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「今日一日、お疲れ様でした」
田牧の合図でグラスを掲げ、ぐいっとビールを胃に流し込む。
心地よい苦みが一日の疲れを溶かしていく。農道沿いの豪農の家を改築したという店内は、個室に分かれており、外の音が気にならない。
てっきり駅前の赤提灯の下がった居酒屋にでも行くのかと思ったが、古民家をリノベーションした小綺麗な店に連れてこられて驚いた。田牧はこういった接待に慣れているようで、細部での気遣いがしっかりしている。
「ちょっと店側に用意させているものがありまして、すみませんがちょっと離席します」
田牧は申し訳なさそうに告げると、厨房の方へ歩いて行った。残された前田はこういった場に慣れていないのか、あたふたしながら場を繋ごうと話しかけてくる。
「実はここの焼鳥、実はあの養鶏場のものなんですよ」
「へえー、地産地消ってやつですね」
実はそこまで鶏肉が得意ではないので、当たり障りなく相槌を打つ。隣では事情を知っている安川がにやにやと笑っているのが見えた。彼女に露見して気を遣わせる前に話題を変える。
「田牧町長は接待慣れしている感じありますね、よくされているんですか?」
「町長は東京で外資系のコンサルタント会社に勤めていたんです。だからこういうお店に詳しいみたいで。元々お兄さんが町長だったんですが、亡くなったのでこっちへ戻ってこられたんです」
「へえ、珍しい経歴ですね」
意外な答えであった。
会社名を聞くと誰もが知る有名企業であり、洗練された身なりや話ぶりも納得がいく。都内の一流私立大学でラグビーをしており、その後外資系コンサルタント会社に就職したらしい。
「お兄さんが町長ということは、代々世襲って感じですか?」
「はい。田牧家は、ずっと長をやっていた家柄で朝比町では一番大きな家なんです。特に今の町長はものすごく熱心で、色々な改革をされているんです」
少し酒が入り、前田の頬がピンク色に染まっている。
たどたどしかった口調も、徐々に滑らかになりつつあった。
「役場も若手に中心に新しいことに挑戦させてもらってるんですが、そうすると色々なところから反発がきて……」
「反発?」
「主に町議員の方々です。あの養鶏場の件なんかまさにそうで、棚田を観光地にする話はこちらが先に出していたのに、養鶏場を誘致してきてしまって。少し考えれば分かる話なんですが……」
手元の焼鳥を見つめながら、やりきれないとばかりに前田は続ける。
「要するに、アサヒカリで役場が実績を上げてるのが気に入らないんです。自分達の存在価値を示すために、あれを引っ張ってきたと思うんです。でも高齢の議員達ばかりで、養鶏場誘致なんてよく思い付いたなあって、皆不思議がっています」
「じゃあ田牧さんも議会と全面対決してるんですか?」
同じ若手として義憤に駆られたのか、安川が口をはさんだ。
怒りながらもその養鶏場の焼鳥を口に入れて、もぐもぐと頬張っている。
「いえ、町長には『議会と対立しないように』と言われています。議長とも仲良くされているようですし」
「なんだよ、それ、田牧さん頑張ってよ」
「いや、それが大人の対応ってやつだ。中間管理職にはよく分かる」
議会と役場、というよりは、若手達の改革熱が保守層とぶつかる、というありがちな理由での対立らしい。田牧はそれを知っているので、両者を立てつつ、あえて中間で取り纏めているように見えた。こういう話は地方・都会問わずにあるし、役所に限らず、民間組織でもよくある話だ。
苦労するのは間に挟まれる中堅ポジション、つまり自分や田牧のような人間だ。勝手ながら親近感を覚えた。
「うわあ、谷原さん見損ないました」
安川の冗談に前田がくすりと笑う。
しかし、彼女の目の下には相変わらずくまがあり、疲れている雰囲気が残っていた。
「前田さん、お疲れなのはそれが原因なんですか?」
「えっ、ああ、これは最近寝れていなくて——」
彼女が口を開いたところで、ちょうど田牧が戻ってきた。
「お待たせしました! 本日の特別品です」
どん、とテーブルに剝き出しの一升瓶が置かれた。
銘柄どころか何の情報もなく、黒っぽい瓶の中で液体が揺れる。
「……田牧さん。これもしかして」
「お気付きですか。試作品です。ささ、お一つどうぞ」
ニンマリと笑って、一緒に持ってきた桝にその液体を注いで渡してきた。
一口含むと、きりっとした清廉さの中に、甘くフルーティーな香りが広がる。雑味がなくさらさらと喉を通っていき、後味も爽やかだ。完成度の高い日本酒である。
「え、何の日本酒なんですか」
戸惑う安川に説明する。
「これは恐らくアサヒカリで醸造した日本酒だ。普通は酒になる過程で旨味が雑味に変わっちゃうから、酒米っていうパサパサの旨味が少ないコメでつくるんだ。なのにあの美味い米で、こんな澄んだ日本酒ができるなんてどうやったんだろう」
知らなかったのか、口に含んでいる前田も驚いている。
試食した際のアサヒカリは、甘い・モチモチといった優秀な飯米としての特徴を備えていた。それは酒を造る米として失格を意味しているのだが、どう醸造したのだろうか。まるで禁忌の飲み物だ。世の理に反して出現した魔法の酒としか思えない。
疑問を察したかのように田牧が答える。
「これはアサヒカリの麹を使っているんです。同じ品種同士で醸造させると上手くいくみたいで。朝比町の酒蔵と協力してようやく形になりました。安川さんもどうぞ一杯」
「あ、すみません。いただきます」
安川も一口飲んで、目を見開いた。
田牧自身も酒をぐっと飲み干して、話を続ける。
「朝ノ光という名前で売り出そうと考えています。先日は卸の業者さんに飲んでもらったのですが、有り難いことにえらい好評で」
「これは料亭なんかで飲む味ですよ、それにしてもアサヒカリはすごいですね。本当に不思議な米だ」
「ええ、この米は朝比の救世主なんです。惜しむべくは量が収穫できないことですね。こればかりはどうしようもなくて。パックご飯に切り餅、日本酒にせんべい、いくらでも需要はあるはずなのに残念です」
言葉とは裏腹に、田牧の顔は生き生きとしていた。
無理難題へ取り組むことに喜びを感じる種類の人間なのかもしれない。
ある意味羨ましかった。
失点を恐れて、しくじらないよう過ごす官僚の仕事が惨めに思える。今回の出張もそうだ、合格前提の監査のためにわざわざ泊まりがけで来ている。田牧と比べて、意味のある仕事には思えなかった。
唐突に電車の中での安川の言葉を思い出す。
もしかしたら、僕の関係かもしれないです、という言葉。
今回の監査が、安川の父親絡みの可能性は大いにある。
彼が配属された時は厄介な部下が来たと、正直思った。
柿崎部長には「くれぐれも大切にしろよ、安川先生のご子息だぞ」と念を押された。たぷたぷと動く二重顎をあれほど恨めしく思ったことはない。
だが、実際の安川に関しては、何てことない気の良いただの若者であった。学歴的には不十分かもしれないが、素直で愛想が良く、部下としても可愛げがある。
「谷原さんどうしたんですか?」
酔ってきたのか、目の縁を赤く染めながら安川がこちらを見ていた。
本人も出自のことで悩んだとは思うが、今では堂々と本来の明るさを全面に出せている。
「いや、この酒が美味くて黙り込んじゃったよ」
「そうでしょう、アサヒカリは奇跡の米なんです。それなのに議員のお爺ちゃん達は、雷と結び付けて『いなず
饒舌になった前田が不満を吐き出している。
事情を知っている田牧は苦笑いだ。
青いパッケージに、透明なビニールで稲妻のギザギザ模様が切り抜かれた米袋。おもわず想像上の『いなず米』が店頭で売られてる様子を想像してしまった。良いのではないか。
「いやいやそれはダサいですよ。年寄りのセンスですね!」
日本酒を片手に安川が笑う。
飼い犬に手を噛まれるとはこのことか、と思わず真顔となった。
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