第3話 異界の森
いつまでそうしていたのだろうか。
僕たちはその場で暫く呆然としていたのだけど、ふと気が付くと……妖精たちの姿は消え去っていた。
「消えちゃったわね……」
「ああ……だが、妖精は本当にいた。この目でしかと見た」
「うん。スミカが写真に撮ってなかったら……もしかしたら幻だったのかも、と思ったところだけど。もうハッキリと事実だったって確信できたよ」
三人が三人とも同じ幻覚や夢を見たのでなければ、ね。
僕たちはどこかフワフワした気持ちで今見た光景に高揚を感じたけど、巫さんはそれをよそに神妙な面持ちで言う。
「あれほどハッキリと世界が繋がるとは。本格的に『変動期』が来てるようね。あなたたち、早くお帰りなさい。このままだと本当に帰れなくなるわよ。……いえ、もうあなた達だけの力じゃ無理かも知れないわね」
そう言いながら彼女は緋袴の腰に括り付けていた巾着復路から何かを取り出す。
「これを持っていきなさい」
僕たちに一つづつ手渡してきたのは、紅白の紐に繋がった根付のようなもの。
一見して、観光地のお土産で売ってるキーホルダーみたいな。
その形は……
「……カエル?」
「ええ、『無事
「「「……」」」
……え?
そんな真剣な表情でダジャレですか?
「あら、馬鹿にしたものではないわ。言霊って聞いた事があるでしょう?」
「あ、ああ……そういう……」
っていうか、レンヤはそれで納得するんだ……
「しかし、これだけの神秘を目の前にして……もう帰ってしまうのもな……」
「でもレンヤ、もうすぐ日も暮れるわ。妖精が実在するのは分かったし、帰れなくなるのは困るわよ」
渋るレンヤに、スミカが正論をぶつける。
彼女の言う通りだ。
レンヤの気持ちは分かるし、僕ももう少し調べてみたいという気持ちはあるけど、帰れなくなるのは非常に困るからね。
「……それもそうだな。俺はともかく、お前たちまで危険に巻き込むわけにはいかないか」
『俺はともかく』って、君だって帰れなくなったら困るでしょ。
「話はまとまったようね。そのお守りを持っていても、帰り道に予想もつかないことが起きる可能性もあるから……くれぐれも気を付けて。それと、暫くはここには近づかないようにね。私の方でも対策はするけど……」
「……そう言えば、あなたはどうするんです?と言うか、あなたはいったい……」
そうだ。
これまで何気なく話をしていたけど、彼女の存在も謎である。
格好からすれば千現神社の関係者なんだろうけど……
「私はこの千現神社の巫女。そして、「
レンヤの問いにそれだけ答え、それ以上は有無を言わせない感じだ。
もう本当に猶予がないのだろう。
「……名残は惜しいですが。色々と教えてくださいまして、ありがとうございました」
「「ありがとうございました」」
最後にお礼を言って、僕たちは帰路に着く事になった。
日はかなり傾いて、空が茜色に染まり始めようとしている。
……後から思い返してみれば。
きっと彼女とは近いうちに再び出会う……そう、この時の僕は予感していたのかもしれない。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
巫さんと別れた僕たちは、やって来たときと同じように鳥居をくぐる。
すると、やはり
「やっぱり……この鳥居が境界になってるんだね」
「そうみたいね……不思議だわ」
「全くだな。こんな体験が出来るなんて……二人に感謝しないとな。……まあ、少々心残りだが」
レンヤは嬉しそうでもあり、残念そうでもある何とも言えない表情だ。
気持ちは分からなくもないけど、帰れなくなるのは困るから仕方がない。
そして、スミカと顔を見合わせて苦笑してから僕は石段の方を見た。
すると……
「あ……何か、霧がかかってる?」
「先が見えないわね……」
「不自然すぎるな。これも『世界が繋がる』ってやつの影響なのか?確かに、早く帰らないとヤバいかもな……」
森の中にある急な石段は、数メートル先も見通せないような濃い霧がかかっていた。
今日は快晴で、こんな夕暮れ時に霧が出るような天気では無かったはずだ。
明らかに不可思議な事象に、まだ異変が続いているのだと、僕たちは気を引き締める。
「何が起こるか分からないわ。はぐれないように気を付けましょう」
そう言いながらスミカは僕と手を繋ぐ。
彼女の言う通りだ。
石段は一本道だけど、油断はできないだろう。
「よし、俺が先頭を行く。二とも、足元に気を付けろよ」
そう言ってレンヤが石段を下り始めたので、僕たちも彼から離れすぎないように後に続いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
石段を下り始めてから暫く経つ。
上って来た時と同じくらいには下ったと思う。
と言うか、もうとっくに入り口に辿り着いている頃のはずなんだけど……
「……やはり、彼女の言った通りだな。明らかにおかしな状況だ」
「……このお守り、本当にご利益あるのかしら?」
言霊とかそれっぽいこと言ってたけど、ただのダジャレにしか聞こえないよね……
それでも。
「巫さんは本当に僕たちのことを心配してくれてたみたいだし、僕は信じるよ」
「そうね……あの人、只者じゃなさそうだったし。それに、このカエルちゃん可愛いから気に入っちゃった」
「……可愛い?これが?どちらかと言うと不気味なんだが……」
オカルト趣味の割には、レンヤのセンスはまともだね。
僕も不気味だと思ったし、スミカの感性の方がズレてる気がする。
そんな事を言うと怒られそうだから言わないけど。
「……ま、とにかく。今はコイツを信じて、進むしかないか」
そして再び僕たちは石段を下り始める。
……そろそろ脚がプルプルしてきたんですけど。
変化が現れたのは、それからしばらく経ってからの事だ。
無限に続くかと思われた石段が終わりを告げ、ようやく戻って来た……と思ったんだけど。
「……まだ、ゴールじゃなさそうだな」
半ば呆れと感嘆がないまぜになったようなレンヤの呟きだ。
僕たちの前に未だ出口は見えず。
石段が終われば、本当だったら鳥居があるはずなんだけど、目の前に広がるのは薄暗い森。
鬱蒼と草木が生い茂っているけど、幸いにも(?)石段から続く道らしきものがあった。
「ここを進むしか……ないんだよね?」
「そうでしょうね。虫とかいそうで嫌だわ……」
「はっはっはっ!冒険だな!!」
笑い事じゃないし。
だけど本当に冒険じみてきたなぁ……
ともかく、こうして立ち止まっていても帰れない。
意を決して僕たちは森の中に分け入っていく。
警戒しながら慎重に……
もうすっかり赤くなった陽の光が木立の隙間を縫って差し込んできて、森の中は思ったよりは明るかった。
だけど日が落ちてしまえば、たちまち闇に閉ざされてしまう事は容易に想像できる。
僕たちが持ってる明かりなんてスマホくらいだ。
何とか日があるうちに、ここを抜けたいところだけど……
「……この森。千現神社の森とは植生が違うわ。と言うか、見たことがないものばかり」
「……確か、スミカは花とか木とか詳しかったよな」
実は彼女の家は生花店だ。
小さい頃から花に囲まれて育ち、自然と植物に興味を持つようになったと言う。
その結果、レンヤが言った通り彼女は植物に関しての相当な知識を持っている。
「この近所に生えてるようなものなら、大抵は分かるはずなんだけど……」
スミカは控えめにそう言うけど、彼女が知らないとなると……
「もしかしたら、異世界の植物……なのかも」
「ありえるな」
僕の言葉に、レンヤが同意する。
巫さんは『異世界と繋がる』って言ってたけど、まさに今それを体験しているのだろう。
そもそも、さっきの石段からして既に普通じゃなかったし。
「本当にここを進めば帰れるのかしら……」
「分からないけど、他に道がないからね」
不安を覚えながらも僕たちは前に進むしか無い。
他に道は無いのだから。
そうして更に進むことしばし。
もうかなり辺りは薄暗くなってきていて、流石に僕たちにも焦りが生じていた。
これは、いよいよスマホのライトを頼りにしなければ……そう思い始めたその時だった。
「「「…………」」」
あまりの事態に三人とも絶句して立ちすくむ。
『Zzzzz……………』
僕たちの行く手に立ちはだかるのは、大きないびきをたてて眠る巨大な生物。
全身が硬質な深紅の鱗で覆われたトカゲのような姿。
その大きさは優に10メートルは超えるであろう巨大なもの。
背にはコウモリのような翼が生えている。
眠っているのにも関わらず、その威容に圧倒され身体が硬直してしまう。
当然トカゲなんかじゃないし、それどころかこの地球上の生物ですらない。
だけど僕は、実際に目にしたことなどないにもかかわらず、そいつがいったい何なのかは一目で分かった。
それはつまり……
「ど、ドラゴン……?」
「な、なんでこんなのがいるのよ……」
「妖精がいるんだから、他のファンタジー生物がいても不思議じゃない。しかしこいつは……」
「神社なんだから、普通は妖怪とかじゃないの」
そういう問題じゃないね……
それを言うなら、妖精を見た時点で西洋ファンタジー寄りだったよ。
それよりも……
「道、塞がれちゃってるんだけど……」
そう。
その巨体が唯一の道を塞いでしまっているんだ。
こうなると先に進むためには森の中に分け入るしかないんだけど……
さて、どうする?
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