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『ようこそいらっしゃいました、朝比町』

 さびれた観光地特有の色褪せた看板が駅で出迎える。

 電車を降りると、四月にしてはやや暑い空気がむわっと押し寄せる。

 東京から特急で約二時間、朝比町は山々に囲まれた谷間にある。中心を流れる夜須川が長い間に渡って山を侵食したおかげで、谷というより小さめな盆地のような地形となっていた。

 高度経済成長期には、すぐに行ける田舎としてハイキング・登山をメインとした観光地となり、そこそこ賑わったもののバブル崩壊と過疎化で衰退、という地方にありがちな経緯を持つ。

 改札を通りこじんまりとした駅舎を出ると、観光バスのために作られた意外に広いロータリーにパラパラとタクシーが停まっている。青い空の下には人影はほとんどなく、アスファルトの隙間からは背の高い雑草が生えており、人よりも植物の方が勢いがあるといった様相であった。

「谷原さん、早くタクシー乗っちゃいましょう、自分声かけてきます」

「いや、迎えがきてるはずなんだけどな。……多分あれかな」

 はやる安川を抑えてぐるっとロータリーを見渡すと、少し外れたところに一台の黒いセダンが停まっていた。その脇にはがっしりとした男性が立って、手を振っている。

「町長の田牧たまきです。遠いところお越しいただきありがとうございます。」

 爽やかな笑顔とラグビー選手のような大柄の体格、イメージしていた町長像とは全く違う。パリッとした白シャツを着こなしており、どちらかというと都心に勤める商社マンに見える。年齢も四十代半ばくらいだろうか、精力的だが清潔感のある装いはどこか都会風であった。

 町長自ら二人の荷物をトランクに積み込み、後部座席のドアを開け、うやうやしくエスコートしてくれる。

「町長さんにお出迎えいただけるとは驚きました」

 革張りの後部座席にもたれながら、ハンドルを握る田牧に声をかける。後ろから見ても肩幅があり、首にもしっかりと筋肉が付いているのが分かった。

「いえいえ、むしろこんな遠い所までどうもありがとうございます」

「朝比町は長閑のどかで良いところですね」

「東京から割と近いので、田舎の景色目当てに観光客が良く来てくれたんですが、最近はダメですね。登山とかハイキングは有名なので、そちらはまだお客さんがいらしてくれてます」

「いいですね、登山にハイキング」

「ええ、ただそれだけじゃいかんということで、私が町長になってからは色々と取り組んでおるんですが、正直成果はいまいちです」

 田牧町長は猪首を竦めて豪快に笑う。

「経費節減の一環として、この車は役場のではなくて、マイカーなんです。貧乏体質が身についているといいますか」

「へえ、すごく良い車ですよね」

 隣で安川が羨ましそうにシートを撫でる。

 座っていても振動が少なく、走行音があまり聞こえない。先ほど黒塗りの外車が迎えに現れた時は、我々の送迎か自信がなかったほどだった。

「ここ十年くらいで過疎が一気に進みまして、当然税収の方も右肩下がりなので、費用を抑えるように町長自ら徹底しておるんです。私が率先して背中を見せないと職員達は着いてこないですからね」

 内容とは裏腹に、田牧は明るい声でハキハキと喋る。

 仕事柄田舎にはよく来るが、大抵は薄ぼんやりとした夕闇のような雰囲気を感じる。長老然とした陰気な長が、延々と同じやり方で運営していくと、閉め切った寝室のようなえた匂いの田舎になっていくのだ。

 その点、田牧は一味違うように見えた。

「今回の一件が、この朝比町の起爆剤になればと思っているんです、是非よろしくお願いします」

 改革欲に溢れる良い意味での野心家、自信に満ちた声からそういう人物だと類推できる。礼儀正しく理知的な口調からは、彼の有能さの片鱗が滲み出ていた。

 恐らく今回の特地農の件、裏で動いたのはこの男かも知れない、そう思った。

 後の会話は安川に任せて、黒いスモーク越しに外を見る。

 車は田植え前の黒々とした田圃の中、一本道を走っていた。遠くには山がそそり立ち、春霞の中をキラキラと日差しが反射して輝く。窓を開けて息を吸えば、春の空気と土の匂いを堪能できるだろう。それにこの景色は秋の収穫前になったら一面黄金色になるなと、柄にもなく詩人のような想像をした。

 つと瞬きをすると、ある田圃たんぼが目に入った。

 耕運機で掘り返された黒土に、何かが刺さっている。

 穏やかな空気の中で、その異物はくっきりと見えた。

 ――――あれは御幣だ。

 長い木の棒に白いひらひら、紙垂というギザギザの紙が付いている。

 地鎮祭なんかでよく使われる神具のはずだ。

 一瞬農業に関する神事かと思ったが、ぽつんと一つの田んぼだけでやるのも変な気がする。それにど真ん中に刺さっているわけではなく、少し中心を外れたところに無造作に突き立っている。

 見慣れない光景に、ふと不安になった。

 見たくないのになぜか目が離せない、車の速度に合わせて近づいてくる御幣に釘付けとなる。まるで森の中に一本、ねじ曲がった奇形の木が立っているような不自然さ。そんなはずはないのだが、その田だけ妙に暗く翳って見える。

 じわじわとした悪寒を感じて、二の腕あたりにゆっくり鳥肌が広がっていくのが分かった。

「谷原さん、顔青くないですか。車酔いするタイプでしたっけ」

 安川が顔色を伺って、びっくりしたように案じた。

「大丈夫ですか、ちょっとゆっくり走りますね」

 田牧が気を遣って車の速度を緩めてくれる。

 気持ちは有難いが、例の田から早く遠ざかりたいので、もどかしい気持ちだった。しかし今年で三十八歳、この歳になって田圃にある御幣が恐いとはとても言えない。最近車酔いしやすくて、と具合が悪い風で応えた。

 頭を振ってもう一度外を見る。真っ直ぐ続く農道の景色は、田畑と電信柱、ビニールハウス、古造りの農家、遠くには緑の山壁。道端にはタイヤに土を付けたトラクターが停まっており、東京とは別世界のようにゆっくりとした光景だ。

 何をあんなに怖がったのか、急に恥ずかしくなってきた。

 一つ深呼吸をする。段々と動悸も落ち着き、強張った身体が元に戻ってきたことを感じた。

「田牧さん、もう大丈夫です。落ち着きました。それよりもさっき御幣が田に刺さっていたんですが、あれは何でしょうか?」

「ああ、あれは雷が落ちた場所へ刺すことになっているんです。何せ神様が落ちてこられるんで」

「神様……?」

「ははは、迷信ですよ、昔からの習わしです。ご興味ありましたら暇潰しに話しましょうか?」

 是非と返答すると、田牧は滔々と語り出した。

「ここは大昔から不毛の地でして、ご先祖達は飢餓でとても苦しんでいました。そこで偉い修験者にお願いして、豊穣を司る神様を余所から招いたんですが、その途端にどんどん雷が落ちてきたんです。村中大慌てになって、お祈りしたり、仏様に助けを求めたり、色々やっている中でふと気付くと稲が育っていまして。それだけではなくて、野菜も雑草も地面に植えてあるものみんながすくすくと成長して、大いに助かったという話です」

「雷で植物が育つ。あり得る話だ」

「……何でですか? 神様の力じゃないんですか?」

 安川が小声でこそこそと問いかけてきた。

 全く分からないという顔で、首を捻っている。

 ただ運転席に丸聞こえだったようで、田牧が代わりに答えてくれた。

「窒素なんですよ。稲妻の放電によって空気中の窒素が水に溶けて栄養となるおかげで、貧栄養の土でも作物が育つんです。だから稲の妻と書いて、稲妻って言うんです」

「ああ、だから稲妻。なるほど」

 安川は合点がいったように感嘆の声を漏らす。

 伝承や神話を科学的な面から解説するというのは結構面白い。神や妖怪というものは大体が自然現象からきているもので、自然を恐れる人間の心がその存在を作り出す。

 それだけに辻褄が合うのが興味深かった。

「ここら辺が不毛の地っていうのは関東ロームですか?」

「谷原さん、よくご存じですね。この町は気流の関係で火山灰が堆積しやすいんです。いわゆる関東ローム層ってやつで、植物が育つのに必要なリンが地中に固定化されてしまうせいで、土地が痩せているんです。そして麻生山という、ここからは見えずらいんですが、その山に当たった風が積乱雲をつくって稲妻を降らすおかげで、農業が成り立っているというわけです」

 関東近郊の農地であれば、歴史的に悩まされていた問題だ。日本最大の活火山である富士山は、その近郊も火山帯となっている。そこから飛来する火山灰が堆積すると、栄養の全くない農地に適さない土地となってしまう。

「それで雷に感謝して、刺した御幣がさっきのものなんですね」

「ええ、初めて来られる方は不思議に思っても無理はありません」

 そうであるならば、先ほど受けたあの嫌な感じは何であったのか。整合性がとれないよう感じた。恐らく普段目にしない神具が田に刺さっていたから驚いたのだろうと、無理矢理自分を納得させることにした。

「麻生山に神様が祀られているんですが、そこに黒雲が湧くと雷が来るんです。だから町民はみなそっちの方角を気にしています」

「何だか面白いですね」

「詳しくは資料館があるので、そちらで色々分かりますよ。出来たばっかりの綺麗な資料館なんです。ちなみに別館もあるんですが、そちらは去年まで住んでいた我が家でして」

「そうなんですか!?」

「俗に言う古民家ってやつで、住むのにはかなり不便だったんです」

 別館といえども、資料館になるほどの古民家とはどれほどの大きさなのだろうか。

 思わず城のような大きな屋敷を想像した。

「あと、一つご注意いただきたいのが、雷を見ないでほしいんです」

 田牧の言葉に、どきり、と自分の心臓が鳴る音が聞こえた。

 恐る恐る理由を聞いてみる。

「……神様が降らしているからでしょうか?」

「言い伝え的にはそうです。神様が降ってくるから目が潰れるって言われています。ただ実際の問題は単純で、とても光量が大きいんです。特にここ最近はもの凄く光るんで視力が落ちる危険性があるんです」

「そういうことですか」

 ほっと胸を撫でおろす。

 雷を見てはならないというのが、いかにも地方の言い伝えらしく魅力を感じた。

 しかし、視力を低下させるほどの雷が現実に落ちてきているというのは不可解だ、朝比町の地理的な特徴と関係あるのだろうか。疑問は残ったが、これ以上踏み込んで変な話がでてきても困るので、意識して考えないようにした。

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