第23話

机の上に一冊の本がある。

手垢にまみれ、表紙のタイトルも擦り切れてしまっているが、辛うじて「エルノヴァ」の文字は認識できる。

魔女たちの死後、各地で彼女たちの知識を集め編まれたという禁書、なのだが――。


(カラなんだよなあ)


私は本を開いたままベッドに寝転んだ。

クリフォードから先日の報酬として受け取った古書である。


全てのページにおいて損傷が激しく、何が書かれているのか読み取ることができない。

まるで火事にでも遭ったかのように焼け落ちてしまっているページも多い。

辛うじてわかるのは、各ページに何やら数字が振ってあることだけだ。

いくら100年前の書籍とはいえ、保存状態が悪すぎる。

もっと大切に扱えと思うが、100年分の人間に今更文句も言えない。


(まあ、クリフォードに悪気があったとは思えないが。それでもこれはがっかりするな……)


仰向けに寝転び、本を天井に向かってかざしたままぺらぺらとページをめくる。


「――っ!?」


本の中から一枚の紙が落ちてきて額を直撃し、私は声にならない悲鳴を上げた。

ページの間に挟まっていたのだろう。

私は身体を起こすとその紙を拾い上げた。


(これは…… 流れ星?)


紙に描かれているのは絵だった。

中央には密集した城や家といった建物が描かれ、その上のスペースには空白を覆いつくすほどいっぱいに線が引かれている。

随分とファンタジックな光景である。

よく見ると、右上に何やら文字が描かれている。


(ワルプルギス……?)


その瞬間、頭の中で何かがはじけた。


――閃光。

目の前が真っ白になり、耳の奥で金属質な高音が響く。

耳鳴りは次第に何か大きなものが崩れるような轟音に代わり、その音にかき消されるようにして人々の悲鳴が聞こえる。

炎だ。

弾けた閃光は炎となり目の前いっぱいに赤が広がる。


(な……んだ、これ)


突然胸が貫かれるような悲しみが身体中に広がった。

私の意思とは関係なく、何かが、私の中の私ではない何かが、悲しいと叫んでいる。


『――う一度!』


誰かの声がする。


『もう一度! 今度こそ君を――!』


轟音と炎の眩しさで息もできない。頭が割れそうに痛い。

声がかき消される。


(一体なんなんだ……!)

「君を死なせはしない!!!!」


アンの叫び声が響き私ははっと我に返った。



慌てて階下に降りるとアンがブルーに縋り付いていた。

ブルーは力なく舌をだらりと出している。

その傍で、ジュールが呆れたように腰に手を当てていた。


「……物騒な声が聞こえたんだが、いったいどうしたんだ?」


尋ねるとジュールが振り返った。


「ああ、このところブルーの腹の調子が悪くてな。大方、森で変なものでも食っちまったんだろう。

 餌もちゃんと食ってるし、それほど心配はいらないんだろうが、アンがこの調子でな……」


ジュールはそう言ってアンの方を見やる。

アンはと言えば、ブルーのふさふさとした身体を抱きしめながら半泣きであった。


「ブルー! ごめんね、私が一人で配達に行かせたりしたからあ」

「ブルーの腹痛は君のせいじゃないさ」


アンはジュールの慰めも耳に入らない様子だ。

ブルーは犬ながらにまんざらでもなさそうだが。


「うう……、ブルー、ブルーに何かあったら私……」

「だから大丈夫だって、昨日トーマ先生にも言われたろ?」

「トーマ先生?」


耳慣れない名前に思わず聞き返すと、ジュールが頷いた。


「そうか、エマはまだ会ったことがなかったか。この辺りで獣医をやってる先生だよ。優しくて腕がいいと評判だ」

「ふうん」


突然、ブルーがぶるりと身体を震わせ、扉に向かって駆けだした。

ジュールが扉を開けてやるとそのまま森に駆け込む。


「ブルー?!」


アンが悲痛な声を上げる。


「トイレだろう。トーマ先生が下剤を処方したと言ってたじゃないか」


ジュールが呆れた様子で言った。



アンの心配をよそにブルーはものの数分で帰ってきた。

いくらか顔色――犬に顔色というものがあればだが――が良くなっている気がする。

ブルーはアンの周りをぐるぐると回って見せると、わふん! と元気よく鳴き声を上げた。


「良くなったのね! ああ、ブルー!」


アンがブルーの首に縋り付く。

私とジュールは顔を見合わせると、肩をすくめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る