病の名前を与えて

@leaf_6050

チェックシートに慈悲を乞う

 1.将来に失望していますか?

 ☑はい □いいえ


 2.希死念慮を抱いたことはありますか?

 ☑はい □いいえ


 3.自傷行為を行ったことはありますか?

 □はい ☑いいえ


 こんなチェックシートで、病の名前が分かるのなら、精神科医なんて虚業なんじゃないか?

 私は、何も考えず、無心でチェックシートを埋めていく。その行いに大した意味も感じず、ただ空白を無くしていく。

 とはいえ、本当に何も考えず、というわけにもいかず、余計なことに意識が持っていかれる。この作業は、まるで私の人生にそっくりだ、とか。


 思い返してみれば、いつもそうだった。

 昔から、私はただ周りに身を任せていただけで、主体的に行動することができなかった。しなかった、という表現の方が正しいかもしれないが、そう考えるとめまいがしてくるので、できなかったということにしよう。


 17.先々のことを考えて行動することができましたか?

 □はい ☑いいえ


 それも、できなかった。いつも、見えているのは目の前のことや、自分のことばかり。

 私の発言で、周りの人たちにどういう感情を呼び起こさせるのか、考える余裕がなかった。

 だから私の周りから人は離れていき、友人と呼べる存在もいなくなったんだろう。


 目の前の出来事に対処するだけで、精一杯なんだ。多くを求めないでくれ、と心の底から思うけれど、そういうわけにも行かないことくらいは知っている。

 そのたびに、私は"自分は出来損ないなのだ"と、自覚してしまう。


 私は時々哲学チックな思考に身を委ねることがあるのだが、最近の脳内の議題は、"自分"と"自身のイメージ"はどちらが主導権を握っているのか、だ。

 これまで私は、自分が自分のイメージを生み出し、変化させ続ける側だと思っていたけれど、今は逆だと思う。

 自分が、自分のイメージの方に引っ張られているのだ。

 私が、"私は出来が悪く、頭が悪く、人から好かれることのない人間だ"と、思う度に、そういった自己への評価が、自分自身を塗り替えていく。


 その評価が間違っていたとしても、次第に、本当に、出来が悪い人間になっていく。

 ...なんて考えは、今、至らない自分を慰めるための言い訳なのかもしれないが。


 42.あなたは何を求めているのですか?

 □はい □いいえ


 さっきから、チェックシートの問いが、まるで違った言葉に空目してしまう。

 なんだ?これは。

 "はい"か"いいえ"で答えられないじゃないか。


 42.あなたは物忘れが多い方ですか?

 □はい □いいえ


 ああ、これなら答えられる。

 "はい"にチェックを入れた。


 50個のチェックで紙を埋め尽くした。ペンを置いたのを見て、精神科医を名乗る機械が近寄ってくる。

「書き終わった?それじゃカウンセリングするからね」

 ...憂鬱だ。


 病院より這い出て、帰路に就く。

 先生は「2週間後にもう一度病院に来てね」と軽々しく言ってのけたが、それがどれほど難しいことか、知らないからそう言えるのだろう。

 3日後のことだって、記憶が持つか怪しいのに、2週間後なんてとてもとても。

 とはいえ、最大限努力はしよう。スマホのカレンダーにメモを加えて、少し満足した。


 家に帰っても、何もない。夕焼けに照らされて、薄暗い家。

 電気をつけることもなく、すぐに塒に入って、寝入ることにした。

 布団の中で、また思索を遊ばせる。


 空目したチェックシートの文言を思い出す。

 "あなたは何を求めているのですか?"

 これは、なかなか難しい。私は今日、自主的に病院に向かったのだ。誰に指示されることもなく、珍しく、主体的に。


 何のために?

 病んでいるのかどうか確かめたかった?なんで?

 仮に病気だったとして、そのあとはどうする?

 薬をもらって、それを飲んだら、この憂いは全て解決するの?

 外に出て、電車で1時間もかかる精神科に、面倒なのに、わざわざ向かったのは、どうして?


 そこまで考えて、気付いた。

 私は、病の名前を与えてほしかっただけだ。

 自分が至らない理由を病のせいにしたかっただけだ。

 出来が悪くて、どうしようもない自分を、自分のせいにしたくなくて、病に伏せているのなら、それのせいにできるから。


 50.あなたは、病んでいたいのですか?

 ☑はい □いいえ


 また、あのチェックシートが、瞼の裏に映る。


 2週間後、私はあの病院へ出向いた。忘れて寝坊したり、しなかった。

 2週間前より、行くのが億劫で、怖かった。

 もし、"あなたは病なんかじゃない"なんて言われてしまったらどうしよう。


 そんな不安は、現実のものになった。なって、しまった。


 私は、何の病気でもないらしい。

 鬱でも、躁鬱でも、ADHDでも、解離性障害でも、強迫性障害でも、なんでもない、普通の人だ。


 そんなわけが、あるか。

 だったら、私が今こんなに苦しいのは、出来が悪いのは、至らないのは、何のせいだ。

 私が全て悪いのか?私が甘えていただけなのか?私は、生きていていいのか?

 こんな酷い、ような、頭を、考えをしている私は、病んでいないと、言えるのか?


 いつの間にか、マンションの屋上に足を運んでいた。

 夜の風を、少し、心地よく感じる。普段こんなところには来ないから、新鮮な気分。

 フェンスをゆっくりと乗り越える。実際に来てみると、想像よりフェンスが高いことに気づく。

 フェンスの外側に立って、辺りを見回す。マンションや、少し遠くのビルには、もう深夜だっていうのに明かりがついていて、下を見ればちらほらとだが走っている。

 こんな時間まで、彼らは働いている。それに何の苦痛も感じることもなく、当たり前にそれができる。私には、それができない。


 終わりを選ぶのに、十分な理由だと、思う。


 足を空へ踏み出す。流れに身を任せる。ただ、落ちていくのを感じる。


 走馬灯が実際には流れないことを知った。ただ、流せるほど大事な思い出がないだけかもしれないけれど。


 病じゃないせいで病んで、自ら命を断とうとしている。


 それでも私は、死ぬ間際まで、普通の人間だ。

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