第45話

「こちらは今日からあなたと同室になる編入生のエマ・エルノヴァです。部屋まで案内して差し上げなさい」

「はい、校長」


少女はこちらに向かって歩いてくると、まずユーリに向かって軽くスカートの裾を持ち上げてお辞儀をした。


「ヴォルフガング閣下、お初にお目にかかります。グラスフィールド家のアリアと申します。

 地方遠征でいらした際には父が大変お世話になったと申しておりました」

「グラスフィールド伯爵のご令嬢ですね。お目にかかれるとは光栄です」


ユーリは慣れた手つきで少女の手を取ると口づける。

アリアと名乗った少女は片手を差し出したまま、軽く伏せられたユーリの長いまつげに見惚れている。


「あー、その、悪いんだが……」


横から声をかけると、アリアははっとしたようにこちらに振り向いた。

星を湛えたような、大きな瞳が私の姿を捉える。


「やだ、そちらにいらしたのですね。気が付きませんでしたわ。私、アリアと申します」

「エマだ。 よろしく頼む」


にこやかな表情に変わりはないのだが、なんとなく棘のようなものを感じるのは気のせいだろうか。

やり取りを見ていたベルリオーズはごほんと咳払いをすると口を開いた。


「さ、二人ともお行きなさい。今夜は建国祭ですから、いろいろと準備が必要でしょう。

 全く、ただでさえ忙しいのにわざわざ今日を選ばなくてもよいものを……」


ベルリオーズは言いつつユーリに恨みがましい視線を向ける。

ユーリはと言えば窓の外から中庭を眺めており、どこ吹く風だ。


「建国祭?」


尋ねるとアリアが嬉しそうに答えた。


「年に一度の社交パーティですのよ。まさかご存じなくて?

 各界の要人を、ここセントエガリタスにお招きして建国の功績をお祝いしますの。

 招へいされた一流のパティシエによる、目もくらむようなスイーツの数々が振舞われますのよ」


よほど甘いものが好きなのだろう、すでにうっとりとした表情を浮かべている。


「ユーリも来るのか?」


尋ねるとユーリはええ、と頷いた。


「今年はロベルト様がご参加されますから、私はそのお供に」

「ロベ……王太子殿下が?」


いつものように呼び捨てにしそうになったところをベルリオーズからものすごい表情を向けられ、慌てて言い直した。

ユーリはその様子をさも愉しげに見ながら続けた。


「ええ、今夜の主賓です。お目にかかる機会もあるかもしれませんね」

「あまり子女たちを惑わせるようなことはおっしゃらないでくださいね。

 お分かりかと思いますが、ここは格式あるセントエガリタスです。社交界デビューもまだの子女たちに何かあってはなりませんので」

「もちろんですよ、ミセスベルリオーズ」


ベルリオーズは深いため息をつくと、小さく首を振った。

ユーリはにこやかに居住まいを正すと口を開いた。


「それではミセス、私はそろそろ」


ベルリオーズは少々疲れたような表情で頷く。

ユーリはこちらに向き直ると、私の耳元に向かって軽く頭を下げた。

飄々とした雰囲気が一瞬にして消える。

耳元から滑り落ちた赤髪がひと房、揺れた。


「どうぞ、十分にお気をつけて」

「……? ああ」


私はアリアに連れられ廊下の奥へと続く学生寮へ、ユーリはベルリオーズに軽く礼をすると、背中を向け玄関へと向かう。

校長室を出てすぐの廊下はがらんとしていて薄暗く、大理石によって冷やされた空気がぴんと張り詰めていた。

廊下は中央にプールのある中庭を取り囲むように走っている。

すでにユーリもベルリオーズも姿を消していて、私とアリアはこの茫漠とした渡り廊下に二人きりだった。


その時、アリアが突然振り返った。

やわらかい金髪がふわりと風をはらみ、フリルに縁取られたスカートの裾がゆったりとした円を描く。


「言い忘れていたけれど」


アリアの桃色の唇がゆっくりとした動きで一つ一つの音を紡ぎ出す。

中庭から一斉に鳩が飛び立ち、羽音が建物に切り取られた空を埋め尽くした。

白い羽毛が天使の羽のように舞い落ちてアリアの背景に幻想的な空気を創り出す。


「ようこそ、セント・エガリタスへ」


がらんとした大理石の廊下に、アリアの声が反響した。

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