第4話

 エルモンド・バルザックは、1人宿舎の食堂で考えていた。


 もっと自分が気を遣ってあげていれば、ショックを和らげてやれたのではないだろうか、今までずっと赤の他人に、一挙手一投足を見られていたのだ、誰だって気持ちの良いものじゃない。


 ましてや女性が、そんな風に監視されるなど、恐ろしくもあっただろう。


 聖女と言われて、あの無邪気で可愛らしい女性はきっと喜ぶ、そして恥ずかしがって笑顔を隠そうとする。そんな姿が見られると思って、浮かれていた自分の浅はかさが恨めしい。


 今は泣いていないといいがと考えると、胸が塞がった。彼女のすすり泣く声が、耳から離れない。


 同僚で相棒のジェラルド・バルドーが、ビール瓶を2本、手に持って話しかけてきた。

「よう!エルモンド。王宮から戻ってたのか、今晩はあっちで、寝ずの番でもするのかと思ってたよ」


 ジェラルドはエルモンドの前に、瓶を1本ドンと置いた。


「俺は自分の馬鹿さ加減に、打ちのめされているんだ」エルモンドは手のひらを目にギュッと押し付けた。


「何だそりゃ」


「ロゼッタが喜ぶと思ったんだよ。だから連れてくる時に、悪いことではないし、怖いこともない、保証するって言ったんだ。馬鹿だよな俺、監視されていたことを知って、怖がらない女性はいないよな。なのに俺は、ロゼッタに正体を明かすことができて嬉しかったし、聖女の護衛ができて誇らしかったんだ。ロゼッタは監視されていたと知って怒っていた。聖女になってしまったことで、他国から誘拐されるかもしれないと、教王から聞かされたあとは、すっかり取り乱してしまって、ずっと泣いてた。最後は泣きつかれて眠ってしまったみたいだった」


 ジェラルドはエルモンドの肩に手を乗せた。

「まあ、そう落ち込むなって、これからいい生活ができることは間違いないんだし、好きな本が読み放題だって言ったら、喜ぶんじゃないか?」


「ハハハ!ロゼッタなら確実に喜ぶだろうな、目に浮かぶようだ」


「聖女様を支えるのが、俺たち騎士の仕事だろう?解放してやることができないなら、王宮を少しでも、居心地よくしてやろうぜ」


「——ああ、そうだな」


「確か、お前とのデートが夢だったはずだよな」ジェラルドがニタニタと笑った。


 エルモンドはジェラルドの肩に拳をぶつけた。「ふざけるな!」


「お前だって、まんざらじゃないくせに」


「聖女様だぞ!そんなよこしまな感情を抱くのは不敬にあたる」


「でもさっきからお前、彼女のことをロゼッタって呼んでるぞ」


「な!——それは癖でそう呼んだだけだ。次からはちゃんと聖女様と呼ぶ」もう、ロゼッタと軽々しく呼べないことに、エルモンドの心はチクリと痛んだ。


「早く寝ろよ、明日は聖女様の体調を考慮しつつ、午前中は護衛騎士と侍女の紹介、午後からは国王陛下と王太子殿下、王子殿下の謁見、それと王妃陛下と王女殿下からはアフタヌーンティーに誘われてる。ディナーはのんびりできるかな。明後日からは聖女の授業が始まる。教王直々にされるらしいから、明日の夜はゆっくり寝てもらおう」


「分かった。それにしても目白押しだな。王室にも、少しは気遣いってものを知って欲しいね」


「おいおい、それこそ不敬だぞ」ジェラルドは宿舎の仮眠室へ消えていった。


 王宮からほど近いところに建てられている年代物の宿舎は、夜勤をする騎士が仮眠用に使うか、もしくは、日が昇らない早朝から、仕事に出なければならない騎士の宿泊所となっている——女を連れ込む不届き者がいるのは、頭痛の種だ——


 王宮に勤める騎士のほとんどが、貴族の生まれで、家を継ぐ必要のない3男以下が8割を占める。


 エルモンドはバルザック子爵家の3男で、ジェラルドはバルドー伯爵家の5男だ、しかも妾の子らしく、居心地の悪い家を早く出たかったからと、14歳で入隊したらしい。今は王都の平民街で、母親と2人暮らしだ。


 通常は16歳の成人を迎えてから17歳で入隊する。


 エルモンドが17歳で入隊したとき、既にジェラルドは隊にいたので、騎士としては先輩になるが、年齢はエルモンドの方が一つ上になる。エルモンドは今25歳、ジェラルドは24歳だ。そろそろ重要な仕事を任される頃だろうと期待していたら、聖女候補の護衛任務に抜擢された。上手くいけば出世できるかもしれないと、意気揚々と向かった初の潜入任務が、遠い昔のようだ。


 ロゼッタの女学院時代は、女騎士が同窓生に扮して接触し、パートナーが影——要するに盗聴と盗撮だ——の任務に就いていたが、同じ人物が監視を続けると怪しまれる。それに、ボロが出ることを憂慮して、図書館への就職を機に交代となった。


 護衛任務を引き継いだ1年前、どっちが接触して、どっちが影となるか、エルモンドとジェラルドは、コイントスで決めた。


 始めて会った聖女候補は、地味でパッとしない田舎娘だった。


 勝ち取ったと言いたいところだが、負けたから、ロゼッタに接触する役は自分になった。正直なところ、堅苦しくて色気もない司書の女なんて、面倒なだけで、仲良くするのは良いが、せっかくなら、楽しくて美人だったら良かったのになと、残念に思っていた。


 でも、監視を始めてすぐに、大人しい彼女は表向きの顔で、実際のロゼッタは愉快な人だと気づいた。


 騒々しいのは嫌いと言いつつも、ずっと銅像に向かってしゃべっている彼女も、時間を忘れて好きな本を読みふけり、笑ったり、泣いたり、怒ったりしている姿も、可愛いと思うようになっていった。


 ジェラルドがさっき言ったことは正しい。エルモンドは、ロゼッタに好意を抱いている。


 俯き恥ずかしそうに喋るロゼッタではなく、聡明で、溌剌とした本当の彼女の事をもっと知りたくて、自分に素の顔を見せて欲しいと欲張ってしまう。


 いけないと分かっていても、ロゼッタを思う気持ちが膨れ上がって、コントロールできない。


 聖女であってほしいと思う反面、聖女でなければ、自由に会うことができるのにと思ってしまう。


 もしも、ロゼッタが聖女でなかったら、川沿いのレストランでランチを食べて、彼女がしり込みしている、お洒落な店に連れて行ってあげるんだ。そして、可愛い洋服と靴とアクセサリーをプレゼントする。きっと喜ぶだろう。その笑顔を想像するだけで、エルモンドは幸せな気持ちになった。


 演劇を見たあとは、流行りのバーに連れて行こう。ロゼッタが酒に酔って、頬を赤らめているところなんて、誰にも見せたくないから、アルコールは飲ませないようにしよう。


 ロゼッタが神聖力を発現させたあの日、倉庫の中の様子を監視するため送り込んだ小さな聖道具〈一見するとハエのように見えるが、映像を投影し音声を拾うことができる〉を使い、室内の様子を監視しながら、そんなことを考えていた。


 ロゼッタが聖獣を召喚したと気づいたとき、嬉しかったのか、がっかりしたのか、よく分からなかった。


 自分の護衛対象が聖女だったんだ、喜ばないわけがない。これからも、側でお仕えすることができるんだ。欲を言えば、彼女の心を自分のものにしたいが——ただ側にいられればそれでいい。


 エルモンドは言い聞かせるように、仮眠室へと入っていった。

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