第41話 涙の約束

   ○○○

 一眼見た瞬間から理解できた。

 これは夢なんだ、とね。


 三回目ともなればあの濃い紫色のカーテンも見慣れたものとなり、無人の客席の静けさも逆に心地よくなって来る。

 ジーッと擦り付けるような開演の幕上げの合図の音色を奏で上げ、ポツリと照らす光はどこか俺を誘っているようにすら見えて来た。


 そうして本日の舞台が始まる。

 聞くも涙、語るも涙の感動物語が。


「は、はなせぇ!」

「離せぇ? 誰に命令してるんだこのガキ」

「ここは俺たちのシマだぞ。何でも言うことを聞いてくれるママのいるお家とはちがうんでちゅよー? ぎゃはははは!」

 

 舞台は寂れた夜の通り。闇に蔓延る者達が集うこの国の法が適用されない魔界。

 演者は三人。鍛えた身体を覗かせながらもまだまだ幼い犬族ワングスの騎士少年と見た目通りの敵役が二人。


 そんな暗い通りの中心で少年は男達に跪いていた。

 右頬は殴られた跡で真っ赤に染まっており、瞼には涙が浮き出ている。

 そんな少年を男達は下卑た笑みで見下ろしていた。


「おうおう、生意気な眼ぇしやがって」

「負け犬は無様に地面を舐めてろよ!」

「ぐぎゃ…………」


 頭を掴まれ、地面へと叩きつけられる。

 血と砂の味が口の中に広がり舌と唇を傷付けた。


「お前…………達は…………」

「あん?」

「お前達はあの女性を泣かせたんだ! 彼女に今すぐに謝罪しろ!!」

「はあー? ハハハハハハ!!」

「そんな理由で俺たちに喧嘩売ったのか!? こりゃあ最高の芸術だなぁ?」


 事のきっかけは数刻前に彼らが女性にいかがわしい行為をしようとした際に少年が止めに行ったことによるもの。

 少年の尽力により、女性は事なきを得たが彼女は男達により心を傷付け涙を流してしまったのだ。


「その綺麗な服を見るに良いとこのぼっちゃんだろ? そんなペーペーが俺たちに喧嘩を売るなんざ百年はえーんだよ!」

「だけど俺たちは幸運だぜ? お前が喧嘩売ったおかげで臨時収入が貰えそうだ」

「臨時収入…………?」

「お前を拐って、お前のママにお小遣いを貰うんだよ!」


 しかし騎士としてある程度力を付けたとは言え彼はまだまだ幼い子供。体格が圧倒的優位である男達には成す術も無く組み伏せられてしまった。悲しいことにな。


 …………と言うより、彼は増長していたのだ。

『厳しい訓練を乗り越えたんだ。あんな奴らなんて楽勝だ』『所詮は街のごろつき。絶対勝てる』とな。


 増長は油断を生み、油断は技術を奪う。

 その結果はご覧の有り様だ。勢い良くとやらに飛び掛かった少年騎士は無様に地面に顔を擦り付け、えんえんと咽び泣くことになった。

 そして現在はその命すらも危うい状況と成り果てている。


「うぅ…………ぐす…………はなせぇ!」

「ハハハハハ! 必死に動いてるのに腕がびくともしねえじゃねえか!」

「弱っちくて腹が痛くなってくるぜ!」

「………………なら実際に痛くなってるかボクが確かめてみようか」

「は? …………クゲェッ!」


 だがその神は勇敢な少年騎士を見捨てなかった。

 その光景は少年の目には一瞬の出来事に映っただろう。ふと聞き慣れたあの人の声がしたと思ったら自分を見下している男のどてっ腹が凹み、壁へと叩きつけられたのだ。

 叩きつけられた男は当然気絶。そして男が立っていた場所にはこれまた見知った深紅色の髪の少女がまるで揺蕩う炎のように佇んでいた。

 

「なんだテメェは!」

「キミがその手で押さえ付けている子の保護者のようなものだよ。さ、そこの壁で伸びている彼を見ればわかるだろう? 早くその手を退けてくれないか?」

「なめんじゃねえ!」


 激昂した男は少年を持ち上げ、細くて柔らかい首を力強く締め上げる。

 それは明確な人質の証明であり、彼女に対する脅しだった。


「う………………っ」

「一歩も動くなよ、動いたらこのガキを殺す!」

「……………………はあ」


 ため息と共に構えを解く。

 悲しいことたが、彼女が就いている役職とその見た目には大きな齟齬があり、その力量を勘違いされても仕方のないことなのだ。

 そして彼女が発したその声には烈火の怒りが滲み出ていた。それこそ全てを燃やし尽くさんほどの。


 故に男は気付かなかった。息を吐いた彼女の握り拳が白く燃えていることに。


「…………残念だよ」

「…………え?」


 気付いた時には男は大きな放物線を描きながら空を飛んでいた。その手に少年の姿は無く彼は何が起こったのかも理解できぬままこの通りを去り、三軒先にある建物の屋根の一部となってしまった。


衛兵隊ブランコには黙っておくよ。しばらく反省してくれ」

「え、え?」


 側から見ていた少年には何が起こったのか理解不能だろう。

 目にも止まらぬ一瞬の技、それこそ手に触れるまでも無く男が浮き上がる様はまるで起きている時に見た魔術のようだ。


「クレン、大丈夫かい。怪我は…………結構あるね」

「う…………」


 何はともあれ少年の危機は去った。

 が、今まで経験した事のない恐怖体験は少年の心を深く傷付け、その瞳に大粒の涙を浮かび上がらせてしまう。

 

「うえーん、怖かったよぉ。痛かったよぉ」

「ああ、そんな泣かないでくれよ」


 人目を憚らず、そして己が騎士を志す男という事も考えずに少年は泣きじゃくった。

 えんえんと、まるで赤子のように。


「あのね、アイツらが女性を傷付けようとして助けたんだ! でも殴られちゃって…………顔が痛くなって!」

「うんうん、そうなんだね」


 悲しいことにこの時の少女は千の悪人を倒す術を知っているが、嗚咽を漏らす子供のあやしかたは知らなかった。

 しかし彼女は騎士で少年も騎士なのだ。その心構えは進むべき道標となるのだ。


「それは痛かっただろうね。でもクレンは騎士なんだ。騎士たるもの辛い時でも涙は見せちゃダメなんだ。だからね、涙を拭いてくれよ」

「…………うん」


 少年は瞼を赤く染めながらも涙を拭いて立ち上がる。その初々しくも立派な姿を見て、少女は静かに微笑んだ。


「うん、さすがクレンだ。………………いいかい、次に君がピンチになった時はボクがどこからでも飛んできて、助けてあげる。だからもう泣かないようにね。ハートの騎士は絶対に涙を見せないんだ」

「…………うん」


 そうして騎士としての小さな約束を交わし、お互いに頷き合うと二人は軽い足取りで暗闇に染まる通りから…………舞台から去って行った。


 二人の演者が消えると、それに呼応するようにして会場の光も暗転し紫色のカーテンが勢い良く閉められた。

 


 これにて少年の物語の第三幕もおしまい。またの公演をお楽しみに、というわけだ。

 そしてここまで来るともはや様式美とも言うべきか、強烈な眠気が襲って来て、俺はこの無人の観客席で再び眠りに着くのだった。


 少年と少女が交わした涙の約束…………か。







   ○○○

 騎士フゥ・ボーとの問答が終わってから丸一日が過ぎただろうか。

 鉄格子の奥からは透き通るような朝日を覗かせ、冬の薄寒いながらも暖かな陽射しが狭い牢に差し込んでいる。


「………………そういえばここ三日は家に帰ってなかったなぁ」


 流石の俺でも硬い石の上で横になり続けているのも限界が訪れたのか、愛しい我が家のベッドの上が恋しくなって来ていた。

 とはいえ今はまだ雌伏の時。その時が訪れるまではただ静かに待つしかない。


「そういえばマスターが『石の上にも三年』とか言ってたな。はぁ〜、待つとかそんなことより腹が減ったぁ」


 長時間の拘束で精神も限界のようで。我ながら情けない声と共に真っ黒に染まっている天を仰いだ。


 早く、早く、早く、早く。

 心の内で何度も何度も同じ文言を唱えながら満天の青空を揺蕩う雲を眺めていた。


「早く来ないと干からびてしまいますよ。お願いだから………………」

「騎士団だ。故人資料館ライブラリの放火犯の引き渡しに来た」


 その時だった。

 待ち望んでいたその声が牢屋の入口から聞こえて来た。

 そしてトン、トンという軽快な足音を響かせながらはゆっくりと俺の目の前に現れる。


「………………まさかアルアンビーの屋敷に直接乗り込むとはね。流石のボクでも予想できなかったよ。だけど捕まったのは減点だなぁ、その後はどうするつもりだったの?」


 彼女…………我らが頼れる騎士団長様は俺の前に立つと、真っ赤な髪を揺らして微笑んだ。

 俺はその呆れるような声色と共に掛けられた言葉に微笑みを返して応える。


「………………もちろん貴女が助けてくれると信じていました。そしてこうして助けに来てくれました」

「嬉しいこと言うね。そんなセリフどこで覚えたの?」

「もちろん貴女が教えてくれたんですよ………………ニコロ」

「アハハハハ、そんなことより早く出るよ………………クレン」

「ええ」


 頼れる騎士団長の手によって牢は開かれた。

 俺とニコロは互いに頷き合うと、ゆっくりとした足取りでアルアンビーの牢を後にするのだった。




――――――――――――――

※一部内容を修正致しました。

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