復讐の寄生虫

@asakiyumemisi_ehimosesun

第0話『死の薫り』

 ─────とある夏の日…草木の緑と花々の彩りを背景に、ミーンミーンとセミ達が合唱をする昼のことである。

 ここは日本、埼玉県のとある森の中。

 車が一台通れるアスファルトの道が一本伸びている。そこへ、蝉の音と共鳴するエンジンの音が一つ森に響いた。

 その正体は一台の軽自動車である。

 ハッチバック(トランクルームの無い車)で小さく、淡い青色が特徴のその車は、森の中をブルルンと走って行く。

 道は綺麗な舗装とは行かず、車はアスファルトの網目状に広がるヒビを乗り上げる度にガタンガタンと揺れた。

 その小さな車の中には二人搭乗者がいた。一人は運転席に大人、一人は後部座席に8歳の男の子である。

 大人の方は茶色のスーツの上に白衣を着ており、四角いフチのメガネを付けている。

 子供の方は、キラキラと丸く大きい目に、黄色いT-シャツと短パン姿である。

 車が走ること約30分、まもなく二人の目の前には大きな白い建物が現れた。大人の方はそれが目に入ると、運転をしながら子供へ陽気に声をかけた。


「ほぉら見えてきた! あの建物が私の職場、『サカグラ生物研究所』だよ。見えてるかい? じょう。」


 じょうと呼ばれたその子は、声に反応すると前の席の間から顔を出した。


「あれが父さんのお仕事場なんだね! 大きくって白くって、お豆腐みたいなんだね。」

「お豆腐か…ハハハっ! 例えが面白いじゃないか。せっかくの夏休み、宿題の社会科見学でお父さんの研究所を選んでくれたの凄く嬉しかったよ。」


 どうやらこの二人は父と子のようである。

 父親の方には胸に名札を付けていた。その名札には、『酒蔵薫さかぐらかおる』と表記されていた。それはこの男の名前である。

 かおるは妻と子供、後部座席にいる『酒蔵城さかぐらじょう』の三人で暮らしている。生物学で寄生虫の論文による偉業を成し遂げ、晴れて研究所を持つことになったスーパーファザー、今年で31歳である。

 妻を愛し、子を愛し、研究を愛した男の集大成が現在なのだろう。


 研究所に着くと、かおるは車を駐車所へ停め、じょうと手を繋ぎながら研究所内へ入って行った。

 受付で手続きを進めると、その後はじょうと何ら普通のおしゃべりを交わしながら研究所内を歩いた。

 しばらく、じょうの「あれは何?」という質問の度、かおるはニコニコしながら「あれはね〜…」と説明をしていたのだが、次の「あれは何?」で二人は歩みを止めた。

 じょうの指す人差し指の先には、二本の『注射器』があり、それぞれに黒いミミズのようにクネクネと動く何かが入っていた。それは説明されるまでもなく、『何かの虫』ということはじょうも察しがついていた。


「あれはね、寄生虫だよ。それぞれ培養液と一緒に入ってる。」


 かおるは少し真剣な顔と声のトーンで話し始めた。


「あの寄生虫は私が研究し制作した試作品…『エヴォルチオ』だよ。ラテン語で『進化』という意味さ。」


 8歳のじょうにはあまり理解が追いついていないが、淡々たんたんと説明を続けた。


「あの寄生虫は、寄生した宿主の…簡単に言えば、『生物的進化の加速』をさせるんだ。寄生された宿主はその宿主の状況・現状、性格・心理・特技諸々から『どれかに適応した進化』をし、いわゆる『特殊能力』と呼ばれる物を持つことが出来るんだ。」


 じょうはキョトンとしてるが、『特殊能力』を持てるという言葉に反応し「映画みたいだね。」とどうにか言葉を返すことが出来た。


「そう思うのも無理は無いよ。実際出来てしまうんだ。ただ、二匹を打ち込んでしまった場合、身体の中で喧嘩をし、身体を食い漁り死んでしまう…ってこれは子供に話す物じゃないな。」


 かおるは苦笑いで「次へ行こう。」と言い、じょうの手を引っ張った。



 ───ここまでは、父と子の楽しい社会科見学で済んでいた…しかし、ここから悲劇、惨劇が巻き起こされるとは誰も知る由は無かった。


 惨劇は、『一発の銃声』によって始まった。


 不意に二人の後ろから響いたそれは、一気にかおるの脳に危険信号として伝わった。

 そして何を思うことも無く、咄嗟に「逃げるぞ!」とじょうを抱え込み、二つの寄生虫の入った注射器を持ち出して前へ前へと逃げ始めた。

 その数秒後、パァーアーッと赤い光とともに、天井のサイレンが鳴り出した。

 視界が赤く彩られる研究所内、鼓膜を突くようなサイレン音が響き、職員たちの悲鳴や叫声が飛び交う中、かおるは走った。


 走って走って走り尽くして…ようやく、乗ってきた車へたどり着くことが出来た。

 かおるは息切れしてるものの、心を落ち着かせた。子供を失うことも無く、研究所を持つきっかけとなった研究結果を失うことも無く生き残れた、それが安心の素である。

 しかし、車のドアに手をかけようとした瞬間、そんな安心は束の間つかのまだったことに気付かされることになった。


 バンッ!と、先程研究所内で聞いたものと同じ銃声が後ろでまた響いた。

 かおるの扉を開く手は止まった。驚きで止まったのか…助けをおうと手を止めたのか…。

 いずれも違う…かおるは、腹のヘソ当たりが真っ赤に染まっていくのが見えた。

 後ろから完全に撃たれたのだ…痛みよりも、眼からそう情報が入ってくる方が早かった。

 かおるの口からはツーっと血が垂れた。銃で腹を撃たれても吐血はありえない。この血は、腹の痛みに耐えるため、くちびるを噛んでいる為に流れた血だった。


「ツッ……! お前は誰だ……何しに私の元へ来たァ!!」


 かおるじょうを胸から下ろし、痛がるよりも怒りをあらわにして、出血した箇所を手で抑えながら振り向いた。

 その目線の先には、黒い覆面をしたスーツの男がたっていた。その手にはこちらへ銃口を向けられた自動拳銃が握られていた。

 かおるは息子を守ること、それしか頭になく背後へじょうを隠すと、小声で「今のうちに車へ乗れ…」と、息子へ向けボソッと呟いた。

 じょうは涙ぐんだ眼で、本当は父親と離れたくはないが、車へ律儀に乗った。それを横目で見たかおるはどうにか少し安心し、目の前の男へ睨みつけた。


「なんの目的があって来たんだ貴様…息子を危険に犯す奴はタダじゃおけん…!」


 覆面の男は、銃をかおるへ向けたまま話し始めた。その声は、低くドス黒い…かおるはその男が変声機を使っていることがわかった。


「お前の試作したその『寄生虫むし』に用がある。その詳細は知っているからお前は用済みだ。」

「貴様、今なんて……!」


 理不尽にも、そう話すともう一発引き金を引いた。今度の弾はかおるの右肩に命中した。

 このままでは殺される、そうよぎったかおるは銃弾を二発運良く避けた後、車へ乗り逃げ出した。

 しかし乗り込む際、運悪く注射器の片方を落としてしまうが、危機的状況なだけに気が付かずそのまま去ってしまったのは、彼の運の尽きとも言えるだろう。


 必死に運転した。朧つく眼を擦りながら、息子を逃がすため、ハンドルを握っている。

 もう先は長くない…それは勘づいていた。死因は出血死になるだろうことも予想していた。



 ───走ること2時間が経った。近くの大学病院へ車を停めると、かおるは後部座席に向いて左ポケットから例の注射器を取り出した。

 培養液と共に入れられたその寄生虫はうごめいている。

 かおるはその注射器の針を素早くじょうの首へ打ち込み、車外へ空の注射器を投げ捨てた。


「すまんじょう……私はもう命が短い。せっかくの夏休み…遊園地行けなくて悪かったな……私の息子にだけは生き残って欲しい。試作段階なのは嫌でもわかってる。しかし……私の功績と愛する息子を生かすには……これが…。」


 かおるはバタリと頭を下ろした。ガクンと、壊れた人形のように…息を引き取った。

 目の前で父親が死んだ…それはじょうの心に、切り裂かんばかりのショックを与えたことは言うまでもない。

 車内はおろか、駐車所にもじょうの果てしない鳴き声は響いた。それに気が付いた看護師が車まで駆けつけてくるのは数分後の話である。




 ───この日から、じょうの心には、悪への勝手な、自己中な『復讐心』が芽生え始めた。

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