2話、人間からの提案

「夕食?」


「そっ、夕食。唐揚げと味噌汁を振る舞ってあげるから、私に付いてきな」 


 私に拒否権を与えない人間が、隣の部屋へ歩いていく。けど、お味噌汁とからあげを食べられるのであれば、断る理由はどこにも無い。

 黙ったまま付いて行くと、人間はテーブルの上に皿を並べていた。皿の数が多いけど、お味噌汁とからあげ以外にもありそうね。

 期待に胸を膨らませつつ、腰を下ろした人間の対面まで移動する。私も座り、顔を上げてみれば、人間はどこか掴みどころのない表情で私を見据えていた。


「こうやって顔を合わせるのは初めてだね、メリーさん」


「あんたがこっちを向かなかったのが悪いんでしょ?」


「そういや、そっか」


 後頭部に手を当て、緩い苦笑いを浮かべる人間。髪が黒の中髪で、ダルダルのTシャツを着ているから、後ろ姿で男だと判断していたけど……。こいつ、女だったのね。

 服から露出している肌は、全て小麦色をした褐色。眠たそうなジト目。ぽやっとしているけど、整った小顔。

 私を、どこか見下していそうにも見える黒い瞳。そんな男勝りな見た目をした女が、手前に置いていた箸を右手に持った。


「初めまして、私の名前は『春茜はるあかね 月雲つくも』。さあさあ、食べながら話をしようじゃないか」


 マイペースに話を進めていく春茜はるあかねと名乗った女が、からあげを箸で摘み、口を大きく開けて齧った。


「おおー、ニンニクが効いてて美味い。やっぱり大正義だね、ニンニクは」


 私もだんだん食べたくなってきたので、一番前に置かれていた銀のフォークを持った。とりあえず、お味噌汁を先に飲もう。


「ほおっ……。で、話って何?」


「いくつかあるんだけども。とりあえず、私を狙う理由って何なのさ?」


「理由なんて無いわ。適当に選んだら、たまたまあんたになっただけよ」


「あちゃ~。そんな予感はしてたけど、まさか当たっちゃうとはね」


 まるで残念そうにしていない春茜が、大量の白い粒を口の中へかき込んでいく。あの白いのは確か、ご飯という物ね。街中でよく目にしてきたし、あれは分かる。私もそろそろ、からあげを食べよう。

 ご飯、お味噌汁、からあげの他に、細い緑色をした物。これは、キャベツだったかしら? 上にかかっている白い物は、なんだろう? 後は、半分に切った小さなトマト。野菜単品なら、私でもまあまあ知っている。


「っと、メリーさん。唐揚げの次にご飯を食べると、すごく美味しいよ」


「そうなの?」


「うん。私のおじいちゃんとおばあちゃんが、丹精込めて作ったお米だからね。ちなみに唐揚げは、お父さんとお母さんが育てた鶏を使用してるよ」


「へえ、そう」


 料理について興味は湧いているけども、春茜の家族構成については、まったく興味が無い。こいつが語っても受け流してしまおう。

 とりあえず、お味噌汁の次においしいからあげを頬張る。一回齧れば、中から弾けるように飛び出してくる、とてもおいしいサラサラとした液体よ。

 やっぱり、ずっと噛んでいたいおいしさだ。けれども、皿にあるからあげは、数にして十個。やや物足りなさを感じる数量である。一回一回、しっかり味わっておかないと。


 からあげを飲み込んだので、ご飯を食べるべく、フォークで少量すくった。一粒一粒が、天井にある蛍光灯の光を浴びて、艶やかな光沢を放っている。

 特段おいしそうには見えない。けど匂いは、不思議と食べたい気持ちが湧いてくる匂いだ。あまり眺めていると冷めてしまうので、口に入れた。

 二、三回噛んでも、ほとんど味がしなかったものの。噛んでいく内に、深みのある香ばしい甘みがじんわりと強くなってきた。

 しかも、口の中に残っていたからあげの味と、とてもよく合う甘さだ。だったら、ご飯と一緒にからあげを食べたら、ものすごく合うのでは?


「やっぱり、思った通りだわ」


 異なる物を同時に食べたというのに、味が喧嘩するどころか、程よく調和して互いの旨味を引き立てていっている。

 ご飯というのは、単品だけだと今一つながらも、他の料理と組み合わせて食べると、おいしさを倍増してくれる物と見た。あとは、問題の白い物ね。


「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。それはマヨネーズっていう調味料で、キャベツとよく合うからご賞味あれ」


「うっ……」


 黙って白い物を眺めていたら、視界の外から春茜の補足が入ってしまい、思わず体を波立たせてしまった。

 マヨネーズ。どうやらこれも、ご飯同様、他の物と組み合わせて食べる物のようね。フォークですくって舐めてみたけど、まろやかな酸味がある。

 だけど、嫌な酸っぱさじゃない。キャベツのほんのりと香る青臭さを消してくれて、残った甘みとマッチしている。

 そのキャベツも、少し固いけど歯応えが楽しい。小さなトマトもそう。最初は酸っぱさを感じたけど、噛む度に甘みが勝ってきた。野菜っていうのは、口直しにもってこいな物のようね。


「人間って、こんなおいしい物を食べてたんだ。ずるいじゃない」


「ずるい、か。メリーさん、料理に興味を持ってくれた感じかな?」


「まあ、ここは正直に言ってあげる。多少持ったわ、多少ね」


 多少どころか、興味しかない。ずるいっていうのは、心の底から出てきた本音だ。私を差し置いて、こんなにおいしい物を食べていただなんて。

 特に、お味噌汁とからあげ。この二つを用意されたら、その人間は見逃してしまう自信がある。いや、必ず見逃す。そして、次の日にまた食べに来ると宣言するわ。


「そっか、なるほど。よしよし」


 そことなく嬉しそうに、二度頷く春茜。


「ならさ、メリーさん。私からちょっとした提案があるんだけど、聞いてくれない?」


「提案?」


「そう。メリーさんは、もっと色んな料理を食べてみたい。私は願いを叶える為に、もっと長く生き永らえたい。けどメリーさんは、私を殺すつもりでいるんでしょ?」


「そうね。今日はやめとくけど、近いうちに殺すわ」


 キッパリ言い切ってやると、春茜は頬を指で掻きながら苦笑する。


「あっははは、やっぱりね。けど、私を殺しちゃってもいいの? その味噌汁と唐揚げ、二度と味わえなくなっちゃうよ?」


「えっ……?」


 ……こいつ、今なんて言った? お味噌汁とからあげが、二度と味わえなくなる? ああ、そうか。別に驚く場面じゃない。当たり前の事だ。


「それがどうしたっていうの?」


「人間が作る料理とは、まさに十人十色、千差万別でね。作る人によって、味に僅かな違いが出てくるんだ。だから、その味噌汁と唐揚げは、私にしか作れない味なんだよ」


「……は?」


「つまり、もうちょっと詳しく詰めると。私を殺したら、その味噌汁と唐揚げの味は、二度と食べられなくなるってわけ」


 人間が作る料理は、どれも味が違ってくるの? それじゃあ、私が春茜を殺したら……。目の前にあるお味噌汁と唐揚げは、本当に食べられなくなってしまう。


「それにさ。メリーさんが背後に立った時、料理を振る舞った人間って、私以外にいた?」


「……いや、居なかったわ」


 そもそもの話。私をまったく恐れず、料理を出してきた人間って、春茜が初めてだ。もしかして、こいつを殺してしまったら……。


「ふーん、私が初めての人間なんだ。そりゃ光栄だ。だとしたら、私を殺しちゃうと、料理を食べる事すら出来なくなるだろうね」


「うっ……」


 そうだ。こんな類稀たぐいまれなる人間と鉢合わせたのも、これが初めてになる。そして私は、料理の味を知ってしまった。好きになってしまった。色んな料理を食べてみたいと思ってしまった。

 駄目だ。今の私では、春茜を殺せない。このお味噌汁が飲めなくなるだなんて、絶対に嫌だ。

 でも私は、春茜に殺すと何度も言っている。だから、もう引き返す事は出来ない。……どうしよう。


「だからさ、メリーさん。私とゲームをしない?」


「ゲーム?」


「そう、ゲーム。ルールは単純明快。私が夕飯を出して、メリーさんが『美味しい』と言ったら、私の勝ち。その日は私を殺さないで見逃す。それでメリーさんが『まずい』と言ったら、私の負け。その瞬間に殺していい。どう、このゲーム? お互いに悪いルールじゃないと思うんだけど」


 テーブルに肘を突いた春茜が、手を頬に置いて私をじっと見つめてきた。私がおいしいと言えば、春茜の勝ち。逆にまずいと言ってしまえば、春茜の負け。

 なに、このゲーム? ゲームとして、まったく成り立っていない。たとえ春茜が、極上の料理を出してきても、私の気分次第で勝敗が決まってしまうのよ?

 そして、私がおいしいと言い続けてしまえば、このゲームは一生続く事になる。終わりは無い。つまり、私は春茜の料理を食べ放題。心ゆくまで堪能出来る。

 この話、私にとって乗らない手はない。しかし、すぐさま食いついてしまうと、私の魂胆がバレてしまう。ちょっとだけ、自ら置いてしまった立場を理解させてやろうかしら。


「あんた、自分が言ってる事を理解してるの? どれだけおいしい料理を作ろうとも、私がまずいと嘘をついてしまえば、そこでゲームは終了。あんたは死ぬのよ? それを分かってて言ってるの?」


「いいや。メリーさんは、おいしい料理に対して嘘をつけないよ」


「は?」


 即座の反論に、私の視野が狭まり。余裕の表情でいる春茜が、背筋を正して腕を組む。


「味噌汁を飲んだ時は、ほっこりとしたほがらかな顔。唐揚げを食べた時は、弾けた笑顔になって、良い声で『美味しい』と言ってた。心境が顔に出てたし、なんなら口からも出てた。そんな正直者なメリーさんが、嘘をつけるだなんて到底思えないね」


 完膚なきまでに論破してきた春茜が、味噌汁を静かにすする。……こいつ、昨日から私の反応を細々と見ていたわね?

 まあ、そう言い切られるのも無理はない。からあげを食べる前は『とんでもなく不味い』と言おうとしたのに、いざ口にすると、『おいしい』と高らかに言ってしまったし。

 というか私、そんな恥ずかしい顔を何度もしていたのね。これ以上突っつくと、私の醜態を蒸し返されてしまう。悔しいけど、今回は私の完敗だわ。


「さあ、それはどうかしらね。けど、いいわ。受けてあげるわ、そのゲーム」


「おお、本当?」


「ええ。ルールが適用されるのは、夕食だけよね? 時間は、今日来た時と同じ時間でいいかしら?」


「うん、夕食だけ。時間も〜、そうだね。大体夕方の六時ぐらいに料理が完成するから、その前後に来てくれればいいよ」


「そう、分かったわ」


 軽々と受けてしまったのはいいけど。さて、これからどうしようかしらね。今の私では、春茜を殺せない。きっとこのゲームは、春茜が天寿を全うするまで終わらないでしょう。

 せめて、それらしい態度と、いつでもあんたを殺せるという雰囲気だけは出しておかないと。この私が一生負け続けるゲームだなんて、つまらないからね。

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