第5話 夢の異世界生活①

――


 次に目覚めた時、俺は薄暗く広い部屋のベッドの上に居た。結論から言うと、俺はこの転生を直ぐに死ぬほど後悔することになった。前の世界がどれほど平和で幸せな世界だったか。温かい食事と温かい家がどれほどの幸福なのか。どれほどの便利な道具に囲まれて暮らしてきたのか。この世界に来て十五年間、生まれ変わったことを後悔しなかった日なんて一日もなかった……。でも、不思議なもので死にたいと思ったことは一度もなかった。寧ろ死んでたまるかって気持ちだった。


「十八になった今、ようやく生まれ変わったことに感謝し、生き甲斐を感じてるよ」


 俺はあの時と同じように足を縄で縛り、首に括り付けた縄を確認している。ただし、その状態に陥っているのは俺自身じゃない。目の前で涙を流しながら手足を縛られ、口に幾つもの石を詰められて、それが零れ落ちない様に布で覆われた三人の人間だ。涙を流しながらも、モゴモゴと何かを言いたそうに怖い形相で見つめる一番ガタイの良い男性は俺の兄で第一王位継承者のキャンバス。その隣で怯えた表情でこっちを見ているのは腹違いの第二王位継承者のクリップ。そして、肩を上下に揺らし嗚咽を漏らしながら下を向いて泣いているもう一人はキャンバスの妹のイーゼル。全員俺の腹違いの兄姉だ。俺は、彼らがそれぞれが姿を確認できるように中心に向かって三角に並べ、縄で吊るして立たせている。彼らは今、座ることもできず、しゃべることもできない。それぞれを吊るしている縄は独立していて、目の前に自分を吊るしている縄が確認できるようにしてある。そして、それぞれ目の前の縄を切れば自分の首が飛ぶ仕掛けになっている。


「エンマ……。見てるんだろ? 僕は今、いつでも他人を殺すことができる状況にある。でも、決して殺しはしない。もう一度君に会うために」


 そう言って空に向かって話す俺を涙目で見つめる三人は何か言いたげに声を発しようとするが石が口を傷つけるせいでに大きな声は出せない。


「……黙っていて下さいよ。兄さん、姉さん。僕は今、愛しいエンマと話しているんです。それに、どうせ兄さんたちは呪文を詠唱しないと魔法が使えないんだからどうすることもできませんよ」


 俺の言葉を理解できない様子の三人は、気が触れた化け物でも見るかのような怪訝な表情で俺を見つめる。


「ねぇエンマ。君はあの時言ったよね。人を死に至らしめる行為は減点だと。だから僕は彼らを殺さないよ。でも、こいつ等は僕の大切な友達を殺したんだ……。人に危害を加えたことなんてない、とても優しい奴だったのに。ただヴェノムウルフだってだけで……。僕はそんな罪のない生き物を殺した悪人達を縛っているだけ。さぁ審判してみてよ。僕と彼らのどちらが悪人なのか――」


 そう空に語りづ付ける俺をじっと見つめ続ける三人は既に疲労困憊といった様子。当然だ。すでに三時間ほどあの状態のまま立ち続けている。座りたくても首が締まって座れない。口はずっと大きく開いた状態で三人とも血混じりの涎を垂らしっぱなしだ。でも、だからと言って死ぬこともできない。舌をかみ切りたくても口に幾つも詰められた石が邪魔で無理だし、その石はドングリ飴より一回り大きので飲み込むこともできない。手足は固く縛られ、文字通り手も足も出ない状態だ。


「さあ、昔話の続きをしよう。転生した僕が直ぐに後悔したってとこからだったかな?」


 俺がそう言うと先ほどまでとは違い三人とも特に反応を示さなかった。すでに三人は俺の話を聞く元気もないようだが、あの時と同じようにお構いなしに昔話を続けた。


 俺が真っ暗な世界でエンマと別れて、次に意識を取り戻した時、すぐ側には別の若い女が立っていた。エンマほどではないがものすごく綺麗な女だった。俺は思わず声を掛けた。


「すいません。あの……。ここはどこでしょうか?」


 その声に驚いた女性は手に持っていた皿を落として割ってしまった。


「あ、あの大丈夫ですか? 驚かせてすいません……」


 そう聞くと、女性は何やら怪訝な面持ちで俺に近づいてきて 見下ろした。


「S"$DQK? UI0EzWE>K?」


 全く意味の解らない言葉で話しかけてきた。そうか。さっきのやり取りが夢でないのであれば、俺は今魔法が使える異世界にいることになるのか。いや、さっきの世界も含めてずっと夢を見ているのか? それにしては何ともリアルだな。匂いや風の心地よさも感じる。もし本当に異世界に来たとするなら言葉が分からないのは当り前と言えば当たり前の話。知らない世界で言葉が通じるわけがない。でも、異世界転生って言葉とかすぐわかるんじゃないのかよ? 日本語喋っても自動翻訳で会話できるんじゃないのかよ!? いつの間にか色々な間違った非常識を植え付けられていた俺は勝手にそう思い込んでいた。しかし、現実はそんなに甘くなかった。そんな当たり前のことに気付かなかった俺は日本人として過ごしてきた記憶を異世界で三歳まで普通に育てられてきた子供に上書きしてしまっていたのだ。


 それから俺は何とかその女性に言葉を伝えようと身振り手振りを使いながら日本語で話しかけ続けた。その行為は前日まで普通の子供だった俺とは全く違う生き物に映ったのだろう。当然だ。三歳と言えばもう十分に言葉で意思疎通ができる歳だ。昨日まで普通に会話をしていたのだろう。そんな子供が突然、流暢に知らない言葉を話し始めれば誰だって困惑し、恐怖を感じるだろう……。


 そんな俺に怯えた女性は、何かを叫び部屋から飛び出してしまった。転生直前のエンマの笑みを思い出した。


「くそっ! アイツ! こうなることが分かってたんだ! ……やられた」


 どうしようかと悩んでいた矢先、先ほどの女性が数人の白い服を着た男性を連れて戻ってきた。その男たちは俺を取り囲み、何やらよくわからない言葉を一斉にしゃべりだした。すると、男たちの持っていた杖のようなものの先端にはめ込まれた宝石が光り出し、俺にいきなり水を掛けてきた。後からわかったことだが、それは魔族の力や呪いの力を打ち消す破邪の聖水魔法だった。でも、俺は呪われたわけでも魔族に取りつかれたわけでもなく異世界の言葉をしゃべっているだけ。当然、何も変わらずただ水を掛けられビシャビシャになっただけだった。聖水を掛けても何も起こらないことで、呪いでも魔法の力でもないとわかった先ほどの女性は困惑しながらも濡れたままの俺を優しく抱きかかえてくれた。この時に二つの事が分かった。一つはこの世界には確かに魔法が存在しているということ。それからもう一つはこれが夢ではないということだ。冷たい水を大量に浴びせられても全く目が覚める気配がない。


 俺を優しく抱きしめてくれている美しい女性の名前はノート。後に分かったことだが、その人は生まれ変わった俺の母親だった。 昨日まで普通に会話をしていた息子が全く知らない言葉をしゃべるようになって戸惑ってはいたものの、そこは母親の愛情というものなんだろう。急にわけのわからない言葉をしゃべりだして他の人が気味悪がって近づかない中、ただ一人、再び会話ができる様に一つ一つ丁寧に言葉を教えてくれた。赤ん坊は言葉を苦も無く覚えていく。それが当たり前のように思っていたがこれは何も情報がないから出来ることだということを身をもって知った。俺は既に日本語が身についてしまっている。一度言語を覚えた人間は次の言語を覚える時、無意識に脳内で翻訳している。例えば机を見た時、見た物に直接言葉を当てはめていくことができる赤ん坊は机を見て”机”と覚える。これを日本人が英語を覚える場合、机を見た時に”机”という言葉を思い浮かべ、”机”は”デスク”と翻訳する。この翻訳が思いのほか厄介で、一つ一つの単語を脳内で翻訳していかなければならない。大人になればなるほど、覚えている言葉は多岐にわたる為、この翻訳作業が多くなる。しかも見たことも聞いたこともない言語と発音だ。わかる単語はただの一つもない。当然、通訳もいない。正直俺は何度も挫折しかけた。


「そんな僕にノートは諦めることなく、長い時間をかけて言葉を教えてくれた。一つ一つ丁寧すぎる程に。本当にいい女だった。母親でなければ妻にしたかったよ。多分生まれ変わる前の僕より若かったしね。でも、言葉が分からないということ以上にどうせ記憶を引き継ぐなら生まれた直後にすればよかったと悔やんだ。だって既に母乳の時期が終わっていたからだよ。あんな綺麗な女性の乳首を吸う機会を逸してしまったことが何よりも一番悔やんだよ」


 そう言う俺の言葉を聞いて、イーゼルは涙を浮かべながら本気で不快な表情を浮かべた。その顔を見て興奮した俺は端に置いてあった椅子を三人の中央に運んだ。この森で手作りした自慢の椅子だ。留め具の位置をずらせば背もたれが倒せる。こういうリクライニング機能を付けた椅子はこの世界にはない。目一杯倒せば少し寝そべった様な姿勢になれる。オットマン代わりの足台も運んできて椅子に腰を下ろし、ゆっくりと寛ぐ姿勢になった。首と手足を括り付けられ座ることすらできない三人はゆっくりと寛ぐ俺にそれまで以上の殺意を向ける。その視線に快楽を覚えつつ無視して話を続けた。


「突然、意味の解らない言葉を流暢にしゃべる様になった気味の悪い子供と積極的に関わろうとしてくれるのはノートだけだった。僕達に関わる人間はほとんどいなかった」


 だが、ノートを取り巻く環境は寧ろ良くなっていたそうだ。息子が言葉をしゃべれなくなって同情したのか、今までよりみんなが優しくなったのだ。それまでのノートはとてもひどい扱いを受けていた。

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