聖女として誠心誠意尽くしてきたつもりでしたが

朝月アサ

聖女として誠心誠意尽くしてきたつもりでしたが





「ルーティア、堕ちた聖女よ。これより貴様との婚約を破棄し、その罪を処断する」


 建国祭の翌日、若き王アランの冷たい声が、王城の大広間に響いた。

 神剣にて大地を鎮める儀式が無事終わったことへの祝賀パーティは、王の宣言により断罪の場と化した。突然のことにパーティに参加している貴族たちも何事かと動揺している。

 皆、この場で王と聖女との正式な婚姻が発表されると思っていた。


 銀髪碧眼の少女――白いドレスを身に纏った聖女ルーティアは、凛と立ったまま、王を見つめる。臆することなく。


「恐れながら陛下、おっしゃる意味がわかりません。私は十年、誠心誠意この国に尽くしてきたつもりです。神殿にて神竜に祈りを捧げ、神剣を賜って神事をつつがなく行ってまいりました。私に何の罪があったというのでしょうか」


「嘘をつくな! 確かに貴様はこれまで神剣を賜り、大地を鎮め続けてきた。しかしそれは昨年までの話だ」

「何を――」

「今年、本当に神剣を賜ったのは、マリエル侯爵令嬢だということを知らぬと思ったか!」


 場にいる全員に見せるように、寄り添っていた赤い髪の美しい少女の名を呼ぶ。

 マリエルは注がれる視線にこたえるように、恭しく一礼した。


「マリエルが奉納した神剣を、貴様はあさましくも己が賜ったように振る舞った。真の聖女を貶め、神事を汚したのだ」

「陛下、それはあまりにも――」

「それとも誰か、貴様が神剣を賜ったところを見たものがいるのか?」


 ルーティアの言葉を遮り、王は試すように問う。

 ルーティアは声を詰まらせた。

 そして理解した。

 すべては最初から仕組まれていたことなのだと。





 聖女であるルーティアは毎年、民の見守る中、神官たちの立ち会いの下、神剣を賜る儀式を行っていた。

 しかし今年の儀式の場所は神殿前ではなく神殿の中、大聖堂で行われ、立会人もひとりのみ。


「証人もいる。今年、貴様の儀式に立ち会った神官は、貴様は神剣を賜れなかったと証言している」


 最初からそういう筋書きだったのだ。ここでルーティアがいくら主張しても、証人も証拠もない。

 誰もいない。

 ルーティアを守ってくれる人間はひとりもいない。


 ルーティアには後ろ盾がない。

 貧しい北の村に生まれ、聖女の資質があるとわかった六歳の時に両親に売られ、王都の神殿で十年間、聖女として過ごしてきた。

 飢えのない生活。

 神竜の偉大なる力。

 一年に一度、建国祭の儀式のときだけ向けられる、人々からの敬愛の眼差し。


 それらを受けて、この国のために尽くそうと決意した。

 日々祈りを捧げ、誠心誠意、神竜と国に身を捧げたつもりだった。

 その結果が、これだ。


「新しい聖女が現れれば、古き聖女は還俗するのが習わし。しかし貴様は聖女の地位を失うのを恐れ、我らを謀った。私との婚姻が成されるまで、聖女で居続けなければならないと思ったからだろう」


 王は勝ち誇ったように、つらつらと言葉を続ける。マリエルの肩を抱きながら。

 マリエルは王に身を寄せて、涙を流している。口元に密かに笑みを浮かべながら。


「しかし九年間、貴様が神事を務めてきたのも事実だ。本来ならば火刑だが、長年の功績を鑑みて温情を与えよう。城の地下牢への幽閉に処する。そこで生涯己の罪を反省するがよい。何か弁明はあるか」

「…………」


 いったい何が言えるというのか。

 王に逆らえるものはここにはいない。ルーティアがいくら弁明しようとしても、支持してくれる味方はいない。


「ないようだな。愚鈍な女め。衛兵よ、堕ちた聖女――我らを謀りし魔女を連行しろ」

「聖女をそんな手荒に扱うものではないよ、アラン」


 穏やかだが力強い声が、大広間に響く。

 その声を聞いて王の表情が変わった。


「ク、クロヴィス従兄上あにうえ!」







 声の主である黒髪の青年はゆっくりと歩み出て、ルーティアの後ろに立つ。

 クロヴィス皇子は隣国である皇国の皇子であり、アラン王の従兄である。アラン王の母は皇国から嫁いできていた。十年間神殿に隔離されていたルーティアはどれも知らないことだが。


「な……何故ここに」

「何を水くさい。私たちは従兄弟ではないか。去年見せてもらった神事があまりにも美しく、是非もう一度見たいと思ってね。叔母上のご厚意でこの場にも参加できた」


 クロヴィス皇子は優雅に微笑み、ルーティアの前に回り込み、深く礼をする。


「神剣に宿る神気を振るい、大地を鎮める聖女殿。今年の神事も見事だった。王国は今年も安泰だろう」

「あ、ありがとうございます……」


 戸惑うルーティアに、クロヴィス皇子は心配はいらないとばかりに目配せして頷く。

 振り返り、アラン王と向き合う。堂々たる姿で。


「アラン、真偽のほどは如何にせよ、聖女であった女性を投獄とはいかがなものか」

「いやしかし、この女は」

「とはいえ、この国にいれば混乱の元になるだけだろう。ここは私が国に連れて帰り、我が妻としよう」


 この日一番のどよめきが広がる。

 そしてもっとも動揺したのはアラン王だった。


「な、なりません! この魔女は元はただの貧民! 貴方にふさわしくはない!」

「長年神竜に愛された聖女だろう。なんの不足があろうか」

「いや、しかし、それでは――!」


 王は目を見開いて焦り、冷や汗をだらだらと垂らして狼狽する。

 既に聖女でもない罪人の処遇に対しての焦りようではない。


「もちろん、彼女次第ではあるが」

「……私、次第」

「私は君の意志を尊重するよ」


 ここまでくればルーティアも理解していた。

 王はなんらかの目的があってマリエルを聖女に仕立て上げ、神事はルーティアに行わせながら、その功績をすべてマリエルに与えようとしていると。

 聖女の力を失うまで飼い殺し、そして用済みになれば今度こそ消すつもりだと。


「ル、ルーティア、すまない。私がどうかしていた。幽閉は取り消そう。考え直してくれ」


 先ほどの高圧的な態度は何だったのかというほどの低姿勢が、想像を確信に変えていく。

 言葉を取り消されたとして、王の本心はもう明らかだ。

 この場さえ切り抜けられれば、王は更に言葉を翻し、計画を遂行させるだろう。信じられるはずがない。

 ルーティアは初めて己の意志で、選択する。


「クロヴィス様、あなたのお話をお受けします」







 皇国に向かう馬車の中で、ルーティアは向かいに座るクロヴィス皇子に頭を下げる。

 馬車の周囲は少数の護衛によって固められている。


「クロヴィス様、ありがとうございます。これからは誠心誠意、貴方に仕えさせていただきます」

「その必要はないよ。君は自由だ」

「自由とは……どのような意味でしょうか。神剣と竜の加護が目的ではないのですか?」

「皇国は神剣を必要としていない。竜に頼らぬ治世が行われているからね。だからもし君が今後神剣を賜ったとしても、好きにするといい」


 ルーティアは目を丸くする。

 竜の加護が必要のない地があるなんてとても信じられなかった。己の見分の狭さを恥じる。


「では、どうして助けてくださったのですか?」

「去年、君に一目惚れした」

「……あの、本当に?」

「もちろん。他国の聖女をさらうわけにもいかないから諦めたつもりだったが、未練がましく今年も来てしまった。君に会えるのは建国祭の神事ぐらいだからね。子どもっぽいだろう?」


 クロヴィス皇子の心からの笑顔に、ルーティアの緊張が解け、表情が綻んでいく。


「そしてアランが有力貴族との繋がりを強固にしたいがため、恋人の侯爵令嬢を聖女に仕立て上げようと企てているのを知った。来て本当に良かったよ」


 やはり王は聖女を利用するつもりだったのだ。

 すべてを取り上げ、地下に捕らえ、力だけを利用するつもりだった。わずかな自由も誇りも奪って。


 結婚したくなかったのならそう言ってくれればよかった。ルーティアも結婚なんて望んでいなかった。聖女は王族と結婚するという慣習だから受け入れていただけで。


 ルーティアの胸に生まれたのは虚しさと、怒り。何も知らなかった、知ろうとしなかった自分に対する怒り。

 これではこの一件がなくても、王と結婚できていたとしても、不幸な未来しかなかっただろう。


「私は、世間を知らなすぎました」


 ルーティアはクロヴィス皇子と向き合う。己の無知と向き合う。これからの未来と向き合う。


「皇国のこと、そしてあなたのことを教えていただけますか」

「ああ、喜んで」







 その後、皇国で暮らしたルーティアは、幸せで穏やかな時間を過ごした。

 住む土地が変わったからか、ルーティア自身が望まなかったからか、神剣を賜ることはもうなかったが、その身から溢れる神気で皇国に繁栄をもたらした。


 神竜の加護が得られなくなった王国は、大地の乱れを治められずに徐々に衰退し、その原因とされた王妃である偽聖女は処刑された。

 それでも新たな聖女は現れることなく。

 民は逃げ、貴族は次々に皇国に恭順を誓い。

 王国は、花が枯れるように滅んでいったという。





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