神の言いなりで勇者にされかけたので世界の預言書を新訳して失われた青春を取り戻したい

あびこ そんし

創世編

第1話 青春に必要だったものは女の子だ

この世界は神に支配されている。


盲目的な意味でも啓蒙的な意味でもなく、広く公布されている【預言書】に従わなければ神罰が下るという意味で。


今日は入隊直前だった。支給されたシワ一つない軍服、帝国軍を表す腕章。初めて辺境の村を出る日でもあった。


「よし、さまになっているな」


姿見に映るのは着慣れない野戦服を着た新兵、これから自分は勇者として村を出るのだ。


この世界では5歳になると教会から洗礼を受ける。スキルと共に賜るのはこれからの行動を取り決められた【預言書】と呼ばれるものだった。


学業や職種、行動などもそれに沿って生活しなければならない。縛られるかわりに人生の成功が約束されているのだが背けば神罰と帝国や教会から反逆者として扱われる。


この国のおえらいさんから辺民まで全員に公布されているいわば神が定めた人生の設計図。


自分はそれで勇者になれとの預言書を賜った。結果17歳になるまであらゆる術の取得、スキルアップや戦闘に努めもうすぐその門出を迎えるのだ。


預言書は信頼している。これまで預言書通りに行動していたおかげで苦労せずに生きてきた。チートスキルも高等魔術もあるしなんのスランプも失敗も知らない。完璧な人生を歩む…はずだった。


「見て見て母さん、きれいな軍服だろ。この上に鎧とか着て馬に乗るんだ」


「すごいわね、落馬しないでよ?」


「しないよ、預言書の記述通りにすれば落ちないって」


母親は冗談っぽく笑う。すると父が顔を出した。


「村のみんなが待ってるぞ、出兵の準備はできたか」


「できたよ、でも待って、まだ部屋片付けてない」


「そんなの父さんがやってやるから安心さなさい、ほらさっさと寝癖を直せ。みっともないだろ」


父親の催促で姿見へ向かう。桶に汲まれた水に手を浸し黒髪をいじる。


その時だった。


「おっ、預言書が更新された。なんだろう」


空中に色褪せた古本よ紙面を模したディスプレイのようなものを展開する、これが預言書でありここに神の意志である預言が記される。


ここにはなんでも記された。勇者になれ、兵学校に入学しろ、この術を身に着けろ、身に着けるためにはこれをしろ。


敬虔けいけんな両親はその通りに行動していればいいと教えてくれた。事実苦労したことはない。


なにも考えなくていい、神の傀儡であれば自由はないが成功はある。村のみんなどころか国中が未熟な勇者の成功を確信している。


「…は?」


なにも考えなかった俺が初めて考えた。この記述は誤記じゃないのか?と。


「…ははっ、嘘だろ?マジで?」


預言書が更新されたそこに記述されたもの。


「”両親を殺せ”」


しばらく立ち尽くす。


「神様、誤記だろ?冗談はやめてくれ。説明をしろ」


預言書は更新される。


「”もう平凡な日常に戻らない事を覚悟するため”」


「いや…にしても…。あれか?失うものがない人間は強いとかそんな理由なのか?なぁ」


「”もう平凡な日常に戻らない事を覚悟するため”」


回答はその一言だけだった。


「本当にそれが…成功につながるんだな」


「”両親を殺せ”」


「”両親を殺せ”」


「”両親を殺せ”」


けたたましくなる更新音、それを聞いて初めて今まで従い信頼してきた預言書が恐ろしく感じてきた。


「…無理だ。俺には無理だ。親を殺して勇者になって成功しても…俺はその成功に納得できない」


「”両親を殺せ”」


「勇者ってそういうものじゃないだろ…!」


「”殺せ”」


「嫌だ!俺は自分で考えるッ!!」


「”こ ろ せ”」


急いで家を出る。親の引き止める声がする。家の前に集まった村人の群れを抜け振り返る。


裸足のまま村を出る。川を抜け草原を抜け森を駆ける。すっかり疲弊してへたり込む頃にはすでに斜陽の日が陰る木々を燃やしていた。


「全員傀儡なんだ、俺も…全員…。背いてしまった、預言書に…」


心底恐ろしい。まだ夜になる前なのに寒気がする。着の身着のまま抜け出したため新着の軍服もすっかり戦場から抜け出した敗残兵の如く汚れていた。


「寒い」


幼い頃敬虔な両親から聞かされた、罪と罰が脳裏に響く。


「(預言書に背く行為は神に背く行為と同じなの、恐ろしい神罰が下るのよ。だから考えちゃだめ。お母さんもバァバも村のみんなも、皇帝陛下だってそうしてるのよ。誰も損しない、優しい世界……)」


走馬灯かと疑う。


「狂ってたんだ、みんなも神の奴隷で、生き方も死ぬときも全て預言書に従わなきゃいけない。背けば神罰が下る、地獄に落ちる…決めた。俺は預言書に従わない。自分の意志で考えよう、そうだそれがいい」


日が落ちた。魔獣の鳴き声が森の奥から聞こえる。いち早く逃げたがったが逃げたところで安全な道か分からない。


「どこに行けばいい…そうだ…預言書…には頼らないんだった」


ポンコツな頭を軽く叩く。この常闇の中でふと火が欲しくなった。


「火があれば獣は逃げるだろ。火炎魔術『怪火あやしび』…あれ?」


いつもどおり指先に火を灯そうと試みる。しかし一向に明かりは見えない。


「…魔力が練れない…?まさか…そんなはずは…」


しかしすぐに悟る。


「…なるほどな、チートスキルと魔術の剥奪…これが神罰ってわけか。神の癖にこすいな。逆らわれるのがそんなに嫌か、俺は怖くないぞ。すごいだろう」


虚勢を張るも天には届かなかったみたい。次第に魔物の声が近くなる。頼りになるのは預言書に従った結果鍛えられた身体と短刀一本のみ。


「く、来るならこい…相手にしてやる」


その瞬間、茂みの中の双眸ほうぼうが光るのを見逃さなかった。現れたのは月光を浴びて白く光る真っ白なフェンリルだった。


「うわぁッ!ほんとに来るなァ!」


唯一の武器も投げ捨ててひたすら死力を尽くして奔走する。


「あぁ…!武器がァ…クソ!俺のポンコツ!預言書がないと何もできないのか!」


その時、地表に露出した木の根のささくれが足裏に突き刺さる。


「痛っ…てぇ…」


手を伸ばし身体を守る。足を見るとポタポタと鮮血が月光を反射していた。


その血に興奮したのかフェンリルは鼻息を荒くして飛びかかってくる。


「ひえっ…」と女々しい声を出して両腕で精一杯の守りを作る。これが神罰かと絶望しかけた瞬間、眼の前が深紅色に染まった。


俺の血じゃない。細目を開くとそこには首を落とされたフェンリルの死体が力なく横たわっているだけだった。


「…ふっ、やれやれ、さすがの俺でも冷や汗をかいたぞ」


「虚勢を張らないの、今のは私の力よ」  


死んだ巨躯きょくに登り彼女は姿を表した。灰色の天体を背にした彼女は冷たく見下ろすように言った。見たことのない美少女だ。暗くてよく見えないがエルフらしい。


「えっと…ありがとう。俺は」


「言わなくても分かるわ、アイン・シュタイナーでしょ。帝国では広く名が知られているわ。預言書に背いた反逆者だって」


「ええっ…!?嘘だろ、もう?」


「ええ、星火燎原せいかりょうげんというもの。悪事千里を走るとも言うわね。とにかく国中大騒ぎ、なにせ勇者最有力候補のあなたが消えたんだもの。なんで逃げたの?」


美少女に顔を近づけられ問い詰められる。小さい頃から修行の日々で女の子とあまり接してこなかった俺には今世紀最大のビックイベントなのだがそれに浸っている余裕はない。


「…足、怪我してるのね。ずいぶんボロボロ」


膝裏に腕を通されひょいと持ち上げられる。情けない。


「こっちに仮拠点があるの。治癒して上げるわ」


「ありがとう、ところで君は」


「シャルロット。シャルロット・マリー・セレーヌ。白魔道士、覚えた?」


森を抜けると彼女の顔がよく見える。整った顔立ち。白い肌に星のかけらが散りばめられたかのような長いつややかな金髪。宝石のきらめきが埋め込まれた瞳。


お姫様抱っこされていることを忘れてしまうほど、夢の中に生きるような少女の微笑みに胸が高まった。


小屋に連れられて椅子に座る。乾いた血や土を温めて柔らかくなった布で拭き取ってくれると軽い魔法をかけられて包帯を巻かれる。


「…君は何者?白魔道士とか言ってたけど…」


「ええそうね、私は罪人よ。帝国から追放されて今は辺境の森の中で隠居してるの」


「なにしたの?」


「預言書の改ざん」


「は?」


「皇帝陛下の側近だったんだけど皇帝の預言書を書き換えた罪で追放されちゃった。死罪か放逐だったらそりゃ後者よねって」


「大犯罪者じゃないか、怖〜」


「…冤罪よ」


「犯罪者はみんなそう言うよ」


「犯罪者じゃなくても言うでしょ」


言い返せない。さっきから色々な面で俺を上回ってくる。預言書に背いた人だ、面構えが違う。


「預言書はロックされていて個人じゃ改ざんできない。できるとすれば高等な連中か【教会側】の連中よ、私は嵌められたの」


教会側、聞いたことがあるがよく知らない。5歳の頃に教会で預言書を授かった。教皇領を中心に全国に教会を展開、教区を取り決め教義や教えを広めているらしいが予備知識はそこで止まっている。


「…教会はそんなことしないだろ」


「はい傀儡、預言書には背いたのに中身は同じね。預言書に救われた人間は多い、その信頼は信仰となり教会と教皇に向く。だからこの世界は教皇の思うがままに支配されている」


「陰謀じみたこと言うなよ」


「本当よ、それを証明するかのように教会と帝国が私たちを探しにやってくる」


彼女は肩に手を置き優しく語りかけてきた。


「あなたは預言書に懐疑を抱いたから逃げたんでしょ、ならその疑念を信じなさい。預言書にすがってはだめよ。あれは人を救うと同時に人を破滅させた諸刃の剣なのだから」


思い出した。自分はあの預言書から目を背けたくて、受け入れたくなくて、信じたくなくて逃げ出した。


それを自覚した瞬間少し疑い深くなっていた自分の態度を辟易へきえきした。真に疑うべきは…


「”村に戻れ。入隊しろ。両親を殺せ”」


「黙れ」


目に映る預言書の更新がようやく止まった。気が狂いそうだった。いやあるいはすでに。


「俺は自分の信じるものを信じる。これからの態度次第じゃ神、お前を殺すからな」


自分でも言ったことのない強い言葉だ。シャルロットは少し驚いていた。


「シャルロット、察しの通り俺は預言書に背き魔術を奪われた。腐っても元勇者候補だ。並の人間よりは強いつもりだ。自由に生きてのんびり暮らす、だが預言書に従う連中はほっておいてはくれないだろう。迎撃するためには預言書の記述を逸脱した無法の力で対抗するしか無い」


彼女は優しかった。くすりと微笑むとカーテンを開けた。すでに夜が明けて来た。眩しい朝日が部屋に挿し込む。


「いいわ、付き合ってあげる。長い隠居生活で寂しかったところなの」


逆光の少女は華奢でありながらやはり頼もしく、美しかった。


だがまだ知らなかった。

追放された白魔道士と預言書に背いた背信者。その二人が今日、巨悪を敵に回したことを。

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