくもない、コボルトやオークやゴブリン・その他のデミヒューマンが来店する店内の客席には十分余裕を取ってある店が今は満席の上、外に行列が出来るほどの繁盛ぶりだ。それもそのはず、今日はイ定食=マスター特製の生姜焼き定食提供の日なのである。


 食材が自由にならないこの世界では、特定のメニューがいつ食べられるか判らない。それが絶品のおいしさとなれば、なおさらである。だからこそ、それが食べられるチャンスは絶対に逃がせない……となればこの繁盛ぶりもうなずけるというものである。


 外の列に並んでいるオークの一人が心配そうにつぶやく。


「アニキ、こんなに並んでいたら、仕事が始まるまでに帰れますかね?」

「大丈夫だ、後ろを見な」

「あ! ありゃ親方じゃないすか?」

「親方はイ定食を喰う時は、たっぷり時間を掛けるんだ。先に帰っていりゃあ大丈夫さ」

「しっかし、こんなに並ぶほどの評判じゃあ、金持ち連中がカネにモノを云わせて横入りしそうなモンですけどねぇ……」

「ああ、そりゃあムリだ」

「ムリ? どうしてですか?」

「そりゃあ、お前……」


 アニキと呼ばれたオークが言いかけた瞬間、『ズズン!』と二度、爆発音のような音を響かせて地面が揺れた。オークたちを含め、列に並んでいるあらゆる種族の連中が驚いて音の方を振り向く。見ると身長二メートルはある制服を着た筋肉質のウェイトレスが突っ伏した二匹のモンスターのボディーガードに足を掛け、一メートル五十ほどの恰幅のいい偉そうな紳士を片手でつまんで立っている。


「な、何をしているのかわかっているのか? 私はサンソス・ニッポンの厚生省事務次官だぞ? こんな店、い、いつでも潰せるんだぞ!?」

「うるせぇ、木っ端役人! ウチの店じゃあ、誰だろうと横入りは禁止だ!」

「だ・だから、カネなら払うと言っているではないか!?」

「何でもカネで解決できると思うな! おととい来やがれ!」


 そう言ってウェイトレスはその役人を乗ってきた車に投げつけた。後部座席の窓をブチ割って放り込まれた役人の車は、慌てて乗り込んだボディーガードたちと共に一目散に去って行った。客たちが唖然とした目で見ているのに気が付いたウェイトレスは怒りの表情を輝くような笑顔に変えると、先程の雷鳴のような声を木琴のような音に変えて言った。


「みなさーん、もう少しお待ちくださいねー、テヘ?」


 先ほどのオークが唖然として言う。


「ア、 アニキ……スゲェ女もいるもんですね……」

「バカ、ありゃあ男だ」

「マジすか!?」


 オークは茫然とした眼差しで、店に入って行くウェイトレスをもう一度眺めた。


  ◇


 戦場だったランチの一時間半が過ぎ、午後三時の〝ワインディングロード〟は静けさを取り戻していた。時間に余裕のある大人たちや学生たちがお茶をしながら時間を過ごす、ティータイム……もっとも、本物のコーヒーや紅茶・お茶は高いので、代用コーヒーや代用茶、昔ながらのビン入り清涼飲料水が主なメニューである。


 今はAダイニングとBダイニングに二組のお客、カウンターの上に手のひらに乗るような雷撃系魔獣が一匹だけ居るだけだ。魔獣はジャンク屋から仕入れた銅板をつまみに、硫酸を飲んでいる。店番をしているあの巨躯のウェイトレスが、ちらと見て注意する。


「ライデン、こぼさないでよ。店の床に穴が開くからね」

「ワカッテル、キヲツケルヨ」


 そう言うとゴム製のタオルで、上品に口の周りを拭く。

 突然、遠くからバタバタと走ってくる音が聞こえてくる。店の入り口でターンを決めるスリップ音がして、夏用セーラー服を着た一人の少女が店に駆け込んできた。前髪をヘアピンで留めたショートカットの黒髪をなびかせ、色白な肌を上気させてほんのり頬を赤くした、快活そうな少女が息を切らせている。


「やった、やりましたよ! マスター!」


 その少女の頭に拳が打ち込まれた。


「あう!」


 あの巨躯のウェイトレスが、腕組みをして立っている。


「土埃を立てるんじゃないよ、芽里」

「す・すいません、セドリックさん……」


 少女はそう言うと。フロアマットでローファーの裏を丁寧にしごく。


「どうした芽里、騒々しいな」


 キッチンからマスターが出てくる。もうティータイムなのでコックコートは脱いでおり、今はチノパンに白のダンガリーシャツ、チェック柄のベストにペイズリーのスカーフと、まさに喫茶店のマスターという出で立ちだ。


「マ・マスター! 見てくださいよ、これ!」


 少女は胸ポケットから小さなカードを取り出した。


「じゃじゃーん! ついに獲得しましたー!」

「あら?」

「お、運転免許か?」

「そうです! ついに私も運転免許保持者になりましたー!」

「ハア……よく取れたわねぇ、あんたみたいなドジっ子が……」

「ななな、なんてこと言うんですか! セドリックさん!」

「教習所の連中がここでこぼしていたわよ。『芽里ちゃんは可愛いけれども、運転の才能はゼロなんじゃないか』とか『史上最悪の生徒だ』とか……」

「ふふふっ、なんとでも言うがいい」

「おっ、強気だね」

「一度取ってしまえばこっちのものです。これであたしも〝ロードランナー〟の仲間入りなのです! わーはっはっはっはっは」

「あら、誰が〝ロードランナー〟ですって?」


 店の入り口が開く鈴の音に混ざって、上品だが毒が渦巻く声がする。芽里の顔から一瞬にして血の気が引いた。


「まったくだ。まだ〝ランナー〟にすらなってないヤツが、デカい口叩いてるぜ」


 恐る恐る後ろを振り向いた芽里の目に、同じ学校のセーラー服を着た二人の少女が目に入る。一人はそれほど背は高くなく、スマートなスタイルに切れ長の目、肩より長い黒髪など清楚なイメージだが特殊で高貴なオーラを纏い、常人には近づきがたい雰囲気だ。もう一人の少女は芽里より少し背が高くボサボサの髪の毛で目を隠し、カバンに装着された無線機か、無線機に装着されたカバンを背負っている。


「……ミストラルさん、カネカネさん……」

「よう、お嬢、カネカネ、まいど」

「カネカネじゃねぇ、金子(かねこ)周子(かねこ)だ! 人を守銭奴みたいに呼ぶな!」

「そうですよ、マスター。それから、わたくしの事は『ミストラル』と親愛をこめてファーストネームで呼んで頂けません?」

「それはそれで、おっかないね……」


 マスターに言われて、自分を『ミストラル』と呼んだ少女はふくれっ面をする。


「あれ? ジェーンちゃんは?」


 ミストラルとカネカネと呼ばれた二人は苦笑いをしながら、後ろを振り返る。そこには二人と同じセーラー服を着た175cmを超える上背を、へし折る様に曲げたエルフの少女が居た。どうも何かのショックから立ち直れないようで、ズーンという地の底に繋がるエレベーターが動く音が聞こえそうである。


「ジェ、ジェーンちゃん? どうした?」

「……マスター聞いてください……わたし、ハメられたんです……」

「まあジェーン、卑猥ね」

「そういう意味ではない!」

「嵌められた?」

「そう! 嵌められたのです! あのにっくき〝ロードランナー〟に!」

「ど、どういう事?」

「スピード・角度・タイミング、どれをとっても奴に匹敵するはずなのに、ヤツが飛び越えられた河をわたしは飛び越えられなかったのです! あれは奴が幻惑魔法か物理魔法を使ったに違いありません! おかげでスピード・ドラゴンは入院、特注のウィンチェスターもガンスミス行き! ああ、経費が掛かるったら……」

「負け惜しみもそのぐらいにしておきな、ジェーン」


 セドリックがマスターとジェーンの間に割って入る。


「あんたエルフなんだからさぁ、自分に魔法かけられりゃ判るだろうに」

「うっ!」


 エルフの少女は思わず言葉に詰まる。そう、エルフは魔法に対するスキルがある。ゆえに『魔法を掛けられた』などというのは恥以外の何物でもない。


「それを『嵌められた』なんて言って、相手のせいにするのは筋が違うっていうものだろう? なあ、芽里?」

「え、え? ハ、ハイ、そうですねぇ……」


 芽里と呼ばれた少女は、バツが悪そうな顔で答える。


「で、でも大丈夫ですよ! ジェーンさんならいつかきっと〝ロードランナー〟を捕まえられます!」


 芽里の励ましに、エルフの少女は朗らかさを取り戻し、『しっか』とその手を握った。


「有難う、芽里! 働きながら高校に通い、主席の座を譲らぬ努力家の君に励まされるなど光栄の至り! 君に誓うぞ! いつか必ずあの〝ロードランナー〟一味を捕まえて見せる!」

「は、はぁ、それはどうも……」


 芽里はやはりバツが悪そうに、返事をする。


「さあ、いつまでも入り口の前で漫才してないで、さっさと席に着いておくれ」


 セドリックに急かされて、四人は席に着く。


「注文は?」

「わたくしはイ定食に、本物のキリマンジャロのコーヒーを」

「おれもイ定食、食後に代用コーヒー」

「あたしも!」

「わたしは……水で……」


 落ち込んだ声でエルフが言うのを聞いて、ミストラルが言った。


「あら、ジェーンさん、今日はわたくしたちが奢って差し上げますわ。ねえ、皆さん?」

「おう、いいぜ。マスター、ティータイムにイ定食4つまとめて注文だ。ディスカウントしてくれよ?」

「いいぜ、カネカネ。お前さんには割増料金だ」

「ひえっ! おっかねえ」

「あ……ありがとう、みんな……」ジェーンは目を潤ませて、皆にお礼を言う。

「しかし今頃お昼かい? お腹すいちゃうだろう?」

「ところがどっこい、聞いてくれよ! ミストラルは学食で日替わりランチを食べてきたんだぜ!」

「マジか!」


 カネカネの報告に、マスターは唖然を通り越して、茫然とした顔をミストラルに向ける。


「あら、あんな僅かな学食のランチで、乙女の心も体も満たされるモノですか。さあマスター、腕を奮って頂けません?」

「あいよ、ちょっと待っててくれ」


  ◇


 僅か三十分後、食べ終わった皿が片付けられ、出てきたコーヒーと代用コーヒーを飲みながら四人は気だるい食後の時間を満喫していた。カセットテープから流れる地球の1980年代の音楽は耳障りがよく、心地良い。


「ああ、マスターのイ定食を頂いた後の、コーヒーの美味しさと言ったら……」


 ミストラルは至福の笑顔を見せてつぶやく。


「まったく、世界中に流通網を持つ商社〝流気富〟のお嬢様、流希富=恵瑠=ミストラルの贅沢には付き合いきれねぇ」

「ところで、ジェーンさんを嵌めた〝ロードランナー〟っていうのはどんな連中かしら?」


 ミストラルはマスターの方を向いて、意地悪そうな笑みを浮かべて言う。


「絶対、首謀者の意地が悪いんですよ。女の子を泣かした数が男の勲章だとか言う!」

「芽里、それを言うなら『女の涙は漢の勲章』だろ?」

「あらマスター、また時代錯誤な昔の歌の話ですか? 『サヨナラのかわりにバラの花を君に送る』とか……ああ、今掛かっている曲みたいな?」

「ゲッ! クサい! クサすぎる!」

「本当ですよね、おぢさん臭くっていやですよね!」


 三人の容赦ない突っ込みに、マスターは青ざめてた顔で唖然としている。


「そ、そこまで言うか……」


 その時、店に昔の日本の制服警官の制服を着た少女が駆け込んできた。年の頃は芽里と同じぐらいで、胸には〝Sherif=保安官〟と云うバッチが輝いている。


「ジェーン親分、てぇへんだ!」

「あら、宇狩さんじゃないこと?」

「どうした? ハチ」

「ハチじゃないです、あたしは! 奈々ですから!」

「わかったわかった。奈々、どうした?」

「エスサァリイ・エドエド川に死体が上がったそうです!」

「なにぃ! わかった、すぐ行く!」

「すぐ来てくださいね、他の連中に手柄を取られちまいますから! 外で待ってます!」


 そう言って、奈々と呼ばれた少女は、すぐに店を出て行った。ジェーンは残った代用コーヒーを飲み干すと、立ち上がる。


「すまんみんな、今日は御馳走になる!」

「こんど奢ってもらうからな」

「いいのよジェーン、早くいってらっしゃいな」

「行ってらっしゃい、ジェーンさん」

「恩に着る!」


 ジェーンはそう言って飛び出すと店の前に奈々が用意していた馬にまたがり、一緒に駈け出していった。


「ジェーンさんは慌ただしいですねぇ」


 芽里が思わずこぼすと、〝カネカネ〟と呼ばれた少女が呆れたように


「あれでも、このエスサァリイ・トウキョウの正義と治安を守る保安官でありながら、全国を股にかけるバウンティハンターにしてガンマン、〝ジェーン・ランダル〟様だからな」


 そう言った瞬間、カバンに装着してある無線機がガガッと鳴った。


「こちらチェックメイト・キングツー、オーバー。……売りだ、売り! 今すぐ、速やかに、全部売れ! そうだ、いいな? ……わかった、すぐ行く。オーバー」


 荒々しく言うとカネカネは無線を切る。


「悪いミストラル、芽里、呼ばれちまった」

 カネカネはセーラー服の襟元から、ぶら下げたガマ口を引っ張り出すと自分の分をテーブルに置き、「マスター、またな」と言って慌ただしく出て行った。


「みんな、忙しいですねぇ」


 残された芽里はぽつりとつぶやいた。


「カネカネさんだって、この〝アウターリング〟じゃ名前の売れた相場師よ? 株だけじゃなくて、米や麦、石油、なんだってお金儲けにしてしまうんですもの、大したものだわ。忙しいと言えば、あなただってこの間、試験前だっていうのに学校をお休みしたじゃない? どこかに遊びに行ってたわけじゃないでしょ?」

「えっ! ええ……まあ……」


 芽里はミストラルから目を逸らすと、バツが悪そうに苦笑する。


「芽里、そろそろ着替えな。ディナータイムの前に準備始めるよ」

「ハイ。じゃあミストラルさん、失礼します」

「ええ、芽里、頑張ってね」

「ハイ!」


 芽里は席を立つと、レジの横を通ってバックヤードに向かった。


「お忙しいのね、マスター」

「貧乏暇なしさ」

「わたくしもそろそろお暇するわ」


 ミストラルはそう言うと学生カバンからルイヴィトンの財布を出すと、自分の分の代金とカネカネの分と合わせて、マスターの手の上に置く。


「毎度ありぃ」


 扉のカウベルをチリンチリンと鳴らして、ミストラルは出て行った。

 マスターは受け取った代金をレジに入れようとした時に違和感を覚え、手の上の金を見つめる。金の中に、小さく折りたたまれた紙が紛れ込ませてあった。マスターが紙を広げるとこう書いてある。


『今夜十一時、アクアノス・コーホクの教会で待つ』


 マスターが握ると、青白い炎を出して紙は消えてしまった。


「マスター……」

「心配するな、セドリック」


 そう言うとマスターは顔を上げる。セドリックを見るその目は、先程とはうって変わった真剣な眼差しだった。

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