第18話 変革の狼煙①

 城に帰った俺たちは誰にも見つからないように”インビジブル”で姿を隠しながら一旦町の外に出て、誰も見ていないことを確認しながら魔法を解いた。そしてキャンバスとクリップに肩を担がれ、足と喉を負傷した弟を救出した英雄の帰還を演出しながら町の門をくぐった。三人は多くの人々の歓声を浴びながら手を振っている。だが、俺は誰の目も見ることができなかった。皆の目に俺の姿は怪我をしてボロボロな状態に見えている。変化魔法”チェンジ”を使っているからだ。下を向いたまま歩く俺の耳に同情の声が飛び込んでくる。全てを晒け出してしまいたい衝動を抑えながらそのまま城内に入った。すると、見覚えのある人影がこちらに駆け寄ってきた。


「兄上! それにイーゼル。まぁクリップも無事でよかった。遅かったから心配しました。ん? お前、イレイザーか!? ……生きていたのか。といってもひどい有様だな。おい、何黙ってるんだ。なんか言えよ」


「待って。ステープラ兄さん。イレイザーは喉をやられてしまってしゃべれないの。」


「ふん……無様だな。第九階位の魔道書を開いたからと調子に乗って一人でインフェルノドラゴンに挑むからそんな目に合うんだ。喋れないのであれば魔法も使えないってことだろ? ククッ、昔に逆戻りだな。あの頃の様に部屋に閉じ籠っていろ。助けてくださった兄上やクリップ、イーゼルに感謝しろ」

 

 そう吐き捨てるとキャンバスに近寄り甲斐甲斐しく荷物を持ち、俺の身体を引き離して近くの衛兵に押し付けた。ステープラはクリップよりもさらに狡猾な性格だ。長い物には巻かれる精神を体現したような男で野心家でもある。何かにつけてキャンバスに媚びへつらっている。だがキャンパスは甲斐甲斐しいステープラより、その双子であるクリップの方が気が合うようでクリップばかり同行させるのが気に入らないらしい。


「お、おい――」


 何かを言おうとしたキャンバスを≪もしもし、大丈夫だよ。キャンバス兄さん。そのまま先に言って≫と促し、衛兵と共に皆を見送った。後から来たパレットとペンシルもキャッキャとキャンバスに抱き付きながら、俺に目もくれずに一緒に城内に入っていく。怪我をしてボロボロの俺をただの一度も見ることすらしなかった。これが俺の兄妹たちだ。ただ一人イーゼルだけが心配そうにこちらに振り返った。


「殿下。大丈夫ですか? もしよろしければ私が背負って差し上げますが……」


 心配そうに肩を貸してくれている兵士は俺に話しかけてきた。随分若い。とはいえ外門ではなく城門を任されているのだからそれなりに優秀なのだろう。それにしても……。コイツは俺たち兄弟間の事情を知らないのだろうか? いや、先ほどのやり取りを見ていたのだから察しは付くだろう……。ただのお人好しか? どちらにしても俺に気を遣う人間はこの城には稀有だ。俺は地面に指で字を書いて返事をする。


”ありがとう。大丈夫です。心遣いに感謝いたします。でも、もしこの先必要な時はどうか僕に力を貸してください”


「あ……。は、はい! かしこまりました!」


 声が出せない王族にわざわざ指を汚して返事をさせてしまったことに衛兵は申し訳なさそうに俺に頭を下げた。そして、そのまま衛兵の肩を借りて予定通り国王と話をするため謁見の間に向かった。俺はこの城にいる間、決して声を出さない。自分に”クワイエット”の魔法を掛けて咄嗟に声を出しそうになっても声が漏れない様にしている。だから三人とは謁見の間に入るまでの間に入念に練り、念話で話の構成を十分に議論した。もはやこの三人はこの計画に前のめりだ。犬を上手に飼いならせればインフェルノドラゴンでさえ討伐できる。この事実はキャンバスとクリップにとってはこの上ない魅力だったに違いない。

 傷を負った俺を発見、保護し、力を合わせてインフェルノドラゴンを討伐した経緯を三人は王や枢軸院の年寄り連中、その側近達に事細かに報告した。俺が喉を負傷し声を出せなくなったことも。


 インフェルノドラゴンの討伐。元第一王位継承者の帰還。そして、その王子が声を出せないという報告に王国は大いに揺らいだ。当然である。インフェルノドラゴンの討伐は王国始まって以来の快挙だ。とは言え、今回証拠を持ち帰ることができなかったことで、当然俺たちの言葉を疑う者もいた。そこで、あらかじめ計画していた通り、インフェルノドラゴンの頭部を運ぶための編成隊を組み、その隊を先導するリーダーとしてクリップを森に向かわせた。当然声が出せずに魔法が使えないはずの俺がゲートを開くことは出来ない。あの場所まで馬車で移動するとなると往復に最低六日は掛かる。


 残ったキャンバスとイーゼルにはクリップの帰還を待っている間に本題であるファームの計画を王に打ち明け、説得する役目を与えた。とはいえ、このまま話をしようにも内容が突拍子もないので聞く耳を持ってもらえないのは火を見るよりも明らかだった。わざわざ頭蓋骨を国に持ち帰るより、王を森まで同行させて証拠を見せつけ、箱庭を説明するのが一番手っ取り早い。しかし、一国の王を危険な森に旅立たせるのはそう簡単な事ではない。先ずはインフェルノドラゴンの頭部を持ち帰り、俺たちの話の信憑性を国王達に示し、そのうえで王に箱庭まで出向いてもらう必要があるのだ。魔法が使えれば一日で終わる作業なのにまどろっこしい限りだ。


 予想通りインフェルノドラゴンの討伐方法を尋ねられた俺たちは俺自身の筆談も踏まえて細かく伝えられた。俺が森に弾き飛ばされ、重傷ながら一命をとりとめた。重症の俺の前に現れたヴェノムウルフが俺の傷を舐め癒してくれたというシナリオだ。それから帰るすべを無くしていた俺がヴェノムウルフと共に生活をし続けていたこと。彼らはお腹が満たされ健やかに生活ができる環境を与えてあげれば決して人間に危害を加えない事。彼らの毒は長く彼らと接し続けていれば無効化できることなど犬達の事を出来るだけ丁寧に説明した。


 さらにインフェルノドラゴンは二度出現し、一度目はそのヴェノムウルフが俺の命令に従い噛みつき、毒によって討伐したという経緯などをクリップが帰還するまでの間中を使い、ゆっくりと丁寧に説明を繰り返した。如何に犬が有能であり、従順であるかを。それでも、やはり半数以上の者が俺たちの言葉を信じなかった。特に最も強い権力を持つ八人の枢軸院は全員反対が反対した。この八人はそれぞれが王以上の発言力を持つ。最終的な決定権こそ王にあるが、王が何かを決定する内容はこの八人が議論し、全員の了承を得なければならない。結局、王宮の連中が俺たちの言葉をちゃんと聞くようになったのはインフェルノドラゴンの頭部を持ってクリップが帰還した九日後だった。予想以上に帰還に時間が掛かったのは頭部が余りにも重くて馬車が故障した為のようだ。


 インフェルノドラゴンの頭骨を持ち帰ったクリップはさながら英雄の凱旋だった。目の当たりにした国民や王宮の人間は実際に頭骨を持ち帰ったクリップに大歓声を送った。この瞬間からキャンバス達は真の英雄となった。その巨大な頭骨は、ずっと俺たちの意見を批判し続けた年寄りを黙らせるには十分すぎる程の存在感を放ち、国王も重い腰を挙げた。 箱庭への遠征が決定した。


 箱庭への遠征が決定してから皆の様子が一変した。早急に遠征の計画が組まれ、今度は王を含め、一個大隊が編成された。その数は五百人以上にも及ぶ。たかが視察のための遠征。……だがそれほどに大事なのだ。確かにインフェルノドラゴンとヴェノムウルフに関する事案であるのだから大部隊での遠征は理解できる。だが、王を守る為、城の精鋭部隊の大多数を率いる遠征の割に皆の顔には緊張感がない。浮足立っている。これではまるで社長の接待をする社員の慰安旅行……。いや、動物園に遠足に向かう前の小学生だ。 実際、この国の連中はインフェルノドラゴン以外の戦闘経験がほとんどない。そして、そのインフェルノドラゴンを討伐した英雄が目の前にいる。要は危機感に掛けているのだ。その点、枢軸院の部隊は非常に緊張感があり、統率が取れている。これではどちらが王なのか分からない。


 ようやく出発の日になった頃には城に戻ってから一月以上の時間が経過していた。森への遠征の割に人数が多すぎることと、通常の船での外交とは違い、陸路での旅ということで、勝手が違い過ぎた。王が城を空けるのは船での外交しかない。しかも、今回の遠征では先頭部隊に王や枢軸院の年寄り共を組み込んでいる。精鋭部隊や近衛兵で王を護衛しながら長い列を連ねて森を進むという編成は過去に経験がなかった。そして、これだけ出発に時間が掛かった最大の理由は枢軸院の枢要会議だ。国の最重要事項に関する事案を話し合うための最重要会議である。しかし、この会議に何故か王族は参加できない。これが我が国だ。枢要会議は連日連夜行われ、気が付くと二十日余りの時間を要していた。

 それにしてもじれったい! ああ、まどろっこしい! 魔法が使えない生活がこれほど不便だとは! こんな事なら別の方法を考えるべきだった。一度便利な生活を覚えると不便な生活にはなかなか戻れないことはこの世界に転生した時に嫌というほど実感したつもりだったが、今の方が圧倒的にもどかしい。俺はそれほどまでに魔法に心酔してしまっていた。いや、違う。単純に没頭してきたのだ。そんな暇を持て余す日々の中で珍しい出来事が起こった。


「イレイザー。ちょっといいか」


 そう声を掛けてきたのはキャンバスだった。これまで彼が俺に声を掛けてきたことは一度もなかった。


≪もしもし、キャンバス兄さん。どうしたの? 僕は声を出すことができないからそのまま用件を伝えて。他の人に怪しまれるといけないから口頭で≫


「あ、ああ。頼みがある。お前の魔法を教えてくれ。とりあえず遠征までの時間だけでいい」


≪初めてだね。兄さんが僕に頼みごとをするなんて。いいよ。但し、クリップ兄さんとイーゼル姉さんも一緒に。そして、君たちにはこの魔法を国民全員に伝えてほしい。それが条件だよ。先ずは魔道書館に移動しようか≫


 俺は首を縦に振って魔導書館に向かって歩き出した。キャンバスもその後に従う。俺達は一旦、魔導書館の中でも最も人気の少ない第六階位の魔導書庫に入った。


≪もしかしたらだれか聞いているかもしれないから、このまま僕は筆談を装いながら念話で魔法を教える。兄さんはクリップ兄さんとイーゼル姉さんを連れて来て≫


≪わかった。っていうかその魔法は俺たち三人に同時に送れるんじゃなかったのか? この会話は二人も聞いているんじゃ?≫


≪まさか。目の前にいる時だけだよ。僕の声が聞こえているのはここにいるキャンバス兄さんだけだよ。勉強を始める時は三人同時に話ができるから安心して≫


≪そうか……近くにいる時以外は念話できないのか。わかった。待っててくれ≫


 そう言ってキャンバスは部屋から出て行った。さて、ここで一つ。兄達三人に伝えていない真実を明かすとしよう。実は、今までに何度も駆使した”テレパシー”は俺のイメージ一つで誰にでもどこにでも送ることができる。”スケープゴート”を掛けている必要もない。つまり今もわざわざキャンバスに行ってもらう必要はなかった。だが、そうすることで彼にはそういう意外と不便な魔法だと認識してもらう必要があった。この魔法はそう難しいものではない。勉強すれば恐らく三人とも使うことができる。魔法はイメージが大切だ。出来ないと思ってしまうと魔法は発現しない。目の前の人間と頭で会話するだけの魔法という認識でいてもらわなければこの魔法の本当の怖さがばれてしまう。それは盗聴。つまり三人の考えは、俺がそうしようとさえすれば聞くことができる。要はクリップやキャンバスの頭の中は筒抜けにできるなのだ。


 昔の俺ならこう言うだろう。『倫理にもとる行為だ』と。ならば当時の俺に言葉を送ろう。『生ぬるい!』と。魔法が存在するこの世界ではこれくらいの事を平気で出来ない人間は生きていくことは出来ない。今日までに散々それを理解してきた。とはいえ、盗聴の能力はあくまで保険だ。他人の思考を盗聴する行為はおいそれと使うことは出来ない。間違いなく得る者より失うものの方が大きい。他人の本心なんて理解しない方がいい。そんなものを四六時中聞いていれば誰も信じる事なんてできなくなる。誰かが悪だくみをしていてもそれを知ってしまえば阻止しなくてはならなくなる。場合によっては死をもって……。そんな面倒事は御免だ。


 魔法と言えば、辺り一帯を焼き尽くす強力な爆炎や、全てを凍て尽くす氷結。目に見えるもの全てを薙ぎ払う真空の刃。そんなイメージを持っていた。だが、実際にそんな魔法を放ち敵を屠ることがどういう事か? その爆風に巻き込まれてどれほどの動植物が命を失うか……。どれほど環境に変異をもたらすか。考えただけでも恐ろしい。だから俺は強力な攻撃魔法は使わない。というより、怖くて到底使えない。エンマが言っていた。嘘を吐くことは大した罪ではない、死を与えるこそが最大の罪なのだと。俺は自分の身を守り他人の心を操ってこの世界を生き抜いて見せる。もし、強力な魔法が必要な時は別の誰かに自分自身の意志で魔法を放ってもらえばいい。


 俺はもう一度エンマに会う。その為に誰一人殺さず、今生を全うしてみせる。強力な魔法を思うがまま放つか、人を操り心を覗くか、どちらの方が倫理にもとる行為だろう。俺がやっている行為を不道徳と考えるのは、一度も武器を手にしたことがない平和で生温い世界で生きている人間だからだ。魔法は凶器だ。それを理解している人間が導かなければ核戦争を凌駕するほどの凄惨な未来が待っている事を肝に銘じなければならない。

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