第2話 羽前の龍・霧龍

 ここから霧龍きりりゅうの住む羽前うぜんの山はそこそこに遠い。

 人がゆくならば、街道かいどうを通るから殊更ことさらだ。


 迅は幸いにも白狼で、獣奇だ。

 街道など通らずに、山も川も駆け抜けることができる。

 それに人の足よりも速い。


 霧龍の住む山の手前で、いくつかの村や町を通りすぎてきた。

 以前よりもだいぶ廃れてみえるのは、なにかあったからだろうか。

 不穏な空気と嫌な予感に、迅はスピードを上げて走る。


 山に入る前に、樹士王じゅしおうのときと同じように遠吠えでしらせようとした瞬間、正面からものすごいスピードで黒い影がとおり過ぎて、彼方へと消えた。

 今のはなんだろう。

 駆けながらわずかに首をかしげて後ろを確認するも、もうすでにその姿はない。


 スン……と風に乗って漂ってきた臭いに鼻を鳴らす。

 ――血の臭いだ。

 迅は歯ぎしりをして足を速めた。


「霧龍さま――!」


 雪の残る山の麓にある小さな湖に、霧龍が体じゅうから煙のようなもやを出している。

 ほとりにはアナグマや熊たちの死骸が点々と散らばっていた。

 霧龍がゆっくりと迅を向いた。


「……迅か。ずいぶんと久しいな? 樹士王どのは息災か?」


「はい。それより霧龍さま、これは一体……」


「唐突に襲ってきよった。猪や狸たちがだいぶやられてしまったぞ」


 悲しげな表情でポツリとつぶやいた。

 聞けば山の麓の村も襲われ、人々にも大きな被害が出ているそうだ。


(樹士王さまのところと同じか……)


 霧龍自身も、あちこちに怪我を負っている。

 子狸たちがわらわらと寄ってきて、薬草で手当てをしてやっていた。


「黒い大きな影があってな。おまえの気配を察したのか、加勢がきたら分が悪いと思ったのだろう。早々に、逃げていきよった」


 黒い影――。

 さっきすれ違ったそれに違いない。


「その黒い影が熊たちをけしかけているのでしょうか?」


「けしかけているというより、操っているのではなかろうか?」


「操っている……? 樹士王さまのところでは、猿たちがひどく怯えて暴れたと……」


 不穏だな、と霧龍がまたつぶやく。

 妙なやからがなにか企んでいるのかもしれないという。


「ここから去ったのであれば、私は追わぬが……たどり着いた先でも同じことをするのであれば、人にも妖獣や獣奇にも被害がでよう」


 あの黒い影がどこへ向かったかはわからない。

 羽後から羽前へ移動しているとするなら、次は越後えちご岩代いわしろだろうか……?

 ただ、黒い影とすれ違ったとき、すり抜けていった先は、羽後うごだ。


 羽後を抜け、陸中りくちゅう陸奥むつへ流れていく可能性もある。

 まずは羽後へ戻り、雪に相談してみよう。


「迅よ。私はこれより陸前りくぜん古嶺龍こみねりゅうどのを訪ねてみることにする。不穏な動きがあれば、そなたにも報せよう」


「ありがとうございます。私はいったん羽後へと戻ります」


「承知した。そなたのあるじにも、いずれ会おうと伝えてくれ」


 霧龍にうなずくと、迅は来た道を急ぎ戻った。

 山の麓の村を通る。

 霧龍のいうとおりで、人の家はほとんどが壊されていて、無事に残っている人数も少ないようだ。

 ふと見ると、いつの間にか迅の尻尾に子狸が一匹ぶらさがっている。


「おまえ……霧龍さまのところの子狸だな? 一体どうした?」


「はいー! 霧龍さまの命で羽後の様子をみてくるようにと……樹士王さまにお会いしてお話しを伺ってくるよう申し付けられましたー!」


「そうか。おまえ、名はなんという?」


「はいー! まっ……にございますー!」


 まさか子狸がくっついていようと思ってもみなかった。

 子狸は迅の速さに目を回しているようだ。

 振り落としてはいけないと、すこし速度を落として走る。


 途中、黒い影が立ち寄ったのか、血の臭いと住居の焼ける臭いが広がっている集落がいくつかあった。

 嫌な予感がする。

 今はとにかく、一刻も早く雪のもとへ……。

 迅は子狸をかわいそうだと思いながらも、やっぱりスピードを上げて走った。

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