シフォンケーキ、ショコラタルト。【百合】

環月紅人

Chapter.1 佐伯ゆなみと白王遥

 桜花学園高等学校はお嬢様学校として有名な女子校であり、上場している企業の社長令嬢しか入学を認められないという制限がある。本年度の入学生は五十七人。そのうちの一人がわたし、佐伯ゆなみだ。


 だけど入学式を控えた今年の三月、お父さんが突然自死してしまい、同じ頃に父がハニートラップに引っかかっていたというニュースと多額の負債を抱えていたことが発覚。


 友人知人に社長自らインサイダー取引(※この先業績伸びるから株買っとき〜と社外秘の情報で投資を促すこと)を持ち掛けたり、とにかく会社が大きく見えるように身に余る大金を動かしていたようだ。


 それもすべては、自慢の娘(わたし)を桜花高に行かせるため。


 幸いにもその入学手続きは完了しており、お父さんの夢がお父さんの不祥事によって潰えることはない。だけど借金によってあり得ないくらいの極貧生活が幕を開け、お母さんはあり得ないくらいのパート・アルバイト漬け生活。


 わたしが、高校中退を視野に入れるも、「あの学校はお父さんが残してくれたものなのよ」「卒業さえしたらあなたは安泰になれるから」という母の進言によって通い続けることになり、入学式以降、わたしは形だけのお嬢様、さながら没落貴族の令嬢のようになってしまうのである。


 ここで学ぶ帝王学や経営学なんて、果たして使い道があるのかどうか……。


 ところで、わたしは友達に恵まれている。

 いつでも話を聞いてくれるー、とか。

 いつでも遊びの都合が付くー、とか。

 わたしのために怒ってくれる、わたしのために泣いてくれるー、とか。……お金を、貸してくれる、とか。


 そういう話では、なくて。

 恵まれているというと語弊があったね。正しくは、甘やかされているのかもしれない。


 わたしには友達は一人しかいなかった。


 その名も、白王遥ちゃん。

『はくおう』じゃないよ。『すめらぎ』と読む。


 はじめて会ったとき、わたしは失礼なことにその間違いをしてしまって、あの王子様みたいなハニカミスマイルで「ほら。縦にしてぎゅっと潰すと皇の文字に読めるだろう」と手元でぎゅっぎゅする仕草を見せる彼女の、甘味で例えるとショコラタルトのようなほろ苦いカカオの奥に隠したおとなしい甘さが忘れられなくて困る。


 没落貴族の出のようなわたしは、一部の生徒からいじめを受けることもある。

 はくおーちゃんは、そんなわたしを気に掛けてくれる……、不思議なお友達だった。


「うん……。やはり、特別な呼称というのは親密な間柄を示せて幸せな気持ちになれる。遥なんて手垢が付きまくっていていやらしいよ。そうは思わないかい?」

「かわいらしいお名前だなと思いますけど……」


 いやらしい、と彼女の口から発せられるとぞくりとする。かくいう彼女もまた、自分の下の名前を『手垢が付きまくっている』と言い表したせいで、気持ち悪さを訴えるように両腕を抱き寄せて身震いした。


 彼女の仕草は、凛々しい面立ちにはあまり似合わない……というか、ちょうど良くギャップを発生させる『かわいさ』のある振る舞いで、同性ながらジッと見つめてしまう魅力がある。


「その点、ゆなみはかわいいよね。ゆなみ。うん。発音する口の動きがすでにかわいらしい。ひらがななのもグッドポイント。君のご両親の命名センスは特に秀でたものがあるよ」

「あ、ありがとうございます……」

「だけど、だからこそ特別な呼称を作れないのが難点だ。だって、ゆなみ。ゆなみと呼びたい私がいる。君と会ったときはもちろん、上履きに履き替えるときや、廊下を歩いているとき。上の空で授業を受けているとき、先生方に指名されると反射的についゆなみと口走ってしまいそうになるんだ」

「んなっ、もう……はくおーちゃんは、変な人ですね」


 そんなの、言われたほうが勘違いする。

 アプローチとしか思えない。


 なので唇をとがらせて返すが、『変な人』は言い過ぎだった!と後から反省の擬人化が脳内で追いかけてきて、肩をタッチする。鬼ごっこで捕まったわたしは、しゅんと項垂れることになる。


「それくらい、ゆなみがお気に入りなんだよ」

「……んまあ、それは嬉しいですけど………」


 口許が、もにょもにょとする。

 やわらかい笑みを浮かべる彼女は綺麗だ。


 何もかも、敵う気がしない。透き通った肌にメリハリの付いた輪郭、顎は小ぶりで唇は小さく、鼻は猫のようにツンとしていて、切れ長の瞳に扇のようなまつ毛。スタイルも良くて、大人びていて、欧州でもトップレベルの活躍ができるだろう。


 才色兼備。文武両道。天は二物を与えずと言うけれど、本来多くの人に分配されていたものが彼女一人に横流しされてしまったような気がする。

 それくらい、彼女は枠に収まらない超人に思える。


 桜花高は、各界の社長令嬢が一同に会する勉学の場とだけあって、『社交』と定義付けられたフリータイムが設けられている。その時間をどういうふうに過ごすか、どういう人と関わるのか、は将来に大きく影響するところであり、白王遥は常にその中心にいた。

 ちなみに、わたしはその蚊帳の外だ。


 不思議なことは何一つない。

 だって、わたしに取り入ろうとする価値も、わたしを使ってやろうとする価値も、この学校に通うお嬢様方には見出せる要素が何もないはずで、わたしだってそれは重々承知している。


 わたしは、『桜花高卒』と履歴書に書ければそれでいいと思っている。そう信じて、割り切っている部分。

 それがわたしの高校生活のはずだった。



 ――白王遥は『変な人』ではないけれど、『不思議な人』だな、とはよく思う。



 わたしは、いまの状況が不思議で仕方なかった。

 だって、まるで彼女はわたしに取り入ろうとしているみたいだからだ。


 甘い言葉も、ジッと目を見つめてくるところも、毎週の水曜日、わたしと関わるこの時間を作ってくれるところも、毎週のように高級なスイーツを奢ってくれるようなところも、毎回、わたしに一つのお願いをしてくるところも。


 お母さんの苦労を知っているのに、わたしだけ甘い香りに包まれて帰宅するこの水曜日が、なんとも後ろめたい気持ちになる。


「私も、ゆなみが『はくおーちゃん』と呼んでくれることが嬉しいよ」

「〜〜〜っ、わたしは恥ずかしいんですから!」


 かあっと顔が赤くなる。彼女のことをわたしだけが『はくおーちゃん』と呼ぶ。


 それは、前述のお願いのうちの一つでもある。どうしてもと彼女にせがまれてはじめた、二人きりのときだけの特別な愛称。

 正確には、彼女としては、二人きりと限らず。場所を選ばず。そう呼んでもらいたいのかもしれないけれど、そもそもわたしが彼女に向かって間違った苗字の読み方をしてしまったのが発端で、その恥を公衆の面前に晒すつもりはない。


 本来、彼女は恐れ多い存在だ。彼女が許してくれても周りの目がある。『白王遥嬢とあの佐伯なにがしが妙に親しい』なんて、悪目立ちしてしまうのは避けたかった。


 だから、これは二人きりのときだけ。


 彼女が用意してくれる、個室付きのスイーツレストランで、あり得ないくらい美味しいレアチーズケーキに舌鼓を打つこの時間だけ。


 わたしは普段『遥様』と敬うのを『はくおーちゃん』と呼ぶことにしている。

 彼女が、それを望むからだ。


「……ごめん。そろそろ時間みたいだ」


 彼女の家庭環境は厳しく、門限は夕方の五時までとなっているらしい。四時半にはこのお店を出て、駅に向かわないといけない。

 時計を確認するともうその五分前だ。


「あっ、はい。今日もごちそうさまでした……」


 名残惜しさを誤魔化すようにストローに口を付ける。雑然とした感情で目を伏せて最後の一口をいただくわたしがいる一方、彼女は気の迷いを表すように目をさまよわせ、頬を赤く染め、下唇を一度噛み、言葉を選ぶような焦れったい間を形成した。


 言いたいことは、わたしにも伝わる。

 いつもの『お願い』の時間だ。


 凛々しい、ライオンが普段の彼女であれば、このときばかりは子猫のような愛嬌を見せて。


「ゆなみ、今回もお願いしていいかな?」

「はい、いいですよ。何がしたいんですか?」


 わたしは彼女に笑顔を向ける。彼女は、ほっとしたような表情をして、口にする。



「その……。き、今日は、ハグがしたい」



「……………、は、ハグ、ですか……」


 わたしは目をしばたたかせる。


 以前は、対面での恋人繋ぎ(三十秒)。その前は、不意打ちの、手の甲に軽い口付け……。それより前は、お揃いのアクセサリーを買い。そのはじまりは、はくおーちゃん呼び。


 回数を重ねていくたびに、親密な間柄を求めてくる彼女。今日は、ついに、ハグと来た。


 心臓の高鳴りに、戸惑い。どうしたって言葉に詰まる。曖昧な笑みでお茶を濁そうとするわたしに対して、はくおーちゃんは真剣そのものだ。


 ……ここで、拒否をしてしまったら、はくおーちゃんはわたしの友人でいてくれなくなる。

 だから、わたしは無機質な声色で答える。


「分かりました。隣に移らせてもらってもいいですか?」


 こく、と子どものように頷くだけのはくおーちゃんがいた。

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