53話、人間をよいしょする都市伝説

「私、メリーさん。今、なんだか無性にラーメンが食べたくなってきたの」


「分かるよー、その気持ち。急に湧いてくるもんなんだよね。でも、外を見てくだせえ。ラーメン屋に行きたいと思う?」


「まったく思わないわ」


 私とハル、互いにテーブルに肘を突き、手の平に顔を置いた状態で窓の外を眺めてみる。今日も灰色空の機嫌はすこぶる悪く、窓を閉めているのに雨足の音が聞こえてくる。

 相当強く降っているようね。天気予報では、夕方頃に止むとは言っていたけれども。本当に止むのかしら? この雨。


「でしょ? 嫌だよね~、休日の雨って。食欲すら削ぐんだよ? でも、ラーメンって聞いたらだんだん食べたくなってきたや」


 一回電話をしただけなのに、効果てきめんだ。食欲って、相手にイメージさせるだけで伝染していくのね。ああ、また食べたいなぁ。ハルと一緒に食べた、ネギチャーシューラーメンを。


「しゃーない。パパッと作っちゃおうかなー」


 え? パパッと作る? もしかして、麺やスープを一から作るつもりでいるの? でも、ハルならあり得る話かもしれない。


「ねえ、ハル? ラーメンって、作るのに何時間掛かるの?」


「作る時間? う~ん……。麺を茹でてる間に野菜炒めを作るから、十分ぐらいかな?」


「野菜炒め?」


「そっ。具無しじゃ、流石に寂しいじゃん? だから、ちょっと食べ応えがある物をプラスしたいんだよね」


 野菜炒めを乗せたラーメン。容易に想像出来るけど、なんだかおいしそう。ハルは台所へ行ってしまったし、ちょっと覗いてみよっと。

 ニュースがやっているテレビを消し、私も台所へ向かう。まだ明かりが馴染んでいない台所に着くと、ハルは棚の前でしゃがんでいて、中を漁っている最中だった。


「おっ、よかった。ちょうど二袋あった」


 ハルが取り出したのは、『サッポロ皆伝、醤油味』と書かれた四角い袋。あれって……。


「ああ、なんだ。作るって、インスタントラーメンの事だったのね」


「そうだよ。なんだと思ってたの?」


「あんたの事だから、全部一から作るつもりなんだと思ってたわ」


「マジで? それは、ちょっとキツイかな」


 ばつが悪そうに返してきたハルが、緩い苦笑いを浮かべつつ立ち上がり、キッチンの元へ歩き出す。


「まあ、ガチラーメンを作ってみようかなって思った時期はあったけどさ。スープを作るだけで五、六時間ぐらい掛かるって知ったら、そこで心が折れて断念したよね」


「うそっ。スープだけで、そんなに掛かるの?」


「らしいよ。今度、インターネットで作り方を調べてみなよ。ラーメン、スープの仕込み、時間ってな感じでね」


「そ、そうね。後で調べてみるわ」


 スープだけで五、六時間……。今は十二時を過ぎたばかりだから、スープを作るだけで夕方になってしまう。これだと、麺の方も時間が掛かりそうね。

 『サッポロ皆伝』をキッチンに置いたハルが、厚底の銀色鍋を二つと、フライパンをコンロに置き。

 そのまま冷蔵庫に移動して、キャベツを一玉、半分になったニンジン、モヤシやピーマンを取り出した。

 またキッチンに戻り、まな板と包丁を用意して、二つの鍋に水を入れ始めたから、そろそろ食材を切るようね。邪魔にならないよう、横に付いてしまおう。


 ハルの横へ付いた頃には、ニンジンの皮むきが終わっていて、短冊切りをしていた。

 皮の剥き方が綺麗だ。一枚が薄いし、どこも途切れていない。確か、これはかつら剥きってやつね。


「へえ、手際がいいわね」


「ありがとう。そう言われると嬉しくなるから、もっと言って欲しいな」


「かつら剥きが綺麗に出来てる」


「ふっふーん、でしょ? めっちゃ練習したんだ、これ」


 得意気に鼻を鳴らしたハルが、上機嫌に鼻歌を歌い始めた。ハルは、これでも嬉しがるんだ。短冊切りを終えるのも早いし、もうピーマンに手を出している。

 ヘタを切ったピーマンから、びっしり詰まった大量の種を取り、中身を水でサッと洗う。切った断面を下に置いて、上から半分にカット。

 そこから、縦に一口大でカットしていき、更に半分切った。ここまで経過した時間、約十五秒前後。動きに一切の迷いと無駄が無い。相当手慣れている。

 ニンジン、ピーマンの処理を終えると、ハルはキャベツを左手に持ち。一番外側の葉を二枚むしり取り、両面を水洗いした。


「キャベツは二枚だけなのね」


「少ないと思うでしょ? でもね、ラーメンに盛るぐらいの野菜炒めだったら、これでもちょっと多いかな」


「そうなの?」


「うん。キャベツって、意外とボリュームがあるんだよね。だから、間違ってでも一玉全部使おうとはしないでね」


 注意というよりも、同じ轍を踏まないでくれと口にしたハルが、キャベツを一口大の縦長にカットし。

 ピーマンと同じ様に、横から半分に切り。フライパンが乗ったコンロに火を点けて、油を敷いていく。


「あんたは、やらかした事あるの?」


「あるよ。何を思ったのか、キャベツを一玉全部使った野菜炒めを作ろうとしちゃってさ。切り終わって、こんもりとしたキャベツの山を見たら、そこで我に返ったよね……」


 過去の過ちを振り返り、ヒクついた苦笑いを浮かべたハルが、切った食材ともやしをフライパンに投入した後。水が沸騰した銀鍋に、『サッポロ皆伝』の麺を投入した。


「話を聞く限り……。あんたって、今も昔もそんなに変わってなさそうね」


「つい最近、春雨でやらかしちゃったしね。料理の腕は上がっても、中身はそうそう変わらないか」


 「ははっ」と乾いたから笑いを漏らすと、ハルはフライパンに塩コショウを二振り、鶏ガラスープの素、醤油を少量入れ。

 菜箸でかき混ぜながら、フライパンを返して食材を何度も宙に躍らせた。これだけでも、食欲を湧き立たせるおいしい匂いが漂ってくる。やや油を含んだ、香ばしい醤油の匂いがたまらないわ。

 まさか、料理を作っている段階でも、食欲が湧いてくるだなんて。どうしよう。ラーメンっていうよりも、ご飯が欲しくなってきちゃった。


「野菜炒めは、これでオッケー。んで、ラーメンにかやくを入れてっと。後は~」


 三口コンロの火を一気に止めると、ハルは銀鍋に入ったラーメンを、あらかじめ用意していた二つのラーメン丼ぶりに移していく。

 そして、昇り出した湯気を遮るように、出来立て熱々の野菜炒めを盛り付けていった。


「よし、これで完成! どう、メリーさん? 私が料理を作ってる時の姿は? かっこよかったでしょ?」


「手際が料理人のそれっぽかったし、なんだか別人に見えたわ。ちょっとかっこいいと思ったし、見直したわよ」


「マジで? めっちゃ高評価じゃん。あっははは、すっごい嬉しいや」


 ちゃんと褒めてあげたっていうのに。ハルはどこか困惑した様子ながらも、屈託の無い爽やかな笑みを浮かべた。

 ハルの笑顔は、これまで何度も見てきたけれども。あんなに感情が籠もっていそうな笑顔、初めて見たかもしれない。どこか子供の様に、混じり気の無い純粋に喜んでいそうな笑顔を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る