第5話 相模国・狐案件完了

 駆け込みで札紙ふだがみを買い、翔太しょうたえにしは別々の宿で呪符じゅふを作った。

 いつもはしっかり時間を取って作るけれど、今回はあまりにも急で、仕方がなかった。

 どこかのタイミングで落ち着いて作る時間を持たなければ。


 時折、優人ゆうとが様子をみにきていたらしいけれど、丸二日、それにも気づかないくらいに集中していた。

 書き上げた呪符を束にして、最後に符術ふじゅつを唱えて完成させると、そのまま倒れるように眠りについた。


 夢の中で翔太は熊を相手に符術を使っていた。

 しっかり張ったと思っていた結界が破られ、熊が目の前に迫ったところで目が覚めて、声も出せずに飛び起きた。

 耳の奥に心音がドクドクと響いている。


「……嫌な夢みたなぁ」


 戸塚とつかの請負所では箱根山はこねやまに猪や熊が増えていると言っていた。

 もしも熊の依頼を請け負って、結界が破られることになったら……。


 思わずブルッと身震いした。

 今はもう、以前のように結界を破られるようなことにはならないと思うけれど、実際は相対して使ってみなければわからない。


「焦って作ったせいかなぁ……」


 嫌な気分につい独り言が増える。

 縁はもう呪符を作り終えたんだろうか?

 時計を見ると昼前で、それに気づいたとたんに大きく腹が鳴った。


 みんな今、なにをしているんだろう。

 着替えを済ませて外に出ると、まずは近くの蕎麦屋を探して腹を満たすことにした。

 名前を呼ばれて振り返ると、そこにいたのは縁だ。


「縁、もう呪符は終えたのか?」


「う、うん、今朝終わって、さっき起きたところ」


「じゃあ飯もまだ?」


「うん、し、翔太の姿がみえたから……一緒にいい?」


「当り前だろ。優人と駿人はやとは?」


「二人とも請負所で、は、箱根の状況を聞いてくるって」


「ふうん」


 縁と呪符のことや符術のことを話しながら、さっき見た夢のことを聞いてもらった。

 縁は蕎麦をすすりながら黙って聞いてくれている。


「じゅ……呪符を作る時間がす、少なかったから……だからじゃないかな?」


 今はそう簡単に結界を破られることはないけれど、時間が足りなくて感じていた不安が夢になったんじゃないかという。


「ぼ、ボクなんか、通常の手順で作っても、ふ、不安で夢を見るよ」


「縁は気にしすぎだろ……俺より断然使えるくせに」


「そんなこと……な、ないよ……」


 自信なさげな縁の姿をみていると自分とかぶる。

 周りから見くだされるのが嫌で堂々と装ってみせるけれど、できるヤツを前にすると背中を丸めてしまいそうになることも……。

 そのたびに鍛錬をしたり符術を研究したりしながら、自分を奮い立たせていた。


「……縁」


「うん?」


「頑張ろうな、俺たち」


「そ、そうだね……」


 二人で山盛りの蕎麦を食べながら、互いによく使う符術のことや式の使いかた、呪符の書きかたを話し合った。

 内村うちむらの家の兄弟たちや、櫻龍会おうりゅうかいのほかのヤツらとも話しをすることがあるけれど、縁と話すように砕けた雰囲気にはならないし、詳細まで話すことも少ない。


 翔太にとって、縁はやっぱり少し違う。

 もう一人……縁のように話せる相手はいるにはいるけれど、今はどこにいるのやら。

 優人や賢人けんとが言うには、周防国すおうのくに安芸国あきのくに備後国びんごのくにと上ってきて、今は備中国びっちゅうのくにを回っているらしい。


 向こうも相変わらずで翔太たちと同じ状況らしいけれど、今後、どこかでまた合流するんだろう。

 そのときまでには、今よりさらに腕を上げていなければ、と思っている。


「こんなところにいたのか」


 請負所で聞き込みが終わったのか、優人と駿人が戻ってきた。

 翔太たちのいる四人掛けのテーブルにつくと、同じように蕎麦を注文している。


「箱根山の件、聞いてきたんだろ? どうだったんだよ?」


 翔太が促すと、駿人がそれに答えた。


「ああ。どうも甲斐国かいのくに都留郡つるぐん武蔵国むさしのくに多摩郡たまぐんから、猪や熊が多く下りてきているらしい」


「ら、らしい……って?」


「……群れ、というほどではないけれど、単体でもないっていうんだよ」


「これまでも猪や熊はいたけれど、そこまで頻繁に見ることはなかったのに、急に増え始めたってさ」


 優人と駿人は面倒だと言いたげにそういって大きなため息をついた。

 思わず、縁と顔を見合わせた。

 狐が多いのも嫌だけれど、猪や熊までとなると、ちょっと話しが違うじゃないか。


 呪符を作ったばかりだというのに、箱根を出る前にまた作り直さなければいけない羽目になるのは御免だ。

 いつまで経っても駿河国するがのくににたどり着けないような気持にさえなってくる。


「相手が熊だったら野犬や狐と違って、一撃が命に直結しそうで嫌だよな……」


「ほかにも山はいくらでもあるのに、そう広くはない場所に、本当になんなんだろうな」


 駿人は出された蕎麦を受け取って割り箸を優人にも渡し、蕎麦を手繰りながらずっとみんなが思っていた疑問を口にした。

 本当に、なんなんだろう。


「――太? 翔太?」


 優人に肩を揺すられて我に返った。


「急いで食ってここを発とう。今出れば、夜を迎える前に小田原おだわらまで足を延ばせる」


「……いや、湯本ゆもとまで一気にいこう。できるだけ山に近いほうが情報がとりやすいじゃん」


 最後の一口をすすると大急ぎで支度を済ませ、箱根山へ向かって平塚をあとにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る