第8話 ニィト ~はじめての~1

「ハロワィ、ニィト*******!」

「********ケィヤ!?…***、******!**********!」

「*******、******…***************!」

「******、**!******。*******************…!」

「*******!…***、********」

「「**********!」」


 よく分からない言葉で喜びを爆発させる夫婦とは裏腹に、彼らの息子たる嬰児――生後間もない俺は掴まり立ちの姿勢を保つのに必死だった。

(なンッ、だ、こりゃ!長時間正座した後みてーに足の感覚がまるで無ぇ!バランス取ろうにも、身体への命令が上手く伝わって無い感じだ…。赤ん坊ってのはこんなに不自由なのかよ!)


 前世では敏明と呼ばれていた俺が、記憶を保ったまま若い夫婦の子として生まれ変わってから、多分百日ちょっとが経過した。

 多分というのは、生後暫くは俺には転生したという意識が無かったからだ。見ている光景も、まるで映画のように感じていた。

 しかし、ある瞬間に自分が見ているものが現実の光景だと気が付いて以降は、何もかもが実体験であると感じられるようになった。


 俺は今、積極的に現状を把握しようとしている。

 それは、“転生”という突飛な事象への期待があるからに他ならない。俺の知る“転生”は、ある種の超サクセスストーリィなのだ。

 俺が前世で視たり読んだりしたそれらの物語は、夢物語のレベルをはるかに超えて“ご都合主義を極彩色の妄想で塗り固めた”と言ってよいほどに、主人公にあらゆる幸運と成功と勝利が約束されたものだった。


 ある物語では、生まれたときからあらゆる魔法を使える才能があった。ある物語では、常人の何百何千倍の成長速度と成長限界を持っていた。またある物語では、出会う女性や善良な権力者が悉く無条件に主人公を愛し、支援してくれた。


 只人には無い特別なスキル――何ら研鑽を積まずとも達人のような技が繰り出せる能力――を多数保有しているのは当り前。

 中には『鑑定』といって、物や人の名称や真贋、性質を無条件に看破するスキルすらあった。何の知識も経験も無いのに、チラ見しただけで美術館や博物館のキュレーター、超ベテランの面接官のレベルをはるかに超えて見極めるのだから、そのトンデモなさが分かるだろう。


 俺も流石に妄想と現実の区別がついていない人間ではなかったから、あくまで転生物はRLOの合間に物語として楽しんでいただけだった。

 しかし。輪廻転生という大きな奇跡を、既に俺は体験してしまった。チートとも言える能力が転生におまけでついてくることを期待しても、已む無しだろう。

 一刻も早く新しい世界の情報と自分に与えられたかもしれない能力を手に入れる、これが俺の取り急ぎの目標だ。


 そんなわけで、俺は今日もままならない赤子の身体で四苦八苦している。

(クッ、やっぱ歩くのは一朝一夕には無理だな。歩く感覚自体は前世で散々経験して知ってるから、後は地道に筋肉が付くのを待つしかない、か)


 俺は掴まり立ちの姿勢から腰を下ろし、座りながら今度は口をもごもごと動かす。顎と舌の具合を確かめているのだ。

 そう、俺は考えたのだ。情報を早く仕入れ、自分の能力を見極めるために必要なのは何か、と。

 その答えが、身体能力とコミュニケーション能力だった。様々なものを見聞き体験するには必須と言える能力だ。


 意識を取り戻して以降、基本おくるみに包まれて寝ているだけだったが、目や耳から得られる情報はあった。

 この家の中を見る限り家電は見当たらないし、外から車や飛行機の音が聞こえてくることもない。新しい両親がアーミッシュの人々のような信仰を持っていない限りは、ここは近代以前の文明レベルの地域…若しくはそういう世界なのではないか、と俺は推察している。


 仮に、ここが俺が生きていた地球ではなく異世界だとしたら。

 そうでなくともそんな文明レベルならば、身体能力は高いにこしたことは無い。また、他人と無縁で生きていくのも難しいだろうから、コミュニケーション能力も早く身につける必要がある。

 何しろ自分の一挙一動に大げさに反応している両親の言葉さえも、何を言っているのかは分かっていないのだ。尤も、基本は喜んでいるだろうことは声の調子や表情から明らかだったが。


 言葉は分からないなりにずっと聞き耳を立てていたおかげで、新しい親の名前はどうにか分かった。

 互いの呼び名から判断してハロワィとケィヤというらしい。いや、名前ではなく「お前」とか「あなた」に当たる言葉の可能性もあるが…。まあ、時たま訪れる近所の人もそう呼んでいるので、まず名前だろう。

 そして俺のこの世界での名前だが。

 何度聞いても、新しい両親からは「ニィト」と呼ばれている。正直非常に抵抗を感じたが、もう慣れた。まあ前世でも事実ニートだったからな…。


 由無し事を考えつつ、俺は発声練習に勤しむ。

(やっぱり口も舌も上手く動かせないな。こっちも練習するしかないか――ッ!?……)

「――はぁあ……」

 突然訪れたある感覚に、俺は一瞬ビクッと身体が緊張し――諦念による溜息と共に身体を弛緩させた。

 ところで、人間の体には自分の意思で動かせる筋肉とそうでない筋肉があるらしい。前者は腕や足など身体を動かす筋肉、随意筋。後者は内臓など生命を維持するために必要な部分を動かす筋肉、不随意筋だ。

 現在の俺は赤子で、随意筋を満足に動かすことができない。不随意筋による腸の蠕動運動で運ばれた消化物を、随意筋である外括約筋で食い止めることが難しい状況だ。

 うん、……有り体に言えば――漏らしたのだ。それも大きい方を。

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