第9話
10月22日 7時12分 (県警・堺からの電話)
ああ、どうも。おはようございます。
あれから、ちょっとわかったことがありまして。お休みになっているかもしれない、とは思ったんですが電話を入れさせてもらいました。
そうですか、寝てないんですか。――ま、そうでしょうな。
いや、わたしは慣れてますから。それに、この電話が終わったら、帰って休むつもりです。あなたも、お体を大事になさってください。
わかったことというのは、二つありまして。一つは、星井京香さんの死因です。直接の死因は、心臓発作ということでした。久地さんの場合と同じですね。ただし、言うまでもなく、心臓発作を引き起こした原因が別にある、と我々は考えています。
もう一つのわかったことというのは、星井さんのスマートフォンの記録についてです。ご家族の了承を得て、すでにスマートフォンのデータは調査中です。その中に、ファイルサイズの大きい録画データがありました。タイムスタンプを見ると、どうやら亡くなる直前に撮ったもののようです。
録画データの中身はすでに見させていただきました。それでわかったのですが、その動画は、あなた宛てだったようなのです。
死の直前に、彼女はあなた宛てに動画を撮ったんです。
それを、見ていただきたい。
そして、果たして意味のあるものなのか、判断していただきたい。我々には、正直言って、どんな意味があるのかわからんのです。
いいですか?
では、データのコピーを入れたUSBを届けさせてもらいます。メールだと、上がうるさく言うもので。
それでは、失礼します。
10月21日 22時54分 (星井京香のスマートフォンの動画)
はぁ、はぁ。
はぁっ――
ふぅ。――少し落ち着いた。
車がエンストしてね。動かなくなっちゃった。色々試してみたけど、駄目みたい。
外は真っ暗で、懐中電灯もどこへ行ったかわからないし―― 手探りじゃ、どうにもならない。
たぶん、山のかなり奥のほうに迷い込んでる。山道を無理に走ったせいで、エンストしちゃったのかも。ふうっ―― オートマでも、こんなこと起こるんだね。
とにかく、落ち着こうと思って。シートを倒して、体を楽にして、動悸を鎮めようとしてる。
ええと―― 説明ね。
教授の家を、飛び出してきたの。怖くて、無我夢中だった。車に飛び乗って必死で運転し、気がついたらこんなところにいた。
電話、したいんだけど、電波が届いてないみたいで。メッセージも、送信しようとするとエラーになる。で、とりあえず動画でも撮ってみるか、と。
ここ、どこなんだろう。山奥、ってことと、森の中、ってことはわかってるけど、それ以外は何もわからないんだよね。もしかして、道を外れちゃったのかな。車、傾いてるみたいだし。
窓の外はどっちを向いても真っ暗で、時々、上のほうでがさがさ音がする。鳥か何かだ、って自分に言い聞かせてるんだけど。森の中って、夜でも結構、音がするんだね。
はぁ――、ごくっ、はぁ――
ぜぇ――
――ごめん。急に怖くなって、外の様子を窺ってた。
動画と言っても、これだけ暗いと何も映ってないよね。記録してるのは声だけか。
今、ダッシュボードの上にスマホを立てかけて、録画してる。声だけでも残して、今の状況を伝えなきゃいけない気がするから。切羽詰まって、とにかく何かしなきゃ、という気持ちに駆られてるだけかもしれないけど。とにかく、起きたことを喋ってみる。
児島君。
観てくれてるかな。
わたしね、教授の家に行ってたの。何か手がかりになるものがあるかもしれない、と思って。教授が持ち帰ったモノの正体がわかるような、何かが。
もちろん、行かないほうがいいのはわかってた。これまでのことを考えれば―― ううん、考えなくても、行っちゃいけないとわかってるはずだった。
それなのに、行ってしまった。
正直なところ、自分がなぜそんな衝動に衝き動かされたのかはわからない。何が、そうしろと囁いたのか。
どうして、それに従ってしまったのか。
わからないし、知りたくないの。知りたくもないことを知ってしまいそうで。
とにかく、あの家に行こう。行って、調べてみよう。そうしたら気持ちが静まるかもしれない。そう思って―― それだけを考えて、教授の家に行ったの。
でも、結局、何も見つからなかった。
というより、途中で中断せざるを得なくなったの。家の外から、奇妙な物音が聞こえてきたから。あれは―― 何かが動き回っている音だった。それで、懐中電灯を点けて、窓の外を照らしてみた。書斎、居間、台所、と順繰りに。
でも、誰もいなくて。
動物か何かの立てた音だったのかな、と思って、安心しかけた。だけど、一応外も見ておこう、と思って。玄関を出て、家の周りを見て回ったんだよね。
で、裏へ回ったんだ。そしたら―― そこに何かがいるのがわかった。
草むらの奥に。音がしたんだ。
するする、って。
地面を這いずるような音。
何かが腹這いになって近づいてくる、そんな音だった。
わたしは全身が総毛立つのを感じ、後ずさった。微かな気配と音だったけど、何かがこっちへ来ようとしているのがわかったから。
後ろを向いて、慌てて走り出した。家の前に停めた車めがけて。バッグや何やが置いたままだったけど、家の中に戻ることなんて考えられなかった。頭の中は恐怖と混乱した考えで一杯で、逃げる、という選択肢以外浮かばなかった。転びそうになりながらも必死で走って、車に辿り着き、ポケットに入れておいたキーで中へ入ったの。同時に懐中電灯を放り込んだはずだけど、どこへ行ったかはわからない。
エンジンをかけて走り出しても、まだパニックは続いてた。
どこへ行くともなく、とにかく早くあの家から遠ざかりたくて、夢中でハンドルを切り続けた。走り出してすぐ、むかつくような気分の悪さを感じはじめた。頭もぼんやりして、自分がどっちへ向かっているのか、麓へ行こうとしてるのか山奥へ行こうとしているのか、それさえわからなくなった。
それで―― 気がつくと、ここにいたわけ。山奥の、森の中、ということしかわからない場所に。
車は動かず、一人ぼっちで、スマホも繋がらない。車内ライトは点くけど、点けるのがなんだか怖い。一体どうしたらいいんだろう。
相変わらず気分は悪くて、頭が重い。息切れと動悸も収まりそうにない。意識も、ちょっとぼんやりしてる。もしかすると、これから徐々に正気を奪われていくのかな。
児島君。
わたし、まだ、帰るつもりではいる。まだ、諦めてはいない。
でも、明かりもなく車を直すのは無理だと思う。かといって、徒歩で山を下るのは危険すぎる。なだらかな山とはいえ、暗闇の中を下まで歩けるわけがない。
だから、とりあえずこの動画を撮り終えたら、もう一度車内ライトを点けて懐中電灯を探してみようと思う。見つけられたら、車を直せるかもしれない。でも、もし駄目だったら――
その時は、研究所のことをお願い。
イベントのこととか、資料のこと。イベントは中止になるかもしれないけど、そうなるならそうなるで、色々やることはあるから。それに、教授の研究室にはラテン・アメリカ研究の貴重な資料がたくさんある。あれは研究所に渡さなくちゃ。すごく希少な小説や、戯曲なんかもあるんだから。
教授の家にも、もちろん未整理の資料がたくさんある。中には、貴重なものや、珍しいものもあると思う。南米関連の入手困難な本や文化的価値の高いものが、きっといくつもあるはず。
だけど、教授の家にあるもののことは忘れてほしい。決して、行こうなんて思わないで。いい?
教授の家にだけは、行っては駄目。
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