23
気が付くと、座敷に寝転がっていた。
畳敷きの室内は、松の描かれた
まるで、時代劇に出てくるお座敷のようだ。
爽やかで甘い香りに釣られて視線を戻すと、こちらに背を向けて少女が立っていた。彼女の奥、床の間ではお香が炊かれており、煙がたなびいている。深紅の花模様の柄が入った着物に黒の帯。少し違う気もするが、七五三の時の沙耶を思い出す。
「あの、ごめんね。良く分かんないんだけど、ここはどこかな?」
少女は
さらさらとした黒髪は古風に纏められており、白いうなじがのぞいている。
「おじさんの名前は谷原っていうんだけど、お名前教えてくれる?」
極力優しい声色で少女に語り掛ける。
だが彼女は変わらず背を向けたまま、ゆっくりと腕を動かして障子を指差した。
外に何かあるのだろうか、その指の先を見つめる。
薄く模様の入った高価そうな障子紙だが、特に何もヒントはない。
ふと少女に目を戻した時、違和感に気付いた。
袖から覗いたその手は死人のように青白く、中指と薬指が欠けていたのだ。
血がぽたぽたと畳に落ちている。
鮮血ではなく、黒い血液。死後しばらく経つとこうなるはずだ。
じんわりと恐怖が身体に染みる。
冷たい水に飛び込んだような悪寒に、ぞっと全身の毛が逆立った。
「……そ……とに……で、たい」
異様な光景を前に頭を振る。
これは夢だ、ようやく気付いた。
先ほどまで鈴木と話していたが、いつの間にか寝てしまったのだ。
同時に全身が緊張する、この子は誰だ。
ぽと、ぽと、血の垂れる音が止まらない。手からだけではない、帯や裾からも滴っている。花弁が開くように、着物が赤黒く染まっていることに気付いた。
この子が着ているのは死装束、死人の着用する白い着物。
それが体中の出血で染まり、深紅に見えていただけだ。
「おか……あ、さ……ん」
相変わらず背しか見せない少女は、途切れ途切れに呟きながら、欠けた指で障子の方を差し続ける。
ホラー映画さながらの光景に、身体は凍り付いて動かない。
お母さんに会いたい、そのために外へ出たいのだろうか。
再度障子を見る。
この向こうには濡れ縁があるだろう。
彼女は何か理由があって出られないのかもしれない。
ふと、哀れに思った。
同時に目の端に映る少女について、考える。
歳は沙耶と同じくらいだ。なぜこんな怪我を負っているのか。
……まるで全身を嚙まれたような。
その時、身体に電流が走った。
自分はこの子を知っている。
「もしかして、小春ちゃん?」
少女は身動き一つしない、ひたすら外を差すだけである。
足元には黒い血だまりができつつあった。
思わず怒りが湧いてくる。
この
そして、彼女が出られない理由も自然と分かった。
ここはこの世ではない、恐らく境目なのだ。
夢の中とは言え、何故この場所に来たのかは分からない。
だが何とかして現世に帰してあげたい。立ち上がって障子をぱんと開け放った。
月明りが白洲を照らしている。
濡れ縁のすぐ向こうには、白い砂が撒かれ、奥には行き止まりのように立派な塀が聳えていた。まるで武家屋敷だ。
絢爛な屋敷とは対照的な、砂漠のようにも見える白洲。
あの塀を越えれば、帰ることができるのか。
彼女に声を掛けようと、室内に目を向けると、そこには血溜まりしか残っていなかった。
もぬけの殻となった和室を、燭台の灯りがぼうっと照らしている。
ただ、床の間から松の襖へと血の跡が伸びており、彼女が屋敷の奥へ行ったことが見て取れた。音もなく移動したのは少し不気味であったが、追いかけなければと思った。
急いで襖を開けると、また同じような和室。
ただ一つ違うとしたら襖絵だ、白波が砕ける絵が目の前一杯に広がっていた。そして畳が黒く濡れており、彼女は更に奥へと移動していることが分かる。
足を血で滑らせながら、追いかけるように襖を開けると、また畳敷きの部屋。
何だこの屋敷は……。
合わせ鏡の様に綿々と同じ部屋が続いており、小春ちゃんはどんどん奥に行っている。
鷺が戯れる襖、竜虎相対する襖、老人が釣り糸を垂れる襖、次々と現れる襖を超えていく度に、不思議なことに気付いた。
段々色が失せている。
金銀鮮やかで絢爛だった
それに何だか身体が重い、羽交い締めされているように前へ進まない。
お腹の大きい子供に、何かを煮る男、柱にもたれる女、この襖絵はどこかで見たことがある。
よたよたと老人のような足取りで、その妙な襖を開ける。
次で最後だ、何故かそう直感した。
今までとは違い、板張りの質素なその部屋に入る。
大きな四枚の襖には、黒々とした雲が描かれ、ぎざぎざの模様が幾本も下に伸びている。
……雷だ。
もの凄い迫力の襖絵だった、今にも轟音が轟いてきそうな臨場感に顔を背けたくなる。夢とは言えこの屋敷が普通でないと肌で感じた。そして、自分がまずいことになっていることも。
だからこそ小春ちゃんを助け出さなければならない。
更に身体への重圧が増して、ほとんど四つん這いになりながら襖の元まで行く。
胸が圧迫されて息をするのもしんどい、でも助けなければ。
何とか襖に手をかけると、遠くから何かが聞こえた。
サイレンのようだが違う、一定の音程で鳴り響くこの調べは。
——遠吠えだ。
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