第14話 箱庭②

 押し倒され、もみくちゃにされた俺はヴェノムウルフの体毛と唾液でぐちゃぐちゃになった。


「わかった! わかったって! よしよし」


 俺はヴェノムウルフを身体から引き離し起き上がった。


「ふぅ。コイツらはね。とても弱くて甘えん坊なんだ。そんなコイツらが生きていくにはこの世界は厳しすぎる。この世界で生き延びるために、ほとんどの生物は強く硬く大きく進化した。もちろんそれ以外の進化をした生き物もいっぱいいる。コイツらはそんな生物の中の一つだ。強く大きくなるんじゃなく、生き物に襲われない方法を身に付けたんだ。それが毒。ただ、その毒は強すぎた」


 じゃれつくヴェノムウルフの頭を撫でながら俺は話を続けた。


「コイツ等の体臭を感じると他の生物は恐れて一目散に逃げ出す。餌である生き物がいなくなると空腹と疲労のストレスでその毒はさらに強力になり常態化していく。そして他の生き物どころか仲間さえ傍にいれない。もちろん手分けして安全な場所を探す意味もあるんだろうけど群れで行動するはずのこの子たちはそうやってバラバラになり孤独な生き物となった」


 そう言って俺にくっつき甘えてくるヴェノムウルフ達の身体を手が届く限り撫でてあげた。


「で、でも。機嫌が悪くなったりしたら猛毒を出すんじゃ?」


 少し恐怖が薄れヴェノムウルフに興味が湧いてきた様子のイーゼルが尋ねた。


「もちろんそうだよ。でも普段からこいつらと接していれば、だんだんと毒に耐性が付くよ。コイツ等の毒は耐性が付きやすいのも特徴の一つだ。コイツ等の唾液は傷を癒したり、毒を浄化する力があるんだ。親は子供の身体をいっぱい舐めて自分たちの毒に対する抵抗力を高めていくんだ。僕も最初の頃に少し引っかかれて高熱や吐き気で苦しんだけど死ぬほどではなかった。たくさん舐められれば舐められるだけこの子たちの毒に慣れるんだ。もちろん気持ちが穏やかな時に、だけどね。僕がさっきナイフの血を浴びても大丈夫だったのはコイツらと一緒にずっと遊んでいたからだよ。姉さんも撫でてあげてよ。喜ぶよ」


 そう言ってイーゼルの腕をつかんで引っ張った。


「う、うん」そう言って恐る恐る手を伸ばし、ゆっくりとヴェノムウルフの頭に触れた。ヴェノムウルフはというと、早くしてと言わんばかりにしっぽを大きく左右に振っている。そして、頭に触れた瞬間、嬉しそうにその手に飛びつきじゃれついた。とにかく触って欲しい衝動を全身で表現している。イーゼルが腰を下ろしさらに近づくと、もっと擦ってとお腹を見せて寝そべった。その姿にイーゼルの心は陥落した。


 ヴェノムウルフはそもそも外敵がおらず敵に襲われるという経験がない。その為、警戒心が極めて薄い。大丈夫と感じると同時に全身を委ねてくる。その姿を見て仲間の警戒心も完全にゼロになったようで、俺に纏わり付いていた奴らも新しい人間に構ってもらいたくてイーゼルの許に集まった。困惑しながらもその愛くるしさに心を奪われたイーゼルは今まで見たことがないくらいの笑顔で笑っていた。


「コイツらの事少しは解ってもらえたかな?」


 俺はキャンバスと、いつの間にか自分の足で立って歩いているクリップに向かって言った。実はこの二人は威勢はいいが、案外臆病な似た者同士だ。その姿を見てもやはりその毒が怖いのだろう。仁王立ちしたまま動こうとしない。俺はヴェノムウルフの内で最も小さい子を抱き上げ二人に差し出した。


「ほら。こんなに可愛いんだよ。抱っこしてあげてよ」


 そう言って二人に向かって差し出す。こういう場合、確実にキャンバスが先に名乗り出る。キャンバスはクリップに対して特に虚栄心が強い。キャンパスはクリップの後手に回るのだけは何があっても許せないようだ。クリップもそれを理解している。普段はキャンバスに負けじと先手を打つことを生き甲斐にしているが、本当に都合が悪い時は決して名乗り出ない。言ってしまえばドングリの背比べをしている子供と一緒だ。


「お、おう。ホントだな。可愛いな」


 キャンバスは腕が伸びて腰が引けている。実に無様だ。こういう時はすかさずクリップが冷やかすのがお決まりだが、今冷やかすと自分の首を絞めることになるのが分かっているので声を出さない。実にクリップらしい。ヴェノムウルフ達の興味はそんな二人に移り半数近くがキャンバスとクリップの足元に群がった。ヴェノムウルフの子供を二人で仲良く抱えて足元に群がるヴェノムウルフの達に耐える姿は何とも滑稽だった。


 それに比べてイーゼルはすっかり仲良くなって顔まで舐めさせている。こういう時は女の方が度胸が据わっているようだ。


「僕はね。ここでこいつ等の餌を確保するためにコイツらの好物をもっと増やしたいと思ってるんだ。そこでコイツらの餌を滞りなく確保するために、国を挙げてファームを造ろうと計画している――」


 それを聞いた三人は一斉にこっちを振り向いた。


「いや、いや! さすがにそれは……」

「いくら可愛いと言っても、猛毒を持つヴェノムウルフだぞ! 危険だ!」

「ここで育てるだけで十分よ。これ以上は――」


 三人は予想通りの反応で俺の考えを否定してくる。俺は三人の意見を遮るように言った。


「――兄さんたちは、僕達がどういう立場にいるか本当にわかっているのかい?」


 俺がそう言うと三人は言葉の意味が理解できない様子で言葉を詰まらせる。


「僕が魔導書を開き、新しい詩を見つけた。そして、その謎を解いた時、僕たちがなぜこういう立場になっているのか理解できたんだ」


 俺は憤った。ナイフ以外のヴェノムウルフは俺から離れて三人の所に駆け寄る。


「その立場って言うのは何だ。何の話だよ?」


キャンバスは問いかけてきた。


「この世界には多くの種族がいるのは知っているよね? 僕たちは地上に住む亜人種の中でも立場が弱い種族だって」


 俺は少し大きな声で憤った。


「あ、ああ。魔力も能力も弱いからな。でもだからと言って他の種族に支配されるでもなく平和に暮らせている。いつかどの種族かに支配される可能性はあるが……」


「――支配される可能性? 違うよ兄さん。俺たちはとっくの昔から支配されているんだよ。誰にも気づかれることなくね」


「気づかれずに支配されている? どういう意味だ?」


 キャンバスは俺に疑問をぶつける。それに答えるために俺はいつも肌身離さず身に付けている魔導書を腰のバンドから外し三人に見せた。


「僕はこの魔導書の謎を解明する日々が続いた。それこそ空いている時間の全てをそれに費やしたよ。そして、ある日、ついに謎を解き明かした。それと同時に僕たちが使っている魔法が偽物だってことが分かったんだ」


「偽物? そういやさっきもそんなこと言っていたな。どういう意味だ? 俺たちはちゃんと魔法を使えているぞ」


 今度はクリップが俺に問いかけた。


「そうだね。でもその魔法は本来の魔法を封印した別のシンボルを利用したものなんだ。だから第六階位までの魔法しか使えない。でも本当は存在するんだ第六階位以上の魔法は――」


「そんなことは知っている! ほかの種族の奴等は使っているんだからな」


 俺の言葉を遮ってキャンバスは言った。


「そう。それなのに第七階位の魔導書を開ける兄さんは第六階位以上の魔法が使えない。おかしいと思わなかったかい? あれだけの魔導書がすべて白紙だったんだよ? だれが何のために有りもしない魔導書を造ったのか。本来あるべき魔法を別の魔法で封印されているんだよ。僕たちの魔法は七つ以上を組み合わせると災禍に見舞われるって書いてあるのに奴らは第六階位以上の魔法を使っている。僕も最初は解釈が違うのかと思った。でもそうじゃなかった。そもそも本来の十二字を封印して別の十二字を使わされていたんだ!」


 星座のシンボルを利用した十二字は本来の十二字を封印し、第六階位以上の魔法を使えないようにするためのものだった。


「僕が見つけたボロボロの書物に書かれた詩を解読し、ある言葉を口にした時、この魔導書は光輝きこの姿に変化した。そして新たな十二字が浮かび上がってきた。僕達は何者かに本当の魔法が使えない様にされていたってことだ! 本当の魔法を封印し力を奪っていたんだよ。だからずっと放置されていたんだ! すでに支配されていたんだから!」


 俺は声をさらに荒立てて言った。


「でも、それなら魔法自体を封印してしまえばいいじゃないか? 何のためにわざわざ違う魔法を用意したんだよ?」


「僕もそれが疑問だったんだ。でも、もし完全に魔法が使えないならどうする? 魔法が全てのこの世界では魔法なしでは生きていけないよね? 滅びるか生き延びるための新たな力を手に入れるか。そして、もしその力が魔法以上の脅威になるかもしれないのであれば弱い魔法を与えて弱者と思い込ませる方が支配しやすいと考えたんじゃないだろうか?」


 俺は過去の記憶を思い出していた。電気と機械の文明。生まれ変わる前の地球と同じ技術はこの世界では脅威となるはずだ。 そして恐らく、星座の魔法を造った人物はそれを知っている。


「でもよ。仮に第六階位以上の魔法が存在するとしても、俺達には使えないじゃない。お前と違って俺は第六階位の魔導書しか開けなかったんだから……」


 クリップは他人事のようにヴェノムウルフの頭を撫でながら言った。随分慣れたようだ。


「いや、使えるはずだよ。そもそも階位という概念そのものが違うんだ。もちろん使える魔法には個人差はあるけど今まで魔法が使えなかった人たちも多くの人が魔法を使えるようになる。兄さんたちは今より遥かに多くの魔法が使えるようになるよ。まぁ新たな十二字を覚える必要があるけど」


 俺の言葉を聞いて三人は目を輝かせて俺を見つめてくる。コイツ等が俺に向かって笑みを浮かべるのはちょっと気持ち悪い。

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