軋轢

 上山の卓に着くと、上山が飲んだであろうビールジョッキ3杯が空になっていた。

 顔をあげると、そこには新人社員の村田の姿があった。


 「どうも!」佐藤さん!

 ご苦労様です!」


 俺に気づくや、否や席から立ち上がり頭を下てきた。

 律儀だな、と感心しつつ村田を椅子に座るように指示する。村田が座ったのを見て、俺も席につく。


「村田もご苦労様」

「いえいえ!僕はそんな仕事して……」


 村田が、言葉を続ける前に口を開く。


「まあまあ細かいことは気にするな」


 そう言って、ビールジョッキを交わして、ビールを大量に口に入れ込む。上山で溜まった憤りを殺すようにごくり、と大きく飲み込んだ。

 

「ぷはぁ」


 喉にシュワシュワとした冷たい感触が、徐々に憤りを抑えて行くような気がした。ビールの美味さに感服していると、村山がキョトんとこっちを見ているのに気づく。


「どうした」

「佐藤さんって意外といい飲みっぷりするんだなって」

「なんだよ急に」


 理由が理由で苦笑していると、「笑わないでください」と村山は両頬を膨らませていた。

 可愛らしげなその態度が、上山の憤りを緩和していくような気がした。


 村田の配属先は一応、上山の下だが世話係は俺が請け負っている。熱量があって、言ったことは聞いてくれる傾聴性があって、後輩には恵まれたなとつくづく思う。上司が上司のせいでそのことが、より一層実感できる。


「佐藤さんと村山さんって確か大学の同期ですよね」

「そうそう、腐れ縁ってやつ。村田は確か、浅田と同期だよな」

「そうですそうです!」


 浅田 遥。村田と、同じ時期に入ってきた村田の同期。配属先は、部長か、渡部のところだった気がする。直接話したのは数回だが、その数回でコミュニケーション能力の高さが窺えた。


「佐藤さんは大学のときから仲良かったんですか」

「接点は少なかったな、人数多かったし……サークルもグループも違ったからなあ」


 ふと、視線を村田から村山の卓へ移す。

 適度に、相槌をしながら愛想笑いを浮かべる村山がすぐに視界に入った。

 大学の頃の記憶が蘇る。いつしかの飲み会もあんな愛想笑いを浮かべていた。


「村田は仲良かったのか?大学のときから」

「サークル一緒だったので、関わることは多かったです」

「へぇーなんのサークルだったんだ」

「なんだと思います?」

「バドミントン」

「……」


 村田からの返事がなく、何事かと村山から視線を移すと、なんで一発で当てるんですか、とでもいいたげな表情を浮かべていた。

 よくよく見るとやはり、村田は可愛らしい童顔な顔をしている。スーツ姿がおかしいくらいには。

 その可愛らしい顔がカエルのように膨らんでいるのを見てすこしクスッとしてしまう。


「履歴書に書いてあったからな」

「あっ……

 ずるいですよ!」


「ごめんごめん」と適当な返事をして、頼んだ焼き鳥にかぶりつく。ここの皮たれは本当に美味しい。何回食べても飽きない。


 しかし、後輩と2人で飲むのはいつぶりだろうか。何を話していたのかすら思い出せない。沈黙の時間が長くなれば長くなるほど、気まづさが増してくる。


「村田はこの会社どう思う」


 気づくと口を開いていた。なぜこの質問を先走ってしてしまったのか、自分でも無意識に口にしていた。率直な感想が欲しかったのか、それとも自分の仲間が欲しかったのか。


 いやその両方かもしれない。


 不意に、1年目のときこの質問をされたのを思い出した。「そうですね、楽しいですよ」俺はそんな適当な回答をした。それは別に本心ではなく、建前。会社の1年目なんて建前の連続、そんなもんだった。


 意地悪な質問だった、そう思って視線を上にあげると、村田はうーんと悩んだ表情をしていた。ミスったな。


「あっ……」


 俺がそう質問を撤回しようとすると、村田はゆっくりと口を開き


「入れてもらえただけ感謝ですかね」


 と一言。


 何故か度肝を抜かれた。


 村田の顔に嘘偽りはなかった。瞳を見ればそれは一目瞭然だった。だからこそ度肝を抜かれた。


 ふと一年前の俺と像が重なる。村田のその姿に輝き、というか劣等感を覚えた。

 あの時は何かに取り憑かれたように仕事をしていた。機械作業となんら変わりなかった。

 漠然とした不安を抱えながら、上司には頭を下げ、仕事を覚えて、言われたことを言われた通りにする。

 仕事が終われば終電。そして帰って寝て、また出勤。


 純粋な村田の瞳に吸い込まれそうになる。

 過去にこの質問をされた時に巻きもどる感覚に襲われる。あの頃に戻れたら……もっと輝いて……。


「どうしたんですか」

「あ、いや。すまん」


 つい村田の姿を見て思いふけてしまっていた。嫌なことというか、懐かしいというか、複雑な気持ちだった。


 歳の差なんて一つしか変わらないのに、歳を取ったなと不意に実感した。若い、その言葉が口から出そうになったが、噛み殺して胸の内に留めた。


「いつも僕のミスまでカバーしてくれてありがとうございます」

「なんだよ急に改まって」

「あんな仕事量あるのに僕の分まで……」

「まあまあ、新人も大変だろ。新人のよしみってやつだよ」

「佐藤さんも大変ですよね」


 何が?とは言わなかった。

 言いたいことは分かっていた。


「慣れって怖いよな」

「あれはもうパワハラですよっ!!」

「まあ俗に言えばそうなのかもな」

「佐藤さんは優しすぎます」

「ただ仕事してるだけだ」

「上層部に報告すれば……」

「村田は優しいな」


 言葉を遮って、そう言うと、村田はなんとも言えない顔をしていた。

 証拠がない為どうしようもない。証言だって、俺の立場上じゃ到底だが難しい。


「じゃあ僕がお役に立てるように頑張ります!!」

「おうおう、期待しないで待っとく」

「からかわないでください」


 その声には、微塵の冗談もなかった。本当なのはすぐ分かった。だが、村田が仕事できるようになれば、俺から村田へそのヘイトは向くだろう。そうなれば元も子もない。


 後輩を守るのが上司の役目。そんな当たり前なことがここにきてようやくああ、そういうことかと納得できる。社会に出てからというもの、癇癪な上司の下に配属されて強くあたられる日々、それがよく実感できる。


「佐藤さん……」


 村田が何かを言いかけたその時だった。


 ガシャン!


 少し奥の卓で食器の割れた音がした、と思えば続けて声が上がった。


「まだ行けるだろ!!」


 胸糞悪い声。

 聞きたくもない声。俺はよく知っている。消えかけた憤りが急に吹き返してくるのを感じた。


 ため息が零れる。


 遠目で覗くと、上山は既に出来上がっている様子だった。横で周りの視線を浴びて、村山あたふたと慌てていた。


 このイライラ感は他の何物でも例えられない。俺に迷惑をかけるのはまだ許せる。だが、村山や店にまで迷惑をかけるのは違う。


「村山ちゃんまだ飲めるって!!」


「村田少し行ってくる」


 村田の返事を待たずに、席を立ち上がる。正直、こんなことに関わりたくない。めんどくさくなるのは分かっている。


「村山ちゃん上司の言うことが聞けないの!!」

「そういう訳では……」

「じゃあ……」


「飲め」と上山の口から出る前に、俺は少し大きな声を上げる。


「それ以上はアルハラですよ」

「ああ?」


 上山は俺に気づくや否や、声を荒らげた。


「佐藤、お、お前ッ

 邪魔すんなしたっぱの分際でッ!!」

「上司の行動を正すのも後輩の仕事ですよ」

「口答えするんじゃねえええ!」


 上山の拳が飛んでくる。酔っ払いの拳なんて恐れるに足りず、簡単に受けとめた。眉間に皺を寄せた真っ赤な顔に、不快感を通り越して、醒めた感情が溢れる。


 どうして、こんなやつの下に。

 どうして、こんなやつの世話を俺が。

 どうして、俺があたられるのか。


 思えば、愚痴が溢れる。もっと楽な世界線があったらどんなに楽しかったか。しかし、こうなってしまっのはしょうがない。


 どうにもこういう世界線になってしまったのだ。ここでの責務はちゃんと果たす。


「反抗するなッ」

「立派な暴力ですよ」

「教育だよ!!」

「いいんですか、ここにいる全員が証言者になりますよ」

「チッ」


 腕を振り払われる。


「月曜からもっと楽しいことになりそうだな、佐藤


 おーい!会計ッ!」


「村山ちゃんもまた月曜日」


 その言葉には、どこか嫌な意味を含んでいた。


「最悪のケースだな……」


 想定していたとはいえ、俺だけならまだしも村山にまで被害が及んでしまった。今日は平和な飲みで終わると思っていた。


 そんな魂胆が全て壊された。


 せっかく誘ってくれたのに、村山には申し訳ない。


 気がつくと、店内はシンっとした状態になっていたが、上山が店から出ていくと徐々に騒がしくなっていった。


「大丈夫か?」


 地面に座り込んでいる村山は、軽いパニックに陥っていた。


「……佐藤?」

「そうだ」


 十秒くらいして、返事が返ってきた。


「悪いな、巻き込んぢまって」

「……私ッ!

 佐藤にまた……ッ!」

「いいんだよ、とりあえず涙拭きな。可愛い顔が台無しだぞ」


 コクコクと頷くと、おどおどした挙動でハンカチを受け取って涙を拭き始めた。


 その姿をみて、俺のことを心配してくれていてくれたんだなと、痛感する。余計に、申し訳なさがまた込み上げてくる。

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