97話、保険に勝る物無し
「さてと、どっちから食べようかしらね」
とは言ったものの。今は料理に対する食欲よりも、気まずさが勝っている。なので、料理をおいしく食べていきたいのであれば、先にこの気まずさを払わなければならない。
だとすると、食べる順番は決まったも当然。まず、ハルがあまり自信を持てていない、中トロのレアかつから食べるべきだわ。
右手にナイフ、左にフォークを持ちながら、チラリとハルの様子を
一口目は、何も付けずに。二口目で、備え付けのタルタルソースを箸で多めにすくい、カニフライに乗せている。やはりおいしいらしく、幸せそうに微笑んだ。
よし。ハルの機嫌が、だんだん戻ってきていそうね。あとは、さっさとレアかつの中身をハルに見せて、いつもの調子まで戻してあげないと。
どうせ、料理が上手いハルの事だ。この初めて作ったレアかつだって、ちゃんと中は半生になっているはずよ。
「ほら、やっぱりね」
サクサクの衣を纏ったレアかつを、ナイフで一口大に切っていき。フォークで刺して、断面を確認してみれば。
一層目は、カリカリとしたキツネ色の衣が。二層目は、火が通った箇所だと予想出来る、白みを帯びた部分が。
そして三層目に、鮮やかな薄桃色をした、これまた脂が乗っていそうな厚い身の部分があった。
「ハル。あんたが作った、このレアかつ。ちゃんと中身が半生で、おいしそうに出来てるわよ」
「おっ! 本当じゃん、よかったぁ~。刺身って、火の通りが結構早いから、見るのがどうしても怖かったんだよね」
中身を見せながら報告すると、ハルは安堵した様子で肩を下ろし、苦笑い混じりでため息をついた。
これでハルは、安心したでしょう。でも、まだ足りない。ここからは、ハルを喜ばせてあげないとね。
「料理が上手いあんたなら、絶対成功してると思ってたわ。味だって……、う~んっ! サクサクとろとろっ」
サクサクとした歯応えの先に居る、とろけるようにほぐれていく柔らかな中トロよ。異なる二種類の食感を一気に感じるから、なんとも不思議な気分になる。
風味だってそう。衣に含まれた、どっしりとした油が先行し。噛み進めていけば、舌全体を包み込んでいくような、まったりとした濃厚な中トロの脂が、衣の油を絡め取りながら広がっていく。
中トロの脂って、食用油に比べると全然重くないから、思っているよりも一口が軽い。けど、旨味と本体の味が強く出てくるので、一口に対する満足度が高く得られる。
そして一番すごいのが、何も付けずともご飯に合うこと。後味も口の中に留まり続けているから、中トロかつを飲み込んだ後でも、ご飯をグイグイ食べられるわ!
「ちょっと、ハル! この中トロかつ、すごくおいしいわよ。最高だわっ」
「本当? そう言ってくれると、すごく嬉しいよ。ああ~、めっちゃ安心したや。なら、私も食べちゃおっと」
私の素直な意見を聞いて、本調子まで戻ってくれたハルが、ナイフとフォークを手に持ち、まだ手を付けていなかった中トロかつを切り分けていく。
よしよし。これで、私も何の気兼ねもなく、夕食を楽しめるわね。ようやく気まずさを払えたから、視野も料理全体へ注目出来るようになってきた。
中トロかつの上にある、これまた量が多い千切りキャベツ。別皿で用意された備え付けは、見た感じ五種類ありそうだ。
フルーティーで食欲をそそる匂いを感じる、オードソックスなソース。薄く濁った黒い液体は、たぶんわさび醬油ね。醤油本来の香ばしさと、わさび独特の爽やかな香りがする。
ほのかに湯気が昇っていて、濃い琥珀色をした液体の中央に盛られた白い山は、天つゆとおろし大根かしら? 両方共、サッパリとしているので、間違いなく中トロかつと合うはず。
四つ目は、ハルがカニフライに乗せた、ゴロゴロとした具が目立つタルタルソース。そして最後に、塩が単体のみ。
塩って、天ぷらに合うイメージがあるけれども。中トロかつ、カニフライ、共に肉じゃなくて魚介類なのよね。まだ味の想像が付かないけど、なんだかとても合いそうな気がする。
「今日の備え付け、いつもより多いわね」
「そうそう。調べてく内に、色んな備え付けが出てきたから、試せそうな物は全部出してみたんだ」
「へえ、そう。どれも中トロかつに合いそうだから、迷っちゃうわね。ちなみに、出せなかった備え付けって、まだあるの?」
「あるよ。切らしちゃってて出せなかった、ポン酢でしょ? あとは、ゆずこしょうとレモンぐらいかな」
「ああ、なるほど。確かに、酸味が利いた物とも合いそうね」
揚げ物って、後半は油がかさんでいき、どうしても重く感じるようになるのよね。ポン酢かぁ、ちょっと試してみたかったなぁ。
まあ、無いなら仕方ない。あまり言ってしまうと、ハルの機嫌がまた落ちてしまいそうだから、カニフライを食べて話を逸らしてしまおう。
「とりあえず、試すのは後にして。次はカニフライをっと」
……と思ったけど。一本が大きくて重そうなので、箸で持って食べられそうにない。落としたら目も当てられないから、手で掴んで食べるしかないわね。
やはり、私の読みは正しかった。持った感じ、カニしゃぶをした時よりも重くなっている。
ハルは、よくこれを丸ごと揚げられたわね。普通のフライパンじゃ、流石に無理な気がするわ。
「んっふ~っ! すごいプリプリしてるぅ~」
たとえ油で熱せられようとも、まるで衰えていない弾力を持ったプリプリ感。ほのかに磯の香りがするから、中身はズワイね。
風味は、言わずもがな。油に屈せず押しのけていく、やや強く感じるまろやかな塩味。その塩味の奥底から湧き出してくる、キュッと引き締まったきめ細かな甘さ。
衣で風味がぼやけると思っていたけど。むしろ、油が塩味と甘さに香ばしいコクをプラスして、カニしゃぶの時よりも旨味が数段上がっている。
ああ、すごい! 中トロのレアかつよりも、ご飯が爆発的に進んでいく。カニフライを一回頬張れば、ご飯を大口で二杯以上食べられるわ!
「おいひい~っ! このカニフライ、大好きだわぁ~」
「ねえ、メリーさん? レアかつの時よりも、表情がとろけていらっしゃるのですが?」
「ふふっ。保険の役割、ちゃんと果たしてたわよ。このカニフライ、すっごくおいしいわ」
「くっそ~。やっぱ中トロより、カニの方が美味いか~。別の日に作っとけばよかったなぁ」
時すでに遅しと後悔するも、カニフライを頬張り、「うんまっ」と満面の笑みで唸るハル。確かに、ハルの言う通りだわ。
これだけおいしいのであれば、カニフライだけに集中したかったかもしれない。そうすれば、もっと沢山のカニフライを食べられていたかも。
それに関しては、ちょっと残念に思うわ。残る保険のカニフライは、あと一本のみ。この貴重な一本は、最後まで取っておくとして。
今は、多種類ある備え付けで、中トロのレアかつを楽しもう。もしかしたら、カニフライよりおいしい組み合わせがあるかもしれないしね。
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