第23話

 エルモンドは、ロゼッタに用意された部屋に、一晩泊まった。心配で側を離れられず、時折、寝息を確認しては、胸を撫で下ろし、ずっとロゼッタの寝顔を見つめていた。


 明け方になって、ジェラルドが訪ねてきた。

「王太子殿下にバレたぞ」


「——ああ、俺の勝手な片思いだってことにして、俺は護衛騎士を降りる。ロゼッタに迷惑はかけない」


「お前に手垢をつけられて、腹を立てていたようだが、聖女様が誰を好きになろうと、咎める者はいない。だってさ、よかったな」


「——どういうことだ?」


「だから、お前はロゼッタ様に好きだって言ってもいいってこと、目を覚ましたら、いの一番に愛の告白でもしろ。もういい加減、お前の鬱々とした顔を見るのは、うんざりだ」


 エルモンドはロゼッタの髪に、そっと触れ口づけた。好きだと言ったら、彼女はどんな顔をするだろうか、早く起きてくれないだろうかと、はやる気持ちを抑えた。


 ぐっすり眠っていたロゼッタが、もぞもぞと動き出したのは、日が高く昇った頃だった。


「あら、エルモンド、おはようございます。寝坊をしてしまったかしら?」


 女性の純潔を守るため、侍女の付き添いがなければ、寝室へは入ってこられないはずのエルモンドが、ベッドの脇に座り、寝ている自分を見ていた状況に、寝ぼけていたロゼッタは疑うこともなかった。


「おはようロゼッタ、よく眠れた?」


「ええ、とっても——どうかしましたの?エルモンド、なんだか変ですよ」いつも丁寧に接してくれるエルモンドが、こんな風に砕けた口調で話すのは、全てが始まる前、ロゼッタが図書館の司書だったとき以来だ。


「ロゼッタ、愛してる」エルモンドはロゼッタの手をとり、手の甲にそっと唇をつけた。


「エルモンド?」ロゼッタは何を言われたのか理解できず、ただエルモンドを、ぽかんと見つめた。


「君を愛してる。ずっとそばで君を守りたいんだ。君が1人で戦わなくていいように。君の安らげる場所になると誓う。ありのままの君が好きなんだ。君の前では、おかしくなってしまうほどに夢中なんだ」


「ちょっと、ちょっと待ってエルモンド」愛の言葉の嵐に、頭が混乱してしまったロゼッタは、ベッドから飛び降りて、エルモンドと距離をとった。


 エルモンドはロゼッタに跪いた。

「王太子殿下から、許可が下りた。だから、君に愛を乞うていいんだ。もう一時だって我慢したくない。ロゼッタ、君は図書館での出会いを、運命だと言ったよね、俺も運命だったと思ってる。人生一度きりの恋をした」


「エルモンド、こんなのひどいわ。起き抜けにこんな……心臓が止まってしまいそうよ」


「お願いだ、君に恋焦がれたこの哀れな男に、愛してると言ってくれないか」


「ええ、私も愛してるわ」顔を真っ赤にしたロゼッタは、溢れてくる涙を手の甲でぬぐった。


 エルモンドは嬉しさのあまり、ロゼッタを抱きかかえて、くるくる回った。


「きゃあ!もうやだ、おろしてちょうだい。恥ずかしいわ」


「嬉しいんだ、すごく嬉しいんだ」エルモンドは、ロゼッタをベッドにそっと横たえ、上から覆い被さった。


「コンコン、お兄さん、そこまでだ。いくら嬉しいからって、そこから先には、まだ進むな」


 顔を赤く染め、涙ぐんでいるロゼッタから、目が離せなかったエルモンドは、鬱陶しそうに、声のするほうへ視線を向けた。

「ジェラルド!」


「はいはい、ジェラルドが邪魔しに来ましたよ。エルモンドは俺と一緒に出ていく、ロゼッタ様は朝の支度、アリーチェ侍女長に入ってもらいますからね」ジェラルドは、エルモンドをロゼッタから引き剥がし、背中を押して部屋から押し出した。


 洗面道具を持って、アリーチェは寝室に入った。

「よかったですね」


 ロゼッタは、恥ずかしそうに俯いてはいるが、口角の上がった顔を見て、アリーチェも嬉しくなった。


「恥ずかしいわ、どこから聞いていたのですか?」


「エルモンド卿が、愛の告白をするまで、入室は待って欲しいと、ジェラルド卿からお願いされたのです。ですから、最初からですわね」アリーチェはイタズラっぽく笑った。


「もう嫌ですわ——でも、どうして突然?」


「昨晩のこと、覚えていらっしゃらないのですか?」


「もちろん覚えていますわよ。魔物を退治して、それから、その後……あら?私どうやって、ここまで帰ってきたのかしら?」


 アリーチェはロゼッタに騎士服を着せた。普段ならドレスだが、魔物が襲ってきた時に備えて、王都を出る時からロゼッタは騎士服で過ごしていた。


「聞いた話では、魔物を退治し終えたロゼッタ様を、エルモンド卿が駆け寄って抱きしめ、女海賊を演じ始めたロゼッタ様に、口づけをしたそうです。それを見ていた王太子殿下が、聖女様が誰を好きになろうと、咎める者はいないと仰ったそうで、それで、思いを告げる決心を、したようですわよ」


「待って、口づけって何?私、覚えてないわ!」


(ファーストキスだったのに、覚えていないなんて!いろんな状況を想定して、パターンをいくつか考えてて、理想のファーストキスになるはずだったのに)


 力なく肩を落としたロゼッタを、アリーチェは、かわいらしいと思い微笑んだ。

「ロゼッタ様を抱きかかえて、颯爽と歩くエルモンド卿の姿は、まるで、英雄だったそうですわよ」


 アリーチェは、着替え終えたロゼッタを、今度は化粧台まで連れて行った。あまり派手な化粧を好まないロゼッタは、頬紅と蜜蝋に植物油を混ぜ、ほんのり色づけた口紅を、唇に塗るだけだ。


「——皆さんに、知られてしまったってこと?」


「屋敷中その話題で持ちきりですわよ。騎士たちは、エルモンド卿に嫉妬しておりました。今回、武勲をたてることができれば、ロゼッタ様に、名を覚えてもらえると思っていた騎士は、多いですからね」


「穴があったら入りたい気分だわ……」ロゼッタは化粧台に突っ伏した。


「お支度ができましたよ。王太子殿下が昼食を、ご一緒したいと仰っています。食堂へ参りましょう」


 部屋を出ると、風呂に入り、こざっぱりとしたエルモンドとジェラルドが、待っていた。


 食堂までの道のり、何人かの侍女たちとすれ違い、含みのある顔を向けられロゼッタは、顔から火が出そうなほど恥ずかしかったが、エルモンドは実に、晴れやかな顔をしていた。


 食堂にはアロンツォがすでに来ていて、ロゼッタを待っていた。


「王太子殿下、おはようございます。お待たせしてしまいましたわね」


「構いませんよ。昨日は大変でしたからね。ゆっくりお休みになられたようで幸いです。ロゼッタ様と聖獣のおかげで、魔物を退治できました。もし、我々だけだったらと思うと、身の毛が弥立ちます」


「これで終わりではないのでしょうね。またいつ襲ってくるのか分からないですし、この状態がいつまで続くのかも、予測できませんわね」


「魔族が諦めるまで、粘るしかないでしょう。長引くようならば、全面戦争に発展することも、視野に入れなければなりません」


「困ったものですわね。私がちょっと行って、浄化だけして帰ってくるってわけにはいかないのでしょうね」


「魔族大陸に行くなど、あり得ません。戻ってこられる保証なんて、どこにも無いのですから」


「そうですわね——聖女の派遣なんて制度が作れたら、良いのですけれどね」


「そもそも、魔族とは、話し合いも困難です。彼らは魔術が使えない人族を、見下していますからね。それにしても、ロゼッタ様は面白いことを考えますね、聖女の派遣ですか。エルモンド卿が惚れるわけだ」


「王太子殿下、やめてください」ロゼッタは赤面した。


「ロゼッタ様も、エルモンド卿を好いているのでしょう?2人が時折、見つめ合っているのを、知っていますよ。熱々の恋人同士みたいじゃないですか」


「もう、からかわないでください」


 後ろに立っているエルモンドを意識していなかったのに、ロゼッタは、途端に意識してしまい、背中が燃えるように熱くなった気がした。


「騎士たちに、死んだ魔物の焼却と、倒木の片付けを任せています。今晩も襲撃があると仮定して、迎え撃つ準備をしましょう」


「マルーンに偵察に出てもらいますわ。魔物が確認できた時点で、知らせてくれるでしょう」


 昼食を終え、ロゼッタは庭に出てきた。

「シルバ」ロゼッタはシルバを召喚した。


「——本当にでっかいですね」ジェラルドはシルバを見上げて言った。


「昨日は、突然の召喚でしたので、シルバと意思の疎通が弱かったのです。遠隔での会話が困難でしたから、シルバに乗るしかありませんでしたけれど、さすがに、あれを毎回するとなると、私の体力が持ちまんせんわ。賢い子ですから、戦闘には問題ありませんが、離れていても意志の疎通ができるよう、少しの時間シルバと過ごすつもりですわ」


 魔物が積み上げられている方へ、ロゼッタは歩いていった。


「皆さん、ご苦労様でございます。魔物を焼くのは大変でしょう。私が神聖力で消しますわね。大きな丸太を運ぶのは、シルバにお任せ下さい」


 日頃から鍛錬しているとはいえ、昨晩、交代で見張りをしていた騎士たちの睡眠時間は、ほとんどなく、睡眠不足なうえに、重たい魔物を集めて火をつける作業で、彼らは疲弊していた。


 そこへ聖女がやってきて、手伝ってくれると言う、騎士たちにとって、ロゼッタは女神のように見えた。


 複数人で力を合わせて運んでいた丸太を、シルバが鼻を器用に使い、3本まとめて一箇所に積み上げていくと、騎士たちは驚嘆した。

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