第6話

今夜は熱が出るかもしれないからというアンとジュールの勧めで、ロベルトは一晩泊っていくことになった。

私たちと一緒に寝ればいいじゃないというアンとジュールに押し切られ、私はしぶしぶ自分の部屋とベッドをロベルトに貸してやった。


「わ、わたしは床で寝る……」

「だめよ!風邪ひいちゃうわ!」

「そうだぞ、さ、こっちに来なさい」


早々にベッドに入った二人が布団を持ち上げ私を手招く。

私はため息をつくと、観念してアンとジュールに挟まれる格好になりベッドに入った。

すぐ目の前、まつげが触れてしまいそうなほど近くにアンの顔がある。

視線に気が付くと、アンは、なに? というように首を傾げた。

私は慌てて視線を逸らし布団にもぐりこむ。

背中にジュールの体温を感じる。


(狭い……)


私は居心地の悪さに身体をもぞもぞとさせつつ、それでもいつもよりも早く眠りに落ちてしまった。




暗闇の中に燃えるような瞳がたくさん浮かんでいる。


悪意。憎悪。軽蔑――。


様々な色を湛えた視線が私の身体を焼き尽くそうとする。


叫びだしたいのに声が出ない。


炎があがる。


痛みと熱が身体の表面を蛇のように這いずり回る。


叫んでいるのは誰?


呼んでいるのは誰?


――私?




はっと目が覚めた。

私は顔の傷を覆う眼帯を外し、そっと息をつく。


もう眠れそうにはなかった。

まだ夜は深く、鳥たちの声も聞こえない。

私は両隣で眠る二人を起こさないようにそっとベッドを抜け出した。

月明かりを頼りに廊下に出ると、階下で物音がした。

足音を立てないようにそっと階段を下りる。


「そこで何をしている」


背後から声を掛けると、ロベルトは緩慢な動作で振り向いた。

ラベンダーの瞳がうるみ、頬が赤く上気している。


「ごめんなさい、僕、眠れなくて……」


言い終わらないうちに、ロベルトの身体がふらりと揺れた。

慌てて肩を支えてやると掌に体温が伝わってきた。やはり熱が出たようだ。

そのままキッチンの椅子に座らせる。

ロベルトはぐったりとした様子でこちらを見上げている。

窓から差し込む月の光がラベンダー色の瞳の中で揺れていた。


「ああ、やっぱり……」


ロベルトはそう言いながら熱い手をふらふらと私の顔に向かって伸ばす。

銀色の月の光が私たちを静かに照らし出す。


「流れ星みたいだ」


ロベルトの手が右頬の傷に触れた。

私は眼帯を外していたことを思い出し、手をはねのけようとしたが、

ロベルトの力は存外に強くそのまま腕を掴まれてしまった。


「逃げないで」

「うるさい。――見るな」


ロベルトの手が熱い。熱に浮かされうるんだラベンダー色の瞳がこちらを真っすぐ見上げている。


「ねえ、君はもしかして――」


ロベルトの言葉を遮るように雲が月を隠した。

ふっと明かりが消えるように部屋の中が暗闇に包まれる。

私はロベルトの手をそっとどけると前髪で右目と頬を隠し、ろうそくに明かりをつけた。

燭台にオレンジ色の光が灯る。


「茶をいれてやるから、それを飲んだら部屋に戻れ」


熱で身体が辛いのだろう、ロベルトはぼうっとしたまま答えない。

私は湯を沸かすと壁の棚を探り、少し悩んだ後、いくつかの小瓶を取り出した。

乾燥させた葉を中から取り出し、ポットに入れる。

ちょうど沸いた湯を加え、少し蒸らした後、カップにゆっくり注ぎ入れる。


「ほら、飲め」


ロベルトは素直にカップを受け取ると口をつけた。


「これ……甘くておいしい。それに、紅茶じゃないみたいだ」


私はロベルトの前に腰かけると自分もカップを持った。


「これはハーブティーだ。エルダーフラワーには炎症を抑えて熱を下げる効果があるし、甘い香りで飲みやすい。

 お前みたいな子供にぴったりだ」

「君も子どもじゃないか……」


ロベルトは不満げに言うが、熱のせいか力がない。

私はロベルトの言葉を無視してつづける。


「甘味はステビア、気持ちを和らげてくれるハーブだ」

「ハーブ……」


ロベルトは両手で包み込んだカップに視線を落としたまま呟いた。


「ハーブは知恵だ。知恵は苦しい状況にある時、人を救ってくれる。」


私は茶を一口すすった。

100年前から変わらない香りが鼻腔を抜けていく。


「それなのに、人は『自分がよく知らないこと』を恐れる。知ろうともせずにな。

 お前の好きな『歴史』は人間の愚行の積み重ねだ」


ロベルトは黙って私の話を聞いていたが、顔を上げると言った。


「僕は……、僕は、過去の過ちは正したい。そこから学んで良い歴史を積み重ねたいよ」

 

どうして。

私はロベルトを見つめた。


どうしてこの子どもはこんなにも真っすぐにこちらを見るのだろうか。

あどけない顔つきの中に、どの大人よりも苦しい重荷を背負ったような表情をさせるのだろうか。


私は立ち上がるとカップをトレイに戻した。


「もう今日は終いだ。病人はさっさと寝ろ」


ロベルトはおやすみ、というと立ち上がった。

よろよろとした足取りで階段を上っていく。

頼りない小さな背中が階段の上に消えると、私は小さく息を吐きだした。

部屋の窓から、済んだ夜空を見上げる。


「流れ星――」


私はロベルトの言葉を口の中で転がした。

顔の傷が熱を持ったように熱い。

私は頬杖をつくと、うっすらと白んできた空をしばらく見つめていた。

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