相模国 其の二

第1話 相模国・足柄下郡

 平塚ひらつかを出てから急ぎ足で進んだ。

 小田原おだわらに着いたときには、空の青に薄く橙色が混ざっていた。

 そこからさらに足を延ばし、湯本茶屋ゆもとちゃやまでたどり着いたときには陽が落ちていた。


えにし駿人はやとは宿取ってきてくれよ。俺と優人ゆうとは請負所で様子を聞いてくるからさ」


「……わかった。けどな翔太しょうた、あまり受付の子を困らせるなよ?」


「女性を困らせるなんて俺がするワケないだろ!」


 駿人も縁も疑わしげな目つきで翔太をみている。

 失礼なヤツらだ。


 早川はやかわ沿いにある請負所に顔を出すと、出ている数は少ないものの、やっぱり猪と熊の案件ばかりだ。

 足柄下郡あしがらしもぐん伊豆国いずのくにと隣接していて海も多いけれど、少し奥に入るとこの湯本のように山が多い。

 だから猟師も多く、これまでは猪や熊で困るほどにはならなかったと、受付の女性はいう。


「それが最近では、どちらも群れでいるらしく……猟師のかたがたも襲われて怪我を負わされてしまって……」


「そうなんだ」


「この辺にまで足を延ばしているらしいっていう噂もあって、私たちも怖くて……ねぇ?」


 受付の女性が奥にいるもう一人に声をかけると、盛んに首を縦に振っている。


「そいつら、キミたちは見たことある?」


「いいえ、私たちはまだ……」


 ただ、すぐ脇を流れる須雲川すくもがわと、少し離れた早川に沿って出ることが多いらしい。

 怖がっている彼女たちを安心されられればと思い、須雲川沿いに出る熊の案件を引き受けた。


「優人、どうする? 縁たちと二手に分かれて、縁たちには早川沿いをいってもらうか?」


「いや……相手が熊で複数いるとしたら、二手に分かれるのは危ないだろ」


「そっか……あっ! 平塚の請負所、あそこで櫻龍会おうりゅうかいに連絡入れてくれていたら、会のヤツらが来てるよな? 木ノ内きのうちさんに言って、こっちにも回ってくれるように頼もう」


「そうだな、そのほうが手が増えて一気にかたがつくだろう」


 翔太はすぐに木ノ内へと式神を送り、狐の案件が終わったものから順に早川沿いの案件を請け負ってくれるように頼んだ。

 こうしておけば、翔太たちは須雲川沿いから箱根山はこねやままでのことだけを考えていられる。

 だれが派遣されてきているかはわからないけれど、櫻龍会はそこそこ腕のたつヤツらが多いから安心だ。


 請負所を出ると、外はもう真っ暗になっていた。

 川に沿った街道脇の店はほとんどが閉める準備をしているけれど、夕飯にはまだ少しだけ早い。

 翔太は優人と一緒に、店先で片づけをしている人たちに声をかけて話しを聞きながら戻った。


「遅かったな」


 宿に入ると大広間に通された。

 だだっ広い部屋にちょこんと机が置かれ、もう食事の準備は整っていた。


「なに? 今日は四人一緒の部屋?」


「う、うん。今日はほかの宿も大部屋しか空いてなかった」


「ふうん……」


「箱根山が、や、やっぱり危ないみたいで、た……旅の人も行商さんも、みんな元箱根もとはこねでひ、引き返して、迂回してるんだって」


 すぐに仲居さんがきて給仕をしてくれ、四人で食事をいただきながら話を続けた。

 仲居さんにも聞いてみると、須雲川を上っていった畑宿はたじゅくのあたりで、猟師さんが一人、三頭の熊に襲われているといった。


「三頭かぁ……そりゃあ一人じゃ無理だよな……」


「そ、それに……仲居さんは言わなかったけど……く、食われてるらしいって」


「マジか……」


「顔がわからないくらい潰されていたっていうしな」


 縁のあとを駿人が継ぐ。

 そばにあった衣服で、誰だかわかったそうだ。


「もういいよ……その話しはさぁ……食欲なくなるわ」


 翔太は一気に食欲が失せて箸をおいた。

 猪肉の入った小さな鍋が火にかかっているけれど、この猪だって、なにを食っていたんだかわかりやしない。

 ひょっとすると、どこかで人を食っている可能性だって――。


「あー! もう無理。ごちそうさまでした!」


「なんだよ、翔太。飯はちゃんと食っておかないと、いざってときに力が出ないぞ」


 優人がたしなめるように言うけれど、もはやそんな気分ではない。

 駿人に促されて、仕方なしに白米と味噌汁だけ流し込むようにして食べた。

 縁はまるでなにも聞いていなかったように、すました顔で全部平らげている。


「縁……ビビりのくせによく完食できるな……」


「びっ……ビビりは関係ないだろ……それにボクは食べておかないとしゅ、集中力に影響するから」


「縁はちゃんと自分でいろいろと考えているよな。そういうところ、翔太も見習えよ」


 優人に褒められて照れている縁を、翔太は睨むようにみてから残ったご飯を掻きこむようにして平らげた。

 確かに、食べなかったせいで力が抜けたら困るし、そのせいで符術ふじゅつが破られたなど、あってはならない。

 とはいえ、気分はよろしくない。

 食器をひとまとめにしてから、そのままゴロリと横になった。


「明日、何頭くらい倒せるかな?」


「そもそも何頭でるか、はっきりわかっていないだろ? 縁の式で探りを入れてみてから考えよう」


「そ、それに翔太、木ノ内さんにお、応援頼んだんでしょ? みんなき、来てくれるなら取りこぼしはないよ」


 縁も駿人も優人も風呂から戻るとすぐに眠ってしまった。

 翔太はなぜか、目が冴えて眠れない。


(木ノ内さんが駿河国するがのくにに行けって言ったけど……駿河になにが起こっているんだろう?)


 蔓華つるはなの笑顔を思い出す。

 嫌な予感に余計に目が冴えて、翔太はまんじりともせず朝を迎えた。

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