賢者は借金返済のために奔走す

夏菜しの

01:プロローグ

 町のはずれのさらにはずれた場所。

 町の門から徒歩で十分は掛かるだろう小さな森の入口には、とても不思議な様相の工房があった。

 最近突如に現れたその工房には、一人の〝魔女〟が住んでいると言われている。


 その〝魔女〟の見た目はわずか十七歳ほどの少女で、普通の感覚を持っているのならば、誰もが彼女を美少女と呼ぶことだろう。

 彼女は腰まで真っ直ぐに伸びた黒い髪と、同じく黒い瞳を持っている。人族には珍しい黒髪黒目も彼女が〝魔女〟であるならと納得される。



 それを疑う者がいないのか?

 見た目がいくら可憐であっても、彼女は噂通り〝魔女〟である。その工房が見える町では、彼女の実力を疑う者など誰も存在していない。

 そう、彼らはほんの二ヶ月前に驚くべき魔法を見せられたのだから……







 樹の洞の中に小屋が出来たのか、それとも小屋があった場所に樹が生えたのか。齢百年ほどの巨木に抱き込まれる様にその工房が存在していた。

 巨木の前には小さな庭が、そこには家庭菜園の畑があり、収穫を待つ野菜などが見て取れる。

 その工房の主たる少女の名前はシャウナ。

 町で噂の〝魔女〟それが彼女の事であるが、彼女は噂の通りの〝魔女〟ではない。実のところ〝魔女〟よりも希少な〝賢者〟であるのだが、それが人に知れるには、まだまだ先の事となる。




 ここは表に面した工房のカウンターではなく、その裏面、つまり居住スペース側。

 丸いテーブルに真剣な表情を見せて座っている少女が居た。

 彼女の正面には、何枚もの書類を手に何やらせっせと手を動かしては、紙に数字を書き込む初老の執事服の男性が座っている。白髪の執事の右眼にはモノクロが掛けられており、その奥の金色に光る瞳はやはり真剣だった。


 その少女の左隣り。

 白銀のやや長い髪の美形の青年が面白くなさそうな表情で座っている。

 端正な顔にある口は不満げにへの字、そして手元で弄ぶ小振りの瓶を見つめる深い青い瞳には静かな怒りが見て取れる。

 ここにいる誰もが、彼が怒っている事に気づいているはずだ。


 最後の一人は彼女の右隣り。

 短く切った赤茶の髪がつんつんと跳ねた緑の瞳の戦士風の青年。

 彼が浮かべる表情は愛想笑いだろうか、初老の執事を見て、正面の白銀の青年を見て、最後に美少女を見て、へらりと笑う。

 どこからともなく彼の『居心地悪いわー』と言う心の声が聞こえてきそうだ。



 しばしの沈黙。


 初老の執事が一枚の紙を持ち上げて、上下に視線を動かす。

 最後の確認であろう、それに反応した三人がそちらに視線を向けて、ゴクリと息を飲む音が聞こえる様な気がするが聞こえることは無く、

「終わりました」

 ここでやっと美少女がゴクリと息を飲む。


「そ、それで……?」

 やや震える声で美少女が問い掛ける。

「はい、では申し上げます。

 お嬢様の今月の稼ぎは、青銅貨四枚となりました」

「「おぉ~」」

「チッ」

 一人だけ舌打ちしたのはもちろん白銀髪の青年だ。


「えーなんで舌打ちなの!?

 二ヶ月目で初めての赤字脱却! ついにお金が増えたんだよ。むしろここは喜ぶべきところでしょう」

「シャウナよ、お前はそれを本気で言っているのか?」

 白銀髪の青年にギロリと睨まれて気圧されるシャウナ。


「まぁまぁサイラスさん、シャウナさんの言う通りですよ。

 初めて利益が出たんです、来月また頑張りましょう!」

「うぅイーニアス~、有難う~」

 そう言いながらよよよ・・・とイーニアスにすり寄る仕草を見せるシャウナ。


「チッ。おいキーン、こいつらに現実を教えてやれ!」

 目の前で、くだらない三文芝居を見せられたサイラスは舌打ちした。


 突然話を振られた初老の執事キーンは、ジッと金色の瞳で主の少女を見つめると、

「分かりましたサイラス様。

 では僭越ながら、お嬢様の借金の金額は金貨にして二枚でございます。返済期限までは当月で、あと十ヶ月となりました。

 今月の稼ぎにより、青銅貨四枚を得ることが出来ましたが、月々の生活費により消費される金額は、青銅貨で換算しますとどれだけ節約しても三百枚ほどが必要でございます。

 従って翌月の不足額は青銅貨二百九十六枚ほどでしょうか?

 なお借金の金額を青銅貨で表しますと……」

「もういい!!」

「ついに現実が見えたか?」

 不満げな表情を崩さず、サイラスが問い掛けてくる。

「最初から見えてるもん!!」

「ならば良い」

「厳しいですね……」

 イーニアスが呟いたその言葉は、借金の返済期限なのか、それともサイラスの態度の方か?


 どうやら当のシャウナには返済の方に聞こえたようで、

「そりゃそうだよ。金貨二枚なんてたった一年で稼げるわけが無いもん」

 一般市民のひと月の収入は銀貨二枚ほどしかない。そしてシャウナの借金である金貨二枚とは、銀貨で言えば二百枚となる。

 それをたった一年で返すことは最初から無理難題なのだ。


 しかしだ。もしも借金を返すことが出来なければ、シャウナは借主である男爵の物になることに決まっていた。

 先月までは、男爵が独身じゃなかったのがせめてもの救いだったのだが、なんと男爵は先日めでたく妻と離縁したそうで、今では独身になってしまった。

 それを報告するために先日に受け取った男爵の何とも嬉しそうな手紙は、彼女にとっては唯の不幸の手紙でしかない。


「あの中年禿おやじぃ!

 もっと奥さんを大事にしなさいよね!!」


 彼女の借金返済期限まで、後十ヶ月。

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