8月14日

8月になって少しは日の入りが早まった気がするけど、お天道様のパワーが弱くなったかと言えばそんなことはない。


陸上都市は今日も掃いて捨てるほど無駄に熱気に溢れていて、集めて売りたくなるほどに無駄に暑い。


「えー、ね。大正にかけて俳句や短歌と言ったものから詩や文学が台頭たいとうし始め、その中でも特に有名なのが中原中流也なかはらちゅうるやと呼ばれる三毛の詩猫で非常に綺麗な詩文を書いたものの色街いろまちのボスでもあった彼は苛烈かれつな三毛猫であり、酔っ払っては友人の家の柱で爪を研ぎ倒壊させ、女性を取っかえ引っ変えしてはすねをこすり、最終的には密造マタタビ酒に酔った晩、川に映った満月に見とれてそのまま溺死できししたとされ____」


クーラーのない教室で受ける歴史の授業はまともに聞けば頭の処理が追っつかなくてオーバーヒートと知恵熱も起こしかねないからみんな右から左だ。


スマホいじるやつ、ねり消し作るやつ、手紙回すやつ。


リクガメセンセには悪いけど自衛策だから諦めてほしい。


ちゃぷ。ちゃぷちゃぷ。


隣に座るラッコのエリモも先生の講釈よりは牛のスキヤキを食う庶民の絵に夢中の様で目を輝かせていた。


相変わらず教科書は俺のを見せているからずい、とこちらに体を寄せて覗き込む形になり、35度の気温と合わさって少し暑苦しい。


早いものでもう交換留学にエリモが来て1ヶ月と少しが経ってしまった。


一緒にいる期間も終わりが見えてこようとしている。


海洋都市から来たこのラッコと過ごしているうちに分かったことが色々ある。


「ねえ、ルークくん。」


スキヤキの絵から目は離さないまま小声でエリモが話しかけてくる。


「ん?」


「スキヤキってどんな食べ物?」


「んー、家畜牛の肉を鍋で焼いて、醤油と砂糖とかで味付けたら出た脂と野菜とか豆腐とか混ぜて食うんだよ。鍋の仲間みたいなもんかな?」


「へえぇ、食べてみたいなぁ。」


ひそひそ声ではあるけど輝く声色から高テンションであることが分かる。


分かったことの一つは、エリモはとにかく大食い。


初日にクラスの男たち全員の財布をほぼ空にされかけたことからラッコの生態を俺たちなりに調べたところ、比較的冷たい水上で生きる哺乳類のラッコは体温維持のためにかなり沢山のカロリーを消費するらしく、四六時中たくさん食べるのだそうだ。


が、こういったケースはとっくの昔に開発されたカロリーや栄養素を多量に含んだゼリー


(元はスポーツ選手のために作られた機能食品で70g8000kcalらしい、イカれてんのか。)


が陸上都市から開発、輸出されることにより解決しているそうだ。


そしてエリモが来て数日後分かったことなんだけど、こいつはこのゼリーもちゃんと摂取していた。


つまり導き出される結論として、こいつは素でかなりのくいしん坊だということ。


体温調整を必要としない夏場でこれなんだから今が冬じゃなくてほんとに良かった。いやホント。


ちなみに学食での1件はすぐに学校中に知れ渡り、海上都市の大使館からオレたちに返金があった。そしてそれからエリモは弁当プラス小遣いが毎日支給されている。


羨ましい限りだ。


「エリモはすっかり陸上コッチの食い物に染まったよな、向こう帰ったら大変なんじゃねぇの?醤油とか海に落としたら溶けちまうだろ?。」


「ん~ん?最近はジュレみたいなプルプルした調味料が作られてるから水に溶けないようになってるんだよぉ。」


「へぇ。」


「ね、今日もあとでいっしょに学食行ってくれる?」


「行くけど…毎日一緒に行ってるし別に確認しなくていいんだぜ?」


「う~ん、でもルークくんが答えてくれるとなんかすごく嬉しいんだよねぇ~。」


「…じゃあ、今日も後で一緒に行こうぜ、エリモ。」


「やったぁ。」


目を細めてふにゃふにゃと笑いながら嬉しそうに袖に頭を擦りつけてくる。


毎度休み時間になる度に女子からちやほやされる笑顔で甘えられるのは悪い気はしないけど、いかんせん暑苦しい。


エリモは、というかラッコは結構甘えん坊で、スキンシップが多いことも最近になってわかってきた。


俺たち陸上で暮らす者たちはイヌはイヌ、ウサギはウサギと言った風に同じ種族同士でコミュニティを築きがちだけど、


海洋都市は範囲がかなり広大なためか種族は問わないが一定のエリア内でのコミュニティ繋がりが強い傾向にあるのだそうだ。


(公民のキジバトセンセイからの受け売り。イカレ文学野郎の生涯しょうがい情報より役に立つ。)


陸上都市においては教室の、このくっつけた机が今のエリモにとってのコミュニティなのかもしれない。そう思うと俺にだけナチュラルに甘えてくるのも納得が行く。


それにしても、ちゃぷちゃぷとすりすりのハーモニーが凄まじい。


「あちぃよ、エリモ。俺は“ヘアレス”の犬じゃねんだから。」


「ぼくは好きだよぉ。もふもふルークくん。」


そういうことじゃないんだけど…悪意の一切ないほがらかな顔でそういうことを平然と言われると調子が狂わされる。


この世界には色んな生態を持ったやつが暮らしているから、外見じゃなくてそいつの内面を見ることこそ大切だと第一にみんな親教師から教わる。


容姿や身体的特徴のことをやたらと言うのは、あんまり推奨された事じゃない。


(俺たち若者はあんま守ってないけど。)


許されるとしたら、他種族同士が生物としての“差”を乗り越えて求愛する時に引き合いに出すとかだろうか。


それでも、エリモからそういう差異で見るような邪念は見られないし、やっぱりおおらかな甘えん坊ってとこなんだろうな。


「あっ、暑いんならさぁ、僕のタライに一緒に足入れようよ。きもちいよ。」


「…ええ?」


確かに何故か今まで思いつかなかった名案ではあるけど、授業中だしなんだかクラスメイトのいる中でそこまでするのは照れくさい。


だけど提案した当のエリモは俺から離れるつもりも無さそうだしなぁ…


逡巡している間にも暑さは増していく。


壁に付けられた古い扇風機は風流もクソもないガチガチと必死に首を振る音を出す。


開け放たれた窓からは熱風がセミのけたたましく不協和なカルテットを運びこむ。


「やがてラジオ放送の開始と技術の普及ふきゅうによって海洋都市とついに遠いところからの肉声による交流がはかられようとしていたものの、現在普及している防水端末のようなものは当時まだ難しかったためにモールス信号での通信であったりエコーロケーションを翻訳できる者、特に賢いハシブトガラスなどが通訳するなど発展途上の放送が繰り返され___」


極めつけは暑さにもクラスの飽き具合にも鈍感なリクガメセンセイの熱い授業。


天秤にかければクラスの連中には悪いけど、今必要なのはやっぱり水だ。


上履きも靴下も脱ぎ捨ててエリモの方に横向きに座り、机の足の隙間からタライに足を突っ込むと蒸れて汗ばんだ指先が溶けるように涼しくなっていく。


「たまんねぇ~…」


しばし2つの意味で浸っていると、横向きに座っていたせいでエリモの顔を正面から見ていることに気づいた。


「きもちいねぇ。」


顔は笑いながら、ちゃぷちゃぷとエリモの足指がゴキゲンに動く。


「そだなぁ。…これからも入れさせてくんない?俺、足汗かくから助かるわ。」


「えぇ~、じゃあどうしようかなぁ~。」


「んだよ、エリモはケチ野郎か?うりうり。」


口では言うけどさほど嫌がる様子のない足の裏を俺の足指でくすぐってやると、エリモがたまらずぴくりと跳ねる。


濡らした上等な毛布のように柔らかくて長い毛が足に絡んで、ちょっかいをかけた俺まで少しくすぐったい。


「フフフッ!やめてよぉ。」


「入れさしてくれるまでやめねぇ~。」


ちゃぷちゃぷと水がタライから漏れるほどにじゃれていると、それに気づいたリクガメセンセイが目を向ける。


「こら、何やっとるんだねルーク。エリモ君も。今は水遊びでなく海洋都市と育んできた交流の歴史についてだね、…そしてルークは早くタライから足を出すように。」


「お言葉ですけどセンセイ、これも海洋都市で暮らすエリモ君の文化や生き様を学ぶためにやってるって言うかぁ、交換留学の一環でやってることでしてぇ。」


「屁理屈をこねるんじゃない!」


投げ放たれたチョークは亀特有の年の功によって正確無比の軌道で眉間にヒットする。


「いてぇ!?」


クラス全員が俺を笑う。


エリモもクスクスと隣で笑っていた。


海洋都市から来たのんびりとして、のびのびとしていて、ふにゃふにゃ笑う食いしん坊なラッコのエリモは、優しくて時にじゃれるのが好きな普通の男子高校生なんだよな。


結局、俺のタライ共有は認められなかったけど教師の目を盗んでは左足だけ時折エリモのタライに突っ込んではちゃぷちゃぷしたり、足をくすぐったりしている。


俺だけの役得だ。





















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