1.終わりから始まる物語
北欧神話。
それは古ノルド語によって綴られた「エッダ」に語られる古き神々の詩(うた)。
かつて、炎の巨人と霜の巨人が神々に戦いを挑み、世界は炎に包まれ海中に没したという。
神々の世界すらも終焉したその世界は、今となっては物語としてのみ、世界に残る。
神々の消えた世界の物語を一部の人間は「失われた神話群」と呼ぶ。
「消えたんじゃ?」
「生き残りがいるんだわ」
「信仰がないとカミサマ生きられないんじゃ?」
オレは今日も東京都在住の魔界大使の公館で理解不能な事態に巻き込まれている。
今時の外交官の仕事は多岐にわたるが、こうして神魔関係の大使と会ってそれぞらの神様や魔界のヒトたちと人間の繋ぎを取るのが主な仕事だ。
ダンタリオンは魔界の大使。
今話しているのは「北欧神話」の神様の話。
「そうだなー信仰っていうかなんていうか。お前、北欧神話ってどこまで知ってる?」
「オレ? うーん。名前くらいか? けっこうアプリとかマンガとかそっち系でそれっぽいCM見るし、一木なんかが詳しいんじゃね?」
「シノブはどうだ」
天使襲来による世界の断絶を境に、日本に神魔が現れて2年と少し。
外国人にとってかわって街歩きをする観光神魔の姿にも、すっかりみんなが慣れた頃。
けれどそれらは「現時点で宗教として存在を現存させているヒトたち」であって、人の信仰を失った神様たちは存在しないという話。
北欧神話は世界にとって「物語」であって神様たちは存在していないはずだった。
ダンタリオンはいつも一緒に訪問をしている二人……護衛の司さんと情報局の忍を前にそう話題をふった。
「主神はオーディン。隻眼の知恵者とも言われていて、基本北欧神話は巨人と神様たちの争いと、争いながらも共存する姿が描かれていますよね。トリックスターのロキは神族と巨人のハーフだったかと」
「なんで詳しいの? 忍」
「さも本を読んだかのように語ってみたけど、名前だけはサブカルに溢れまくってるから。ゲームでもラノベでも」
やっぱりそっちか。
オレが知ってるくらいなんだから、気になることがあったら調べる忍はもっと詳しいのは当たり前と言えば当たり前だったかもしれない。
「秋葉が一木くんの方が詳しいんじゃ? って言った」
「そうだけど。中二満開な一木は絶対知ってるだろうなと思ったけど」
「つまり、それだけ日本国民には情報が行きわたっているということか?」
ぽつ、と司さんの一言。
日本人の多くが知っている。サブカル方面で特に知名度が高い。
超ミーハー気質な人たちも知っている。
つまりそれは。
「また日本人が復活させたパターンかぁぁぁぁ……!」
いつもは胸中に止めておく叫びも夏の暑さに負けて、今日ばかりは声になった。
オレは顔を両手で覆って訳も分からない敗北感を味わっている。
「信じる力=(イコール)信仰ならまぁわかります。ほかのカミサマたちが実在して都内に住んでる時点で、あの神話の神様もいるんじゃ!? とかこの神様実在したらかっこよくない!? みたいなことになってくるのもわかる」
そうなのだ。
現代日本では、異国の神様たちが具現化してふつうに街を歩いたり、ダンタリオンのように定住しているヒトも多いから、信じる力、存在の肯定力が実はすごいらしい。
七つの大罪なんて人間の作り話から新種の悪魔が生まれてしまったこともあり、なんというか、無自覚に人間はいろいろなものを生み出したりしていることがよくわかってきたこの時代。
未だ持って人類は、現在進行形でいろいろ作り出したり復活させたりしている模様。
「でも元々神々の黄昏(ラグナロク)のあとに生き残った神様もいたんですよね?」
「お、博学だな。その通りだ」
ダンタリオンはいつもの忍の返しを小気味よく感じるのかちょっと面白そうに口の端を吊り上げて金の瞳をやや細めると、薄い笑みを浮かべた。
北欧神話はカミサマの世界が滅んで終わり。ちょっと異色というか神話上で滅ぶというのは珍しいパターンなので、オレも前に聞かされたそれを覚えていたが……
顔をあげ、なんとか持ち直すと話は進んでいく。
「数人の神は生き延び、神々の世界の終焉を見届け、そして新しい世界が人間により始まるという感じだが、そうなると当然生き延びたと言われる神の存在確率は高くなってくる」
「神話として失われてたってとこは」
「話が現在進行形で伝わっていて、生き残りがいる以上、そいつらが動き出しても何ら不思議はないだろう」
オレは何かを否定したかったのだろうか。実在していたら来るかもしれない。それが当たり前、みたいな結論を目の当たりにしていろいろ諦めた。
北欧の神様は何人かいる。今、現実はそれだけだ。
そして重要なのは。
「それで、その神様が日本に来るって?」
「そう」
「来たらオレが観光案内しろって?」
「そうその通り」
仕事である。
これは仕事の話なのである。
「なんで魔界の大使がそんな話持ってくるんだよ……?」
「北欧のやつらは大使館がないから」
きっぱり。
もっともオレが聞きたかった疑問は、たった一言ではじき返された。
大使館というのはそもそも。
本国と日本の情報をやりとりしたり、本国から来た人に何かあった時守ったり、日本国と連携したり、いろいろな機能がある。
神魔がおらず人間の大使館があちこちにあった時の機能は知らないし、ダンタリオンが日常何しているのかも知ろうとも思わないが、とにかく大使館のない外国に行くというのは、たぶん人間でも勇気が要ることなのだろう。
それも霊的次元も含めて世界戦争が起こっているような時に、情報も何も得られない状況で旅行に行くのはふつうではない。
「大使館がないから、わざわざお前に繋ぎまで取って日本に来たいの? そのヒトたち」
「理由は他にもある」
もったいぶっていそうな口ぶりに、オレたち三人の視線が向いて。
ダンタリオンは静かにその最たる重要な理由を告げた。
「夏だからな。あいつらは凍てつく大地と冬を生きて来た神。……灼熱のサマーバケーションを体験してみたいらしい」
オレの関わる神魔たちは、そんなのばっかりか。
かつて怒れる魔王、ベレト様を渋谷だのアメ横だのに案内して死ぬほどの心地を味わったオレは、心の底から現実をしたくもないのに反芻していた。
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