ゴミ溜めのマリア
@chromosome
第1話 イタコのなっちゃん
あたし、キャバクラ嬢の奈美子って言います。年齢は、アラサーですので、ご想像ください。正式には、大津奈美子って言うんだけど、そうすると、「おおつなみ」となって、さすがに、それはまずいと思って、みんなは、「なっちゃん、なっちゃん」って言っていたので、そう呼んでください。
あの東日本の大地震の少し前、青森でキャバクラに勤めていました。そこで、頭はいいが、でも、うつ病で仕事を辞めて、名前を一応を赤門(あかもん)という人が、結構、指名してくれました(ずっと、後から分かりましたが、この人、東大を出ていたんですね。それで、赤門なんて名乗っていたんですね)。
でも、赤門さんが、キャバクラに通う金をどこから工面していたのかは、未だにわかりません。もしかすると、使い込みをしていたのかも。
まあ、それはいいとして、その内、いい仲になって、赤門さんから、一緒に死んでくれって言われたんです。そう言われても、元々、死ぬ気はなくて。店に借金があったので、売上げをごまかして、石巻まで逃げてきました。
あの日は、昼過ぎに海辺のホテルについて、浜辺を散歩していたら、少し岩場のところで、あの人が
「ここが良い」
と言ったんですけど、私、なんのことか分からなくて。それできょとんとしていたら、
「死んでくれ」
って言われたんです。
「えっ」
私、思わず、聞き返して、そのとき、赤門さんの顔をみたら、本気らしくて、後から思えば、心中の場所を選んでいたんですね。
そのとき、今までの人生で感じなかったような突き上げるような動きと大きな揺れで、私も赤門さんも岩場に、へたり込んで、あれが、震度七だったのかなあ。
「地震だー」
という声がして、逃げようと思うんだけど、動けない。あれが腰を抜かしたというやつだと、後で気がついたわ。
その内、へんな声がして、
「今のうちだ-。海に行けー」
何で、海に逃げるのよと思ったら、
「魚や貝がつかみ放題だ。こんなことは滅多にねーぞー」
私も、少しだけなら、いいかなと思って、海に向かおうとしたんだけど、今度は、前よりも大きな声で
「駄目だー、引き返せ、津波が来るぞー」
って、怒鳴っていたので、私は、死んじゃいけないと思いなおして、何とか海から離れた高台に逃げました。
彼とは、その時、離ればなれになって(と言うよりも、互いに自分が可愛くて、相手のことなど構わずに逃げ出したというのが本音です)、どうしたのか、実は知りませんでした。そうして、高台に逃げて避難所で暮らしていたんです。
三月中旬で、東北はまだ寒い頃、雪がちらついていたのを思い出すわ。最初の三、四日は、寒さに震えて何とか生き延びようとして必死でした。水がない。食べ物がない。電気がない。寝るための毛布がない。 でも、誰かが少しは何かを持っていて、それを分け合って、生き延びたというのが実感。
その内に、避難所の脇に、安置所が置かれて、毎日そこに、遺体が運び込まれてくるんです。仕舞いには、安置所の場所が足りなくなって、普通に人がいるところにも遺体が置かれたのには、驚いた。
でも、人間て、不思議なもので、そんなことにも慣れてしまう。最初は、厳粛にしなくてはと思っていたの。でも、あんまり数が多いと、平気になってしまう。遺体は、最初は、殆どが身元不明なんだけど、家族がどんどんやって来て引き取って行くから回転の速いこと。
引き取りに来られない遺体もあったんですが、何か気になりましたね。この人、身内がいないのとか、訳ありの人なのかなあ~なんて考えてしまう。
ボランティアも来てくれたが、あまり、早く来すぎて援助どころの話しじゃない。乏しい食糧は、あんた達のためのものじゃないのよって、追いかえしました。後から聞いた話では、全国から送られた物資が多すぎて、倉庫にも入らない、分類もできない、運べないということになったそうです。
あきれたのは、どんな状況でも眠れる人は、いるんですね。堅い床の上で、煌々と灯りがついている体育館でも寝れる人は寝れる。いびきがうるさい人は、皆から白い目で見られて、仕方なく外で寝ていました。
その内、何か福島の原発が爆発したとかで、福島県の太平洋岸の人が逃げ出しているという話しが伝わってきたの。それこそ日本沈没って思ったくらい。福島でも、そうだろうけど、兎に角、ヘリコプターがひっきりなしに飛んできて、そのうるさかったこと。
避難所から、もっと北に逃げた人もいたみたいね。殆どの人は、逃げる手段もなくて、このまま、ここで死ぬんだみたいな感じになっていたわ。
それと怖かったのは、いつまで続くか分からない余震。昼夜なく地面が揺れるのは、神経に良くなかった。女は、不安には弱いよね。そういう時は、男の人が、大丈夫だと、ぎゅっと抱きしめてくれると良いんだけど。
女子どもが、キャーキャー言うのは、そう言って、怖い気持ちを吐き出しているの。男だって怖いはずなのに、男は、そう言えないのが辛いようね。
トイレにも、困った。学校のトイレって、未だに和式が大部分。団地でも一般住宅でも洋式が一般的だから、高齢者なんかは、特に困っていた。それに、寒かったから、良かったけれど、暑かったら、匂いやら衛生問題やらでどうなっただろう。
勿論、電話なんて通じるわけもない。でも、家族と昔の友人には連絡したい。それで、災害用の電話で友人に連絡したら、
「あら、そんなところにいたの、店長が怒っているわよ」
とかで、とてもじゃないが、直ぐ切ってしまった。 一、二週間すると、避難所の状態は少しづつ、良くなっていったわ。
まあ、それは、被害も分かってきて悲しみが増すということでもあって、一概には言えないけれど。家族や友人をさらわれ、全ての財産を流されては、落ち込むのも無理はないよね。
全員が、腑抜けたようになって、ぼおっとしているというのは、気持ちいいものではないね。突然、怒り出す人とか泣く人、それもいい大人が、そうなるんだから、たいていのことではないと思った。とにかく、この有様は、経験した人にしか分からないと断言できます。
でも、女って、それなりの役に立ちますね。小さい子どもを少しの時間だけ面倒を見る。
「この年寄りを見ていてください」
って頼まれて、そばにいるだけで安心できるみたい。子どもが女の子だったら、男には任せられないと思うのは、当然のことだよね。
一週間が経過した頃かな、援助の物資が来始めたの。本格的なボランティアも来るようになったかな。今までの滅茶苦茶という状態から、少しだけ先が見えてきた。そうしたら、みんなが、顔見知りでもないのに、頑張ろうという一体感が出て来たの。不思議だったわ。こんなこと言ったら悪いかも知れないけれど、イキイキとしていた。
すると、食事の配給の時に、赤門さんに似た人を見つけたんです。声をかけると、間違いなくあの人です。死にたかった人が、なぜここにと思ったんですが、そこは、あんまり考えずに、二人で今後のことを話し合いました。
赤門さんは、それほど必死に逃げたわけではないと言ったけど、逃げ遅れた人が、あれほどいるんだから、命からがらたどりついたというのが、本当のことよね。そして、避難所で食事配給のボランティアに参加したそうです。やっぱり、死にたくはなかったんですね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます