カーディナル・レッドの指先 ~壺中天地シリーズⅠ~【試し読み版】

七緒亜美@壺中天地シリーズ 発売中

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バー『よすが』は椋鳥駅を出てすぐ近くの、ゆめみ銀座商店街に店を構える。

下町情緒あふれるレトロな商店街にある、オーセンティックなバーだ。

本格的なバーだが、決して堅苦しい店という訳ではない。近隣の常連さん達に愛されており、人づてに遠くからやって来るお客さんもいる。

多人数でわいわい呑むというよりは、大人の隠れ家といった雰囲気で、ゆったりとするのが心地よいバーである。

店内は、オーナーである神宮司じんぐうじ怜子れいこさんが海外に赴いて買い付けたアンティークな調度品に囲まれている。

恋人や気の置けない者同士で過ごすのも良いし、優雅な透かし彫りの背もたれが美しいアーム付きサロンチェアに腰かけて、一人で好きな本を読みながらグラスを傾けるのもお薦めだ。

そんな『よすが』でバーテンダーとしてシェイカーを振るようになって、数週間が経った。常連さん達の酒の好みなども大分頭に入って来て、最初の頃よりは肩から力が抜けてきた頃合いだった。

厨房から調理担当の夏目君が「小鳥遊たかなしさーん、ライムとレモンが届きましたよー」とやってくる。

夏目君は、俺よりずっと先にスタッフとして居るのだが、こちらが年上だからと律儀に敬語で接して来る。

そもそも彼との年の差なんて、たかだか三才ばかりだし「敬語じゃなくてもいいですよ」と伝える。

すると夏目君は、朗らかな笑顔で「昔からの癖なんすよお。地元じゃ、先輩にうっかりタメ口で話そうもんなら、木刀か釘打ちバットでヤキを入れられちゃうんで」と言う。

厳しい体育会系の環境にいたのかと思いきや、それってつまりはヤンキーってことだよね……

唖然とそう呟けば、何故か夏目君は照れくさそうに「いやあ、俺も含めてヤンチャな奴が多い地区だったんで」と後ろ頭を掻いていた。

ついでに「年上の人に敬語を使われると、なんか身体がむず痒くなるんで……」ということで、こちらもその言葉に甘えてフランクに接している。

夏目君は、その人懐こい性格で近所のご老人達に可愛がられており、店でも彼より年上のお客さんに人気がある。

「そういえば、本採用テストのカクテルは決まったんすか?」

「うん、怜子さんからは日本酒を使ったカクテルっていう、お題なんだけど……」

「日本酒かあ……前に怜子さんから、日本酒が好きって聞いたことがあるなあ。東北出身だからかな、結構こだわりがあるみたいっすね」

夏目君が言い、俺は思わず低く唸って胸の前で腕を組む。日本酒を使うカクテルは数種類あるが、どれにしようか迷っていたのだ。

「でも、小鳥遊さんの腕前ならきっと合格っすよ!」

そうニッコリと笑みを向けられ、俺もつられて「ありがとう」と微笑む。

その時ドアベルが鳴り、男性が入って来た。初めて見るお客さんで、仕立ての良いスーツ姿は、どことなく弁護士などの堅い職業といった雰囲気を醸している。

彼は素早く店内を眺め回して、カウンター席にやってきた。

「いらっしゃいませ」

おしぼりを置こうとしたのと同時に、彼は「コープス・リバイバーを」と告げる。

コープス・リバイバーは、メニューにはないカクテルだ。そのレシピもナンバー1からナンバー4まであり、それぞれブランデーベース、ジンベースと異なるのだ。

ちなみに、コープス・リバイバーは『死体を蘇らせる』という意味のカクテルだ。

酒棚に目をやり、ナンバー1から4のどれを希望されても材料はあることを確認する。しかし、メニューにないカクテルを出して良いものか逡巡してしまう。

その時、俺の横にいた夏目君が抽斗から何やら取り出して、彼に差し出す。

見ればそれは名刺くらいの大きさの黒いカードで、夏目君は「こちらにどうぞ」とにっこりとする。

銀縁の眼鏡が神経質な印象を与える男性は、唇の端を僅かに上げて、差し出された黒いそれを受け取ると席を立った。

「どうも」

そう言い残し男性は店を後にする。その様子を呆気に取られて見つめる俺に、夏目君が「あっ、そっか! まだ小鳥遊さんには、伝えてなかったっすよね、すみません!」と申し訳なさそうに眉を下げた。

「どういうこと?」

「所謂、裏メニューってやつっすね。コープス・リバイバーを注文されたら、ここに名刺があるんで、それを渡してください」

そう彼がシルバー製の美しい植物模様の彫刻が施されたカードケースを見せる。

「コープス・リバイバーは合言葉みたいなもの?」

「そうです。神宮司オーナーを経由しないと、裏メニューの存在は知りえないっすね」

「その名刺の人を仲介しているってこと?」

裏メニューに黒い名刺……なんだかダークな雰囲気を感じてしまい、ぎょっとする俺に、夏目君はにこにことする。

「そういうことですね。多分、そろそろ店に来るんじゃないんですかね?」

「それは名刺の人が?」

「はい。その時は紹介しますね」

一体、どんな人なんだろう? 夏目君の口調からは、特段ダーティーな人物ではなさそうだが……

「あの、その名刺の人ってどんな人? 男性、女性どっち? あと、何をしている人?」

疑問符を頭の中に点灯させて問えば、夏目君は小さく首を傾げる。

「えっと……男で、いつもなんか眠そうな人っすね。あと……あの人、肩書きは何になるんだろう……占い師、かな? ついでにいつも派手な柄シャツを着てるっす」

眠たげで派手なシャツを着た、職業はおそらく占い師の男? 益々怪しさが増して、眉根が寄ってしまう。そういえば怜子さんは知り合いが多く、政界から警察組織、裏社会にも顔が利くと夏目君から聞いたことがある。

「夏目君、俺の知っておくべき裏メニューって、他にもあるのかな?」

そう恐る恐る訊けば、夏目君は「あります!」と大きく頷いてみせる。

「通称『夏目君の気まぐれどんぶり』っす」

「あ、それは知ってるわ」

常連客にだけ出す、夏目君がその時の気分で作るどんぶりである。気まぐれというだけあって、卵がトロトロの親子丼だったり、野菜と肉を特製たれで炒めたものがのったどんぶりの時もある。

気まぐれどんぶりだけでなく、夏目君の作る料理はどれも美味しくて、お客さんの評判も上々である。

「小鳥遊さん、ストックが切れたものがあるんで、一っ走りして買ってきますね」

裏口に向かう夏目君を「いってらっしゃい」と見送り、店内には俺だけになったその時だった。

示し合わせたように、出入り口のステンドグラスの嵌めこまれた木製のドアが開き、ドアベルが鳴った。そこにいた人物を見て、息を呑んだ。

眠たげな雰囲気を纏い、派手な柄のシャツを着た男である。

これは、噂をすれば何とやらと言うやつではないだろうか? 少し緊張しながら「いらっしゃいませ」と告げれば、彼は僅かに片方の眉を上げてみせた。

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