第2話 腹の底から湧き上がるドス黒い感情

  ‥‥落ち着け俺。まずは落ち着こう。震える手をギュッと握りしめて、早くなった鼓動をなんとかしようと自分の胸を叩く。


 確かに伊集院翔の誕生日でパスコードは解かれた。それに先程の伊集院から瑠奈へのLINE。


 ‥浮気を疑うのには十分。だけど一度冷静になって考えてみよう。ゆっくりと深呼吸して自分に問いかけてみる。


 綾瀬瑠奈は‥お前の好きな人は浮気するような人だったか?お前は今までずっと側で何を見てきたんだ?

 

 確かに瑠奈は人当たりが良く、俺なんかより遥かに顔が広い。俺には不釣り合いな美少女で、性格も良くモテる事も知ってる。だけど俺が少しでも他の女子と仲良く喋ったりすると嫉妬するし、少し手が触れただけで顔が赤くなったりする普通の女の子なのだ。


 さっきだってあんなに恥じらいながら俺に身を預けてくれたではないか。


 自分の好きな女の子くらい信じられないでどうするのか。瑠奈は決してそんな事するような人じゃない。


 うん、きっとそうに決まってる。


 大丈夫。どうせ何かの間違いに違いないのだから。


 あはは、冷静に考えたらこんなドキドキして俺は馬鹿みたいじゃないか。


 少し冷静になろうとしたそんな時、ある考えが頭をよぎる。


 瑠奈は浮気をするようなヒトじゃない。だとしたら――


 伊集院に脅されている?


 もしそうだとしたら、優しい瑠奈は俺を気遣って言えなかったのだろう。何でもっと早く俺は彼女の異変に気づいてやれなかった?瑠奈がこんなにも傷ついているのに俺は毎日ヘラヘラ過ごして最低の彼氏ではないか。


 瑠奈、大丈夫だから。俺がお前を下衆野郎から守ってやるから。もはや正気を無くし瑠奈が被害者だと疑わない俺は、脅しの証拠を掴もうと過去のメッセージを見ることにした。


 だが開いた瞬間、無慈悲な現実が俺を容赦なく襲う。

 

《翔くん、今日は楽しかったよ。ありがとう》

《お前も悪い奴だよなあ?優しい彼氏くんいるのに笑》

《意地悪言わないで。大丈夫、彼すごく鈍感だから絶対気付かないし》

《でもお前、俺が言うのもなんだけど影山の事好きなんじゃなかったのか?》

《もうっ!優斗の事は今はいいでしょ!いいの‥どうせ私の嘘告から始まった関係だもん。そこからずっとズルズル付き合ってるだけだし》

《俺みたいなイケメン知ったら戻れなくなったってか?てかお前にはもう俺がいるんだから、いい加減別れろよ》

《いや、別れないよ。優斗みたいな優しくて一途な男子なんて他にいないから。翔くん、それ他の子にも言ってるんでしょ??》


 ‥‥これは何?夢?


 今にも嘔吐物が口から出そうになりながらもスクロールする指は止まらない。


《お前妬いてんのか?まあまだ学生なんだから遊ばせてくれよ。大丈夫、俺が一番好きなのはお前なんだから。てかお前だって俺がいながらまだ影山の事キープしてんじゃん笑》

《‥言われてみたらそうだね。でも約束通り私以外の子と会うのは高校卒業までだからね?私も高校卒業したら優斗とはキッパリ別れるから》

《分かってるって。ありがとな瑠奈。やっぱりお前は最高だ。今すぐまた抱いてやりたいくらいだぜ‥それにしても気の毒だなあ影山は。アイツ、どう考えてもお前の事好きすぎんじゃん?笑 やっぱ早いところ別れてやれって!俺もそこまで鬼じゃねーから笑》

《ダメだよ‥翔くんが約束守ってくれるかもまだ完全には信用してないし》

《おいおい、俺の事もっと信用しろよ。まあ卒業したら絶対影山とは別れろよ?どうせならお前とシてる所見せつけてやるってのはどうだ?俺が好きならそれくらい出来るだろ?》


 それから少しメッセージの間隔が空き、瑠奈の送った最後の文章が俺を奈落の底に突き落とした。


《わかった。翔くんがしたいなら私はいいよ。私はもう、翔くんの事が好きだから》


 そこでとうとう耐えきれなくなった俺は、勢いよくトイレに向かい嘔吐物をブチ撒けた。


 嘘告?卒業したら別れる?そんで見せつけて捨てるってか?これがあの瑠奈?えっ、嘘だろこんなの???


 ‥いや、現実逃避はもう終わりにしよう。


 最初は伊集院に脅されてるんだと思ってた。瑠奈は可哀想な被害者だと信じて疑わなかった。だけどもう疑いようがない。


 俺は瑠奈に明確に裏切られているんだ。


 ただの浮気だったらまだマシだった。だが蓋を開けみりゃあ内容があまりにも酷すぎる。


 要は俺はただの保険クン。用が済んだら解約待ったなしのただの使い捨ての商品。期限付きで主人の寵愛を受けられる程のいい奴隷ではないか。


 こんなの当然一刻も早く別れを告げるべきだ。頭ではそう理解しつつも、瑠奈との数々の思い出が走馬灯のように頭に過っていく。


 確かにこんな物見てしまえば想いは当然揺らぐ。でも付き合って三年目にもなる彼女を‥少なくともついさっきまで大好きだった彼女を簡単に諦めたくない。


 だがさっきの瑠奈の会話を見て何も知らない顔で、彼女と付き合う事なんて流石に出来ない。だから俺は瑠奈に「とても大事な話がしたいから7月28日必ず空けておいて欲しい」と言う事にした。この日は伊集院翔の誕生日で奴も瑠奈に会おうとしていた日だ。


 それでも瑠奈が俺に会ってくれるなら‥‥俺が見た事全てを話して伊集院と別れて欲しいと面と向かって言おう。瑠奈にとって俺は大切な存在じゃなかったんだと思う。だけど俺にとって瑠奈は誰よりも大切な存在だったのだから。言いたい事を言い合って、本当に瑠奈が大切なんだと伝えて、また一からやり直せるならそうしたい。


 瑠奈の本性を確かに見た。付き合ったきっかけが嘘告だったのも初耳だ。それでもこれまでの二人の時間が全て嘘だったとは思いたくない。自分でも馬鹿なのは分かっているが最後の望みに賭けて足掻いてみる事にした。


 7月28日。瑠奈は来てくれるだろうか。


 《ごめんね‥‥私も会いたかったんだけどどうしても外せない用事があって‥‥。夜、行けたら行くね?》


 瑠奈から一通のメール。夜通し待っていたが瑠奈は一向に来てくれなかった。


 7月29日の朝。瑠奈から謝罪と埋め合わせがしたいとメールが来たので家に入れた。


「本当にごめんね優斗‥。大事な話だったんだよね?今、聞いていい?」

「ああ‥俺たちさ‥‥もう‥‥」

「??」


 別れよう、どうしてもその一言がその場で言えず、俺は溢れ出しそうな涙を何とか堪える。まだだ‥‥万が一、いや億が一にも本当に大事な用事があって昨日会えなかったのかもしれない。別れを切り出すならそれを確認してからでもいい。    


「‥‥いや、何でもないよ。まあ座って?お茶でも入れるよ」

「そう?‥ありがとう」


 最後の希望に全てを賭けた俺は、途中で瑠奈がトイレに行っている隙に彼女のスマフォのロックを解除した。




《誕生日、最高の夜だったな》



 ソレを見た瞬間、俺の中で何かが壊れた。


 トイレから戻ってきた瑠奈を力任せに思いっきり抱きしめる。


「あっ‥ダメっ‥優斗ぉ‥どうしたの?‥痛い‥やだ‥本当にもうどうしたの‥?」

「昨日会いたくて会えなかった分、瑠奈を襲いたくなっちゃって」


 離したくない。瑠奈は俺の彼女だ。


 激しい嫉妬心に取り憑かれ、キスをしようと顔を近づけた時――


 ようやく俺は我に返った。目の前でキスを待っている瑠奈の顔が酷く気持ち悪いものに見えてしまったのだ。

 

「どうしたの?優斗??」

「へ?」

「いや‥いきなり身体を離したから」

「あ、ああ‥ごめん」

「本当に大丈夫?キス、しないの?」


 なんで何食わぬ顔で俺のキスに応じれるんだ?


 怒り、悲しみ、嫉妬、嫌悪‥様々な感情がごちゃまぜになって一気に押し寄せてきた。


「ごめん!何か急に頭が痛くなってきたみたいだ。別にそこまで大事な話じゃないし、また今度話そうか。せっかく来てくれたのに、本当ごめん!また頭痛が治ったら連絡する!」

「そ、そう?分かったわ。昨日は来れなくて本当にごめんね?」


 突然顔も見たくなくなり、適当に理由を付けて瑠奈を追い出した。


 ベッドの上で再び泣き崩れた後、何度も自問自答を繰り返す。


 これから俺は、一体どうすればいい?瑠奈への愛情が無くなった事は分かったしこのままやはり別れを告げるか?


 いや――


 ここまで裏切られて馬鹿にされて、黙ったままで本当にいいのか?


 瑠奈と伊集院は、卒業式の後俺を陥れようとしている。


 ならばそれまでの二人のメッセージのやり取りを、全部卒業間近で晒してやるのはどうだろう?騙されているフリをしながら。卒業まで何も知らない優しい一途な彼氏を演じながら。


 裏切られたとはいえ、思い出のたくさんある元彼女に俺がそんな事できるのかは分からない。だが、今は確かに瑠奈の事が憎い。


 そしてそれ以上に伊集院の事がもっと憎い。コイツの全てを何もかもぶっ壊したいくらいに。


 今までに感じた事のない、醜い感情。その日俺は、初めて自分の中にこんなドス黒い感情が潜んでいた事を知った。

 

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