第8話 お嬢様はバイオリンがお好き

   ○○○

 ワルツ家の屋敷は歴史の情緒あふれる美しい造りをしている。

 落ち着いた淡い肌色の壁に架けられた窓から差し込む日差しが逸る気持ちを落ち着かせ、綺麗に磨かれた床は一歩進むたびに足音を心地よく響かせ、耳を心地よく刺激している。


「お嬢様は貴方がご挨拶に伺うことを知りません、くれぐれも粗相の無いようにお願いします」

「もちろんです」


 そんな屋敷の廊下を俺は侍女であるマリアンさんと共に歩いていた。


「お嬢様の部屋に入ることは決してしません。なのでご安心を………………おや?」


 そんな時だ。ふと足音以外の別の音が耳にぎったのだ。

 この耳に大きく響くオペラのような高い音色、これは。


「バイオリン?」

「………………」


 ゆっくりと奏でられるバイオリンの音色。その遅いメロディはどこか悲しげな雰囲気をかもし出している。

 しかし奏者の技量がまだ低いのか、ところどころの音が途切れるまだまだ粗いメロディなのだが、その音の中には奏者の意志が確かに込められている。


 しかし何故こんなところでバイオリンの音が聞こえてくるのだろうか。


「マリアンさん、この音は?」

「お嬢様…………!」


 付き添いの侍女であるマリアンさんは、この音を聞いて頭を抱えながらため息を吐くと、どこか焦る様子で歩く速度を早めた。


 お嬢様の部屋へ近づいていくたびに、バイオリンの音量が徐々に大きくなっていく。

 そして部屋の前に着いた頃にはその音色がはっきりと間近に聴こえていた。


 演奏は未だに終わっていない。

 今はちょうど曲が転調しようとしているようで、暗い悲哀のメロディから明るい歓喜のメロディに変化しようとしていた。


「こちらがお嬢様のお部屋です。失礼ですが扉越しでのご挨拶を願います」

「…………あの、演奏を止めなくて大丈夫なのですか?」

「ええ大丈夫ですよ。お嬢様には良い薬になりますので」


 さらっと恐ろしいことを言い放った彼女の表情に思わず鳥肌が立ってしまう。

 その顔は笑っていた。怖いぐらい満面の笑みだったのだ。

 彼女はとても恐ろしい女性だ。まるで天使のような悪魔だ。その顔を見て俺は決意した。この屋敷にいる間は彼女に逆らうのは控えよう、と。


 そんなことを考えつつも、俺は扉の前に立ち軽くノックをした。

 が、演奏に夢中なお嬢様は扉の音には気付かずにバイオリンを弾き続けている。


「………………」

「………………」


 マリアンさんに目配せすると、彼女は力強く頷いた。どうやらやってもいいようだ。

 それなら容赦なく。俺は少しだけ息を吸いながら扉の奥にいる音楽家へ向けて声を張り上げた。


「お一人のところ失礼します」


 今まで聞こえてきた音色がピタリと止まった。どうやら気付いてくれたようだ。

 返事が返って来ないのは、おそらくワルツ卿があらかじめ関わらないようにと彼女へ言い含めたからだろう。


「急な訪問をお許しください。私は本日よりワルツ家へ派遣されました、ダリアン騎士団のクレイング・ラーブルと申します」


 大袈裟に声を響かせながら自己紹介をする。

 お嬢様のことはわからないが、扉の奥からは物音一つ聴こえて来ない。

 この様子を鑑みるに、どうやら彼女は予想外の物事に対しても父親の言いつけを守れる優等生のような人物なのだろう。


「ワルツ卿から事情は伺っています。二年の間ですが、騎士としてあなた方をお守りすることを誓わせてください」


 胸元でクロスを切る騎士団式の敬礼をする。

 お嬢様には見えないだろうが、これも騎士団として最低限の礼儀というやつだ。

 我ながら清廉な騎士そのものだ。

 

「それでは私はこれで失礼します」


 そうして挨拶を済ませた私はマリアンさんと共にわざとらしく足音を響かせながら部屋から去った。


 しばらく歩き、エントランスに着いた時、おもむろにマリアンさんが足を止めた。


「お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした」

「いえ、大丈夫ですよ。お嬢様、バイオリンがお好きなんですね」

「…………そうですね。まだまだ未熟ですが」


 露骨に視線を逸らすマリアンさん。何か隠しているのだろうか。

 とはいえ、今はまだこの屋敷に訪れて一日も経っていない。仮に彼女が何か隠していたとしても、深入りするのはまだまだ早すぎるだろう。


「それでは、屋敷をご案内させていただきます」

「はい、よろしくお願いします」


 そうしてマリアンさんの案内のもと、この広い屋敷の中を見て回った。

 ピアノが置いてある講堂に清潔で整った調理場、応接室に侍女の寝泊まりする宿舎、そしてテラスと様々な場所を見て回り、再びエントランスへ戻って来た。


 長く歩き回ったからか、もう夕方の時間になっていた。


「これにてお屋敷の案内は終わりです。明日から本格的に屋敷の警護を行っています」

「わかりました。それでは私はこれで失礼しますね」


 こうして貴騎相関の儀の一日目が終わりを迎えた。

 俺はマリアンさんと別れ、人通りの少ない道を歩いて帰路へ着く。


 青色とオレンジ色の混ざった空がとても眩しかった。

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