第3話 請負所・案件

 四の五の言った癖に、あっさりとお礼の言葉をのべ、頭をさげる姿に拍子抜けした。

 男は土埃を払い、また頭をさげると街へ向かって歩き出した。


「あっ! ちょっと!」


 腰にくくったカバンを探った。

 手持ちの薬は、山で白髪の男にもらった軟膏だけ。

 それでも、なにもないよりはましだろう。

 男はチンピラに殴られて、口もとに切り傷を負っていたのだから。

 呼びかけに振り向きもしない男を追って、その袖口を掴む。


「唇、切れてる。今はこれしか持ってないけど、薬くらいはつけておいたほうが……」


 チューブのふたを開けようとした手に、そっと男の手がかぶさった。

 ハッと顔をあげ、初めて男と視線が合った。


「それは、キミが使うべきものだから」


「あっ……アタシの傷はもうほとんど――」


「街へ行けば宿に置いた自分の荷物に薬もあるし、足りなければ医者もいる。心配してくれてありがとう」


 ポンポンと深玖里みくりの頭をなでると、男はそのまま走り出してしまった。


「ねえ! あんた! アタシと会ったことない!」


 深玖里の声は届いただろうはずなのに、振り向きもしなかった。


(だって……似てたじゃん……)


 白髪の男に。

 でも――。

 人があんなに変わるものだろうか?

 一晩で白髪が黒髪に?


 髪の色も眼の色も違う、雰囲気もまったく違うけれど似ている。

 それに、薬のこと……。


(それは、キミが使うべきものだから)


 空になるまで使えと言われた。

 全部、深玖里自身が使わなければいけないと、釘を刺された気がした。


 街へ戻り請負所へ向かった。

 先に倒した依頼の分を精算してもらい、残った依頼について受付の女性に聞いてみることにした。


「おねーさん、アタシ今日、こいつの居所がどうしても見つけられなくて。もう少し細かい情報と地図が欲しいんだけど」


「どれ? ……ああ、これね」


 女性は地図を出して来ると、カウンターに広げた。

 細い指先で辿りながら依頼書と見比べている。

 その指先が一カ所で止まり、眉間にしわを寄せると、ちょっと待って、と言い残してカウンターの中にいたほかの受付の女性となにやら話しを始めた。


「……でしょ?」


「そうそう、今日はね。駄目よあそこは」


「明日は?」


「今夜中に済ませる、って言ってたわね」


 そんな会話が聞こえたあと、二人はうなずき合い、深玖里のところへ戻ってきた。

 女性はもう一度、地図に向かってペンで山一つ分ほどの円を描いた。

 色の違うペンを取り、山の中腹に位置する辺りにも小さな円を描く。


「ごめんなさいねえ、この獣の出るのは、この辺り一帯でちょっと範囲が広いの」


「ふうん、そうなんだ……」


「でもね、今日、この付近で見たって情報があったようだから、明日はここを中心に見るといいみたいよ」


「そっか、じゃ、そうする。どうもありがとう」


 地図を貰ってお礼を言うと、請負所を出た。

 宿に戻るまでの道を、深玖理はムッとして歩いた。


 受付の女性は嘘をついているか、なにか隠してる。

 小さな円を描いた場所は、今日、深玖理がさんざん歩き回った場所だ。

 獣どころか、人っ子一人いなかった。


 ――なのに、目撃されてるって?


 ふと頭の中に、依頼書を後ろからかすめ取った翔太の姿が浮かんだ。


(もしかして……はじかれた?)


 きびすを返して請負所に戻り、勢いよくドアを開けた。

 中にいた人たちが、驚いて一斉に振り返る。

 カウンターで書類の整理をしていた、さっきの女性も驚いた顔で深玖里をみた。


「あら、さっきの……どうしたの? 忘れもの?」


「あのね、もしかして今日、あそこで誰か仕事してた?」


 注目を浴びてしまった気まずさから、うつむいてカウンターに立つと、小声で聞いた。

 受付の女性は困った顔で答える。


「ごめんね、そういうことは、ここじゃ教えられない決まりなの」


 誰がどんな依頼を請けて、どこでどう仕事をこなすかという情報は、うっかり漏れるとあとでトラブルを招くこともあるからだという。

 それはもちろん、知っている。

 例えば深玖里が大物を請け負ったとして、出し抜こうとして誰かが先回りをしないとも限らない。


 そういうことがないように、詳細な情報は壁に貼られた依頼書だけでは分からないようになっている。

 これで稼ぎを得ようと思ったときに、散々、説明は受けた。


「それはわかってるんだけど……もしかして、知った人がそこにいたのかな、って思って」


「終わった仕事なら、当人同士が話し合うのはなんの問題もないのよね。あとで聞いてみたらどう?」


 受付の女性は優しい口調でそう言った。急に変な問いかけをしたのに、深玖理に対して特に嫌な感情を抱いていないようだ。

 明らかに自分が馬鹿だったのがわかっているから、変わらない女性の態度にホッとする。


「そうする。変なこと、聞いてごめんなさい」


 謝って視線を落とした先に、依頼済みの赤線が引かれた紙があった。

 そこに描かれているのは、山で見た尾が三本ある妖獣だ。


「あっ! そいつ!」


「これ? 今日ね、届けがあったのよ。問題のある案件だったんだけど、無事に済んで良かったわ」


 ショックのあまり二の句が継げない。

 懸賞金の額は、百八十万。

 逃がした魚は、深玖理にとってあまりにも大きかった。


 宿に戻ると湯を浴びて食事を済ませ、床に横になった。

 三つ尾の妖しの賞金額、あれさえ手にできていれば、次の行き先は決まったのに。

 また、遠回りをしなければいけない。


「うーーーーっ!!!」


 枕に顔を突っ伏して、悔しさに声をあげながら足をバタつかせた。

 あのとき、どうしてすぐに緊縛きんばく呪符じゅふを使わなかったのか、それが悔まれてならない。

 怪我なんかしなければ……。


「あ、傷……薬塗らないと」


 部屋の置き鏡を見ながら、背中にペトペトと擦り込む。

 ぎこちない手つきでもちゃんと届いている。

 次は足に、とチューブを握ると、軟膏は爪の先ほどしか残っていなかった。

 全部使い切ったんだ。

 チューブをくず入れに放り込もうとして止めた。

 カバンの奥に無造作に突っ込み、そのまま眠りについた。

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