御山の符術師
光葉雲来
第1話 武蔵国・光葉山
平穏、平和、豊かな国。
欲しいものも食べたいものも、豊かさなんてものは、金さえあれば大抵が手に入る。
なんだかんだで結局は金次第だ。
「おいおい、それじゃあ貧乏人はみーんな不幸だってのか?」
いやいや、そんなことはない。
つつましやかでも笑いが絶えない、腹は減っても飢えるほどではない暮らし。
時に理不尽さに
そいつが普通だと感じているなら、不幸だなんて思いもしないだろう。
「人の世なんてそんなもんだ。上も下も、見りゃあきりがない。自分がどこにいようが、自分が満足してりゃあそれでいいじゃないか?」
それもそうだ。
もちろん、下には行きたかないが、上に行こうと思えば、事と次第によっちゃあそれを叶えることだって可能だ。
生まれて死ぬまでのほんの数十年。
行きたいとこに行きゃあそれでいい。
――
山頂に近い場所にある大きな屋敷が俺の生家。
この御山の付近にも、妖獣と呼ばれる獣が数種類ほど生息している。
幸いにも、村や街では人にいたずらをする程度だから放っておかれているけれど……。
――あれまあ。帰ってきたのかい? ずいぶんと久しいじゃあないの。
「うん、まあね。受け継いだ仕事がやっとこ落ち着いたからねぇ」
――あんた……噂は聞いているよ。嫌な仕事じゃあないか。
「そりゃあ……アンタたちにとっちゃあ嫌だろうけど、人にとっちゃあ大事なもんだよ?」
――ふん……まあいい。それにしても、ちょっと遅かったんじゃあないかい?
「わかっているよ。だからこうして慌てて戻ってきたんだから」
――だったら、とっとと連れ出してやっておくれよ。アタシらはいい迷惑だ。
「迷惑だなんて、そんな言葉がアンタの口から出ることに驚きだ」
俺が笑うと、声の主は不機嫌になったのか、周囲の気配が冷える。
この光葉山の主である、
東山道の北のほうにある山々を治める龍や獅子ほどではないけれど、遠峯も緋弧もなかなかの
どうやら仲が良いらしく、互いに行き来をしているらしい。
どちらの妖獣も、誰かになにかをされようものなら、その力にものをいわせて相手を黙らせるはずだ。
それが「迷惑だ」などと思っているのに手を出さずにいるとは。
――別にあの子どもを嫌いだなんて言っているんじゃあないよ。
――そうそう。世が世なら
「ますますもって驚きだ。今どき、盟約なんて言葉を聞こうとは」
二百年ほど前までは、
もちろん、獣や妖獣を
サワサワと木々が揺れる。
――それはそれ。今はとにかく早く山をおろしておくれよ。
――まったく。オレは二、緋狐は三も取られてしまったんだから。
「……そんなにかい? けどねぇ……そうはいってもまだ子ども……たった一人で旅回りなんぞ、できるものだろうかねぇ……」
――気になるのかい? 心配かい?
――けれど良く考えてごらん? あれには既に五つ、五つもついているんだ。あんたが山を下りたときよりは、よっぽどスタートは安全さね。
「まあねぇ……兄のすることに納得がいかず、袂を分かって御山を降りたときには、俺はまったくの丸腰だったわけだけれど……」
以後、この山へ戻ってくるのは麓まで。
兄の子どもたちの様子を見るためだけだ。
それでも遠く離れていても、風の便りで耳に届く。
兄の妾がまず一人亡くなり、その妾の子は別な妾に支えられていたと言うのに、その別な妾さえ、幾年も経たないうちに亡くなった。
本妻の子と妾の子の二人、誰を次の跡取りにするかと、大人たちはそれぞれ派閥に分かれて睨み合っているそうだ、
――本妻の子である長子は、一番真面目に様々なことに取り組んでいるが、いかせん力が弱い。
――もう一人は一番身体が弱くて寝たきりだ。いよいよと言うときでもなけりゃあ、力なんぞ使えば消耗して危篤に陥っちまう。
――そして
――おまけに……妙な女にたぶらかされて、いいように野心を植え付けられているぞ。
「はぁ~~~~っ……」
思わず大きなため息が漏れる。
こっちも自分が引き継いだ仕事のせいで、ここ数年は身動きが取れなかったとはいえ、放っておいたのはまずかったか。
とりあえずは、うまいこと言いくるめて、我がもとまで自分の意思でやってくるよう仕向けてみよう。
――とにかくなんだ。あれは確かに子どもだけれど、そう心配するほどでもないと思うぞ。
――あぁ、なんせ腕前がいい。それに度胸もある。おまえのところで請け負っている仕事。あれをやらせるには十分すぎる人材だ。
――早いとこ、連れだしておやりよ。これ以上ここであの女に絡めとられちゃあ、あんまりにもかわいそうだ。
今度はさっきよりも強い風が巻き起こり、いくつものつむじ風が木々の中をスイスイと遠ざかって行った。
最後に子どもたちに会ってからもう五年。
あのころより成長しているとはいえ、まだまだ成人まで数年もかかる子どもだ。
連れ出すとなると、兄に見つかればうるさく詰め寄られることは必至だ。
密かに手早く、御山を下ろしてしまうのが一番なのかもしれない。
重い腰を上げたときには、森の中は穏やかな木漏れ日に包まれて暖かく、なにもかもがうまく行くような、そんな気がしていた。
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