第19話 二度目のやり直し

「ミツキ・カフェノワールです。よろしくお願いいたします」


 十五歳の私は、王立学園入学初日、ハルトの教室で挨拶をした。


 ハルトがいてシャルがいてユーヴェもいる。ハルトはまだ十五歳の、成長盛りの少年だ。前回のやり直しの流れで、この時のハルトの性格、シャルとユーヴェのメンタリティ、こちらの刺激に対する反応はわかっている。


 どうハルトを鍛えればどの程度に成長するということも理解の範疇だ。


 私は、視線を注いでくる教室の生徒たちには一切かまわず、横に座っているハルトを向く。


「よろしく、ハルト」


 柔和を装って挨拶をした私に、驚いてきょとんとした顔を見せるハルト。このハルトを、私を殺せるように運命の対決の時までに鍛え上げるのがやり直しの目的。


 こんどは失敗しない。必ず成功させる。


 音にならない言葉を胸に刻んで、ハルトの隣に座る。


 私は、強く、強く、自分の想いを抱きしめる。



 ◇◇◇◇◇◇



 今度の三年間は、前とは段違いに苦しく辛い道のりだった。


 ハルトとの厳しい訓練は、自分の想いを達成するための義務というか責務というか使命であってどうということはないのだけれど、なんとはない授業や昼食時の触れ合いの方が格段に苦かった。


 一度目のやり直しの時には、授業や昼食は乾いた砂に水が染み込むように心が満たされる一時、至福の時だった。しかし今回は、そのハルトとの何とはない触れ合いが、皮膚に氷の刃を突き刺され切り裂かれている様に辛かった。


 魔王と勇者とは並び立てない。対決でどちらかが倒れる運命。だから、私とハルトの学園での触れ合いの先には必然の別れが待ち受けている。先の失敗で、それをあらためて思い知らされて……傷口に塩を塗りこめられている様に耐えがたかった。


 一度目はそこまで深くは考えが至らなかった。自分の想いをかなえることに夢中で、それに酔いしれていた。


 でも二度目。一度目のやり直しで失敗して、明確な挫折を経験して、目標に向かうことを素直に楽しめなくなってしまっている自分がいた。


 もちろん、私の心で燃えている想い、ハルトに倒されてハルトには幸せに生きていって欲しいという想いにいささかの揺らぎもない。


 でも同時に、並び立てないと決められている魔王と勇者の運命を……呪わずにはいられなくなった。


 私とハルトには、この学園での三年間しかない。その後は、どちらかがこの世から退場する運命。以前は仕方なく受け入れ諦観していた運命に対する疑念が膨れ上がり、憎悪にまで昇華する。


 辛い。


 苦しい。


 そして、憎い。


 そんな想いが私の中で積み重なってゆく。



 ◇◇◇◇◇◇



「どうしたの? 落ち込んでるみたいに……見える」


 隣から、ハルトが私を気遣って話しかけてきた。


 場所は舞踏会場。王城の大広間だ。


 学園生として招待を受けていた私は白のフレアドレスに身を包んで、黒髪を頭の後ろに束ねている。勇者のハルトも、同じく白の礼服を着ている。


 会場は華やかだった。最上級の酒と料理が並べられ、クラシカルな音楽が演奏される中、この国の王族や貴族たちが着飾って会話やダンスに興じている。


「ミツキ。ここの所、学園でもあまり元気がないから……」


 ハルトの声音が、逆に私の傷口に染みる。


「大丈夫。無問題。舞踏会は慣れてないから、そう見えるだけ」


「それならいいんだ。俺の気のせいなら」


「そうよ。華やかでにぎやかで楽しいわ」


 私はハルトを心配させないようにわざとらしい嘘をつく。


 ――と。


「ハルトくんハルトくん」


 姦しく賑わしい王女様。シャルロット嬢が婚約者のユーヴェインを連れて飛び込んできた。


「ミツキさんと仲が良いのはよろしいのだけど、勇者なのだから他の御令嬢のお相手もして差し上げるのが礼儀ですよ」


「といいながらシャルは、ビュッフェにある林檎のプディングに夢中だけどね」


「ユーヴェは黙ってて。舞踏会じゃないとないメニューなのです! それともユーヴェは、私が林檎のプディングじゃなくて他の殿方に夢中なのが希望なのですか!」


「いえそんなことは……」


「私は浮気しません。貞淑な令嬢なので! ですからユーヴェも他の令嬢方のお相手は禁止ですからね」


「それはもう……」


 二度目のやり直しでもやっぱり尻に敷かれているユーヴェ。そんな私たちの前に、一人の御老公がお付をしたがえてやってきた。


「シャル」


「あ! お父様!」


「国王陛下」


 ユーヴェが片膝を着いて礼をする。


「そのままでよい。それより勇者よ。学園はどうか?」


「はい。楽しく過ごさせていただいてます」


 ハルトは、あまり楽しそうな様子もなく儀礼的に答える。


「それはよい、よい。同い年の令息と親しくするのも勇者の役目。そしてこれから迎える『その折』は、この国の未来を頼むぞ」


「はい。魔王は必ず倒します」


「それでよい、よい」


 ご老体は笑顔を浮かべてご満足の様子。


「そして、そちがカフェノワール家の令嬢、ミツキ……か?」


「はい。ミツキ・カフェノワールにございます」


 私は、音に感情を込めずに返答する。


「……むぅ」


「……?」


「確かに……王国貴族たちの噂に上る……だけのことはある。そち程の見目の令嬢、齢七十となれど、今までに見た事はない」


「ありがたく……」


 欠片も嬉しくなかったが、私は軽く会釈をする。


「私があと二十程若ければ……と呻かせられる、な」


「…………」


「だが、勇者の伴侶になるのは……あまり好ましいとは言えぬ」


 ちりと、沸き起こった不快と煩悶が、私の心を刺す。


「勇者は王国に尽くす『運命』の元に生まれし者。伴侶を持つのはその妨げになるやもしれん」


「そう……ですか」


 なんとかこらえたが、思わず感情を出しそうになってしまった。


 軽く歯を噛みしめ、乱れそうになる心を押さえる。


 別に、この男に黙って平伏する必要性はない。


 言わせてもらえば……。私の現在の能力ならば警備を含めてこの宴会場の人間全てを皆殺しにすることも容易い。


 だがその行為に意味はない。私の本来の目的である『やり直し』を成就することには欠片もつながらない。


 ハルトの幸せな未来には……つながらない。


 なぜって……敵はこの国の王や王国などではないのだ。敵は、勇者と魔王が『運命の対決の時』に戦わなければならないコトワリそのもの。


 この程度の嘲弄で心が乱れるというのは、二度目のやり直しで抑圧が溜まっていて知らず知らずにダメージを受けているのかもしれない。


 だから、この国の王ごときの挑発的な言動に、心ざわめいてしまうのかもしれない。


 私は、その会話相手の元を勝手に去る。


 広間で話しかけてきた、私を口説いてあわよくばその躰を……という下種な貴族たちを袖にして、バルコニーに出た。


 季節は春。心地よい風に吹かれる。そうしていると、一時とはいえ、この辛い二回目のやり直しの中で私の心に溜まった汚泥が……少しだけ溶けてゆくようにも思える。


 と――


「ごめん。国王に悪意はないと思うんだ。俺のせいで嫌な想いをさせてしまって」


 気付くと、隣にハルトがいた。


 私と同じように喧騒を抜けてきた、あるいは私の事を慮って追いかけてきてくれたのだろう。


 そのハルトの優しい目が、私の心に染みる。


 ハルトと交われば交わる程、心を重ねれば重ねる程、逆説的だけど辛さがつのってゆく。


 この二度目のやり直しは、一度目のやり直しの時にあったハルトとのワクワクドキドキを消し去ってしまうのではないかという程の苦汁。


 私は心を引きちぎられるような三年間を、拳を握り歯を食いしばり血をしたたり落としながら耐え――


 再び、運命の大広間に立った。


 勇者に倒される為に。

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